湯飲みを片手に、よく陽の当たる縁側に腰を下ろす。昼食後特有の眠気とだるさが、妙に心地いい。庭土をつつくスズメをぼんやり眺め、熱い茶を啜る。ほう、と気の抜けた声が漏れた。

一休みしたら、腹ごなしに珠の稽古でもしよう。そんなことを考えていると、たたた、と小走りの足音が近寄ってきた。


「アーニキ!食休み?」


片手に湯飲みを持った珠が、にんまりと笑って隣に腰かける。


「おう、お前もかい」


足をぶらぶらさせながら茶を啜り、ほうっと息を漏らす珠。思わず小さく笑ってしまう。

近頃、行動や思考が似てきたように感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。長い月日を共に過ごし、自分から珠へ伝わったもの。血縁がなくたって、遺伝するものはあるのだ。

自分がオジキの背中を追ってきたように、珠もまた自分の背中を見て成長している。そして、珠の小さな背中から教わるものも、案外多い。

でれん、とだらしなく凭れ掛かってくる珠の体重を感じながら、しみじみと思う。


「暑苦しいわ」


珠の体を押し戻したとき、ふと違和感を覚えた。両の手のひらに、ぐるぐると包帯が巻かれていたのだ。


「それ、どないしたん?マメでも潰れたんか」


日々の鍛練で、珠の手のひらには常に固いマメができていたが、こんな風に治療を施す程まで無理をするような事はなかった。


「あ、これ?昨日、オジキが稽古つけてくれてね。それで」

「オジキが?ホンマかいな」

「ダメ元で頼んでみたら、以外とあっさり引き受けてくれたの。あまりにも容赦なくて、けちょんけちょんにされたけど」

「そらお前、真剣にやってくれはった証拠やないかい」

「うん、“悪く思うなよ、手ェ抜いたら失礼だからな”って言われた」

「ふっ、ほーかィ」


それは即ち、次郎長が珠を認めたと言うことだ。珠を拾い育てるにあたり、特に関心を示していなかった次郎長だが、彼女の日々の努力はしかと見てくれていたようだ。

愛弟子が、自分の師匠に認められたのだ。これほど誇らしい事はない。


「立派んなったのう、珠。わしゃ嬉しいで」


珠の頭にぽん、と手を置きがしがしと掻き回した。


「ふふ、ありがと。…でも、まだまだだよ」


いつになく真剣な珠の声に、頭から手を離す。その目を覗きこみ、先を促した。


「……私はね、アニキの右腕になりたいんだ」

「っ、」


思いがけない珠の言葉に、一瞬呼吸が止まった。その言葉を、ゆっくりと飲み込み終えると、鼻の奥がつんと痛んだ。


「お前…そないなこと、考えとったんか」


かろうじで涙は堪えたが、声の震えはうまく隠せたか分からない。


「うん。もっと強くなって、アニキと並んで、アニキの背中を護って、戦いたいの」


今度こそ、言葉が出なくなった。無言で珠を抱き寄せ、がっしがしと髪をかき乱す。


「ちょ、やめてよアニキ!」


じたばた暴れる珠を、胸板に押さえつける。こんな情けない顔を、見られる訳にはいかない。

彼女が、その身を守れるようにと教えた剣術。彼女はそれで、自分の背中をも護りたいという。一体いつから、そんな事を考えていたのだろうか。

まったく、彼女の成長には驚かされてばかりだ。そしてその成長は、己の未熟さをも教えてくれる。

教え教えられ、支え支えられて今の自分と珠がいる。当たり前のような、けれど大切なことに、気づかせてくれる。


「……右腕、かい。ほな今はまだ、右の小指の先っちょやな。一歩間違うたら詰められてまうわ」

「だから!これからもっともっと強くなるの!」


がばっと勢いよく顔を上げる珠。その瞳の中で、ひどく穏やかな顔をした自分と目が合う。

頬を伝った一筋はもう、暖かな午後の陽射しに吸い取られて消えていた。



昼下がりの涙痕




2016.07.01

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