西陽の眩しい庭先に、空を斬る鋭い音と荒い息遣いが響いている。熱心に素振りをするその後ろ姿は、数年前に比べて随分と凛々しくなった。


「精が出るのう、珠」

「アニキ!」


珠が勢いよく振り向くと、控えめな澄んだ音が鳴った。頸にかかった細い金の鎖、その先端で揺れる小さな鈴の音だ。以前、何の気なしに渡したものだが、珠はえらく気に入ったようで、肌身離さず着けていた。


「どうしたの?」

「メルちゃんの散歩、一緒に行こ思うてな」

「行く行く!コレ置いてくるから、ちょっと待ってて」

「おう。わしもメルちゃん連れてくるけ、門の前でな」


握ったままだった真剣を鞘に納め、自分の部屋へ走っていく珠。その背中を見て、押さえていた思いがまた沸き上がってきた。

本当は、珠に人を斬って欲しくない。戦いで傷ついて欲しくない。

これが自分のエゴでしかないことは、よく分かっている。この極道の世界に引き入れた以上、避けることは不可能だということも。

だからこそ、組に迎え入れてから今まで、徹底的に剣や戦いの術を叩き込んだ。彼女がその身を守れるように。

あの日もし、珠を拾わなかったら。彼女は血に濡れることはなかっただろうか。あの街の汚い路地裏で、その目を濁らせていた方が良かったのか。

彼女は果たして、これで幸せなのか。

西陽が皮膚をじりじり焦がす。こんな風に日が傾き、夜の足音を感じる度、この堂々巡りが始まってしまう。

若頭ともあろうものが、情けない。一度大きく頭を振る。無理やり思考を引き剥がし、メルちゃんを連れて門へ向かった。



夕暮れの道を二人と一匹、並んでゆっくり歩いた。他愛のない会話をしながら、町の外れ、いつもの太鼓橋の真ん中まで。

そこでどちらともなく足を止め、欄干に背を預けた。今の時期だと、沈む陽はちょうど真正面にある。

振り返ると、眼下を流れる川の水面に、黒く長い影が大小三つ揺蕩っている。その影に吸われるように、自然と言葉がこぼれ落ちた。


「珠、お前…」


今、幸せか?そう問おうと彼女の顔を見た途端、はっと我に返った。何かが、胸の奥でぱちんと弾けた。


「何?アニキ、」


覗きこんでくる珠の顔。この綺麗に澄んだ目が、曇りのない表情が、全てを体現しているではないか。それを見れば、十分すぎる程に、感じ取れるではないか。

自分は今まで、なんて下らないことで悶々としていたのだろう。言葉にしてもらわねば確認できないような、そんな薄っぺらな関係ではないというのに。


「…いんや、そろそろ腹減ったんちゃうか?晩飯、なんやろな」

「もう、お腹と背中がメンチ切り合ってるよ。私、魚がいいな」

「好きやなァ、ホンマ猫みたいやわ」

「ふふ、魚だーい好き。だから、アニキも大好き」


いたずらっぽい笑みからは、自分への全幅の信頼と敬愛が伝わってくる。

あのネオン街で、思い詰めた表情で悪事を働いていた少女が、こんなにも柔らかに笑うようになったのだ。

自分は確かに、救えたのだ。そして自分もまた、彼女に救われている。

極道の世界で生きたって、どれだけ血に濡れたって、互いに寄り添っている限り彼女も自分もきっとーー。


「……アホ、何べんも言わすなや。わしゃ勝に男で勝男やねん。魚の鰹ちゃうちゅーねん」


二人分の笑い声で心地よく空気が揺れ、最後の陽の滴が、ぽたりと地平線へ落ちた。もう、この逢魔が時に惑わされることはないだろう。



夕暮れのミステイク







2016.06.26

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