▼ 33.おやすみ
「…いい加減に泣き止んだら?」
「う…ひっく…っ、」
「はぁ……、泣きたいのはこっちの方ですよ…。組織に入って数年、あの人にならついて行っても良いと思っていたのに…。まさかこんなことになるなんて。」
結局フーゴはブチャラティにつかず、組織に残る道を選択した。
私とフーゴは隣同士座ってはいるものの、その間には微妙な距離が空いている。
ブチャラティたちがこの島を去ってから早一時間、きっと彼らは既にヴェネツィアを脱出し、次なる目的地へと向かっているだろう。
こうしている間にもブチャラティと私の距離はどんどん離れていく。
離れれば離れるほど、もう二度と彼に会えない気がして焦燥感だけが心の中を支配した。
いい加減泣きつくして流す涙もなくなったのか、いつの間にか私の涙は止まっていた。
「漸く泣き止んだ?全く、本当に泣き虫だな。」
フーゴの呆れたかのような言葉に再び涙が出そうになる。
だが突然彼が私たちの間に空いた距離を詰めるようにこちらへ近づいてきたものだから、驚きで涙は引っ込んだ。
彼は何も言うことはない。
チラリとその横顔を盗み見る。
思えばフーゴと二人きりになるなんて、これが初めてかもしれない。
数日間一緒に過ごす中で、アバッキオのような露骨な拒絶はされたことはなかったが、どことなく彼からは人を寄せ付けたくないような雰囲気を感じていたのだ。
何故フーゴは、ブチャラティについていかなかったのだろうか?私がフーゴのような力を持っていたら、絶対にブチャラティについていったのに。
そんな私の羨望の視線を感じたのか、フーゴはこちらへと顔を向ける。
「なに?僕の顔に何かついてる?」
「フーゴはなんで、ブチャラティについて行かなかったの…?」
私の言葉にフーゴはカッと目を見開いた。
やはり聞いてはいけないことだったのだろうか。思わず身を縮こませる。
「あなたは本当に無神経な女ですね。」
冷たいフーゴの言葉にうっと言葉を詰まらせた。
「なんでブチャラティは、こんな女を…。」
ぶつぶつと何かを呟きながらどこか一点を見つめているフーゴは怖い。
なんだかフーゴが突然冷たくなったような気がする。
いや、今までは皆がいたから気を使っていただけで、実は私のことをアバッキオ同様嫌っていたのだろうか?だとしたら悲しい。むしろアバッキオのように言いたいことをすべて言ってくれた方がありがたい。
今更になって彼の優しさが身に染みて分かった。
「ご、ごめんなさい…。」
ブチャラティに捨てられたことによって自分がすっかり弱くなってしまったような気がする。
ボスと対峙したときは、それこそ何だってできるような気さえしたのに。
今ではその辺の一般人にさえ勝てる気がしない。
「…安心しなよ。アンタが組織に狙われることは、たぶんもうないんじゃあないかな。今のボスの一番の目的は裏切り者であるブチャラティたちを始末することと娘のトリッシュを消すこと。だからブチャラティもここにアンタを置いていったんだ。
良かったじゃあない。晴れて普通の生活に戻れる訳なんだから。」
ハハッ、とフーゴは皮肉に笑ったかと思うと冷たい言葉を並べる。
そんな彼を見て私は気が付いた。
自分の不甲斐なさ、ブチャラティについていかなかったことへの後悔。
それが彼の瞳にはありありと現れていた。
「_____そんなに後悔するなら、ついて行けばよかったんじゃないの?」
ハッと気がついたときにはもう遅かった。私はフーゴに押し倒されるように馬乗りになられて思い切り首を絞められていた。
「なんなんだよ……。___ッなんなんだよ!!
お前に、たかが出会って数日のお前に、僕の何がわかるんだよッ!!僕は、組織の中でないと生きていけないんだッ!!」
フーゴは私の首に手を当てているだけで全く力は込めていなかった。
ポタリと私の頬に冷たい滴が垂れる。
フーゴの美しいアメジストの瞳からは涙が溢れていた。
「フーゴ……。ごめん。……ごめんね…。」
私は思わず目の前のフーゴを抱きしめた。
フーゴもブチャラティたちとずっと一緒にいたかったのだ。だけど、現実がそれを許さなかった。フーゴはたぶん、この中で誰よりも聡い人間だった。
だから感情よりも、理性がそれを止めた。
ただただ感情のままに泣く彼を、もう怖いなんて思わなかった。
◇
どれくらい二人で抱き合って泣いただろう。
お互いがお互いの顔を見て、思わず笑ってしまう。
「ナマエ、酷い顔だ。これじゃあブチャラティが逃げていくのもわかる。」
「…フーゴこそ。せっかくのイケメンが台無し。」
再び二人で微笑み合う。
涙が出尽くして少しは笑う余裕も出てきたようだ。
フーゴは私のほうへ向けていた身体を海のほうへ向け、遠くを見つめながら口を開く。
「僕はさ、割と裕福な家の生まれでさ、何不自由なく育てられた方だったと思う。」
「へぇ…。いいな。私なんて貧乏田舎暮らしだったよ。ブチャラティもだけど。」
「ブチャラティが?…想像できないな。彼が貧乏で田舎暮らしだってのは。ナマエ、君なら分かるけど。」
フーゴの軽口に私は彼の背中を軽く叩く。
それに彼は謝りながら笑ったかと思うと再び話を始めた。
「こんなこと言うと嫌なヤツって思われるかもしれないけど、割と僕は何でもそつなくできる子供だったんだ。勉強もそうだった。一度見れば大抵のことはなんでも覚えることができた。初めはただ、両親が喜んでくれるのが嬉しかったんだ。だけど、その大きすぎる期待が負担でもあった。思えばそのころからだったと思う。両親を殺してやりたいって衝動が時々湧いて溢れ出そうになるんだ。」
私はフーゴの話をただ黙って聞いていた。
「13歳で僕は大学に入学した。名前は言わないけど…、たぶん君も知っているくらい有名なところだよ。
……まぁそこで色々あってね。キレた僕は教師を半殺しにしちまったんだ。笑えるだろ。」
ハハッと自嘲的に笑うフーゴに私は首を振った。
ギュッと彼の手を握る。そうしないと不安定な彼が壊れてしまうような気がした。
フーゴは再び泣きそうな顔をしたかと思うと震える声で話を続ける。
「……それから両親は僕のほうを見向きもしなくなったよ。今までうざったいぐらい過干渉だった癖してさ。もう殺したいなんて気持ちすら起こらなかった。この人たちに何をいっても無意味、そう思えるようになったから。そのうち家を追い出されて……、行くところがない僕に手を差し伸べてくれたのがブチャラティだった。」
フーゴの手に力が籠った。
彼は後悔しているのだ。ブチャラティについて行かなかったことを。自分を責めている。
「僕にアンタくらいの強い気持ちがあったらな。」
「私にフーゴのような強い力があったら、良かったのに。」
お互いに言葉が被って一瞬顔を見合わせた後、私たちは再び笑い合う。
「僕たちって本当に似た者同士だな。偶然にも年齢も一緒だし。」
「本当。…もっと早くにこうして話せていれば良かったな。」
ふと港にある時計に目をやった。
ブチャラティたちがここを出発してから早3時間。
もう彼らがどこに向かったのかを知る術は、私にはない。
「そろそろ行くか。」
立ち上がったフーゴに私は首を傾げる。
「家に、返るんだよ。ナマエは学校あるんだろう。ネアポリスまで送っていくよ。」
フーゴの言葉に目を見開いた。
『家』に返る。学校に行く。それは日常に返るということ。
たった数日前までは普通にしていたことなのに、今では遠い昔のことのように感じる。
そうだ。元々私がこの旅を始めた目的は突然奪われてしまった『日常』を取り戻すことだったのだ。
それがこんなにもあっさりと戻ってくる。
嬉しいことのはずなのに、あまり嬉しくはなかった。
それほどまで私はこちらの世界のことを深く知ってしまった。
「…ちょっと、顔洗ってくるね。」
「そうだな。その顔じゃあ化け物かと思って皆が振り返る。」
フーゴの軽口に私は思いきり彼の背中を叩いてから少し離れた公衆トイレへと向かう。
「フーゴの馬鹿!」
「ハハッ!早く顔洗ってきなよ!船着き場で僕は待っているからさ。」
そんなフーゴのほうを振り向きつつ私は彼に向かって手を振った。彼も私に答えるように手を上げてくれる。
「…あれ?あんな船、あったかな?」
フーゴは見慣れない船がすぐそばに止まっていることに気がついた。
しかしそろそろ時刻も午前10時を回る。観光客の一人や二人いてもおかしくないだろうと、特に気にすることもなく船着き場へと向かった。
◇
「うわっ、腫れてる…。」
鏡越しに見た自分の顔に思わずドン引きする。
あれほど泣いたのだ。仕方ないと言えば仕方がない。だけど一緒に泣いていたフーゴは別段変わった様子もなかった。なんでだろう。イケメンだからか?
とりあえず腫れた顔を冷やすために顔を洗う。冷やせばこの顔も幾分かマシになるだろう。そう思って人がいないのをいいことにバシャバシャと洗い続ける。
顔を拭こうとポケットからハンカチを取り出そうとした瞬間、私は自分の失態に気が付いた。
そう、ハンカチがなかったのだ。
もしかしてカバンと共にあの船に置いてきてしまったのだろうか。
濡れた顔を上げられずどうしたものかと頭を悩ませる。
「…?フーゴ……?」
途方に暮れていた私の手の上に何かハンカチのようなものが乗せられた。
こんなことをするのは一緒にいたフーゴ以外にいないだろう。
また何か皮肉を言われるだろうとは思ったが、ありがたくハンカチを使わせてもらう。
「ありがとう。フーゴ。ハンカチどこかに置いてきちゃったみたいで…。
でもさ、ここ女子トイレなんだけど。助かったけどさ………、
______え?」
顔を上げてそちらを見上げた瞬間、私は受け取ったハンカチを床に落としてしまった。
そこにいたのはフーゴではなかった。
ハニーブロンドの、左右非対称な髪の毛、この男は確か___、
身の危険を感じて一歩後ずさる。
「ナマエ、やぁっと見つけたよ。」
獲物を見つけた、とでもいうように目の前のメローネは舌なめずりをする。
男が一歩近づいた瞬間、私ははじかれたようにトイレの出口へと向かった。
出口まで行けばフーゴに助けを呼べる___、
しかしそれは甘い考えだった。
ドン、と何かに思い切りぶつかったかと思うとその何かによって私は身動きを封じられる。
「ギアッチョ。しっかり掴まえてろよ。」
「てめぇに言われなくてもわかってらぁ!!オイ、こら女ッ!テメェよくも逃げやがったなぁ!!」
耳元で大声で叫ぶ男に思わず顔を顰める。
慌てて私は叫ぼうとした。
「___フーゴッ!!たすけ、んぅ!!」
ギアッチョと呼ばれた男の手が口を塞いでしまい声を出せなくなる。
この男は確か、氷のスタンドを使う男だ。あの時の痛みと冷たさを思い出して思わず身を震わせる。
「あぁ、かわいそうに。震えているじゃあないか。それに目が赤い…。泣いていたんだな?ブチャラティたちに置いて行かれて泣いていたんだな?」
顔が触れ合いそうなくらい近くに男の顔が近づいて、そのサラサラの髪の毛が顔にかかる。
身を逸らそうにも後ろにはギアッチョという男がいるため抵抗することすらできない。
突然迫った身の危険に、私はなす術もなかった。
「そう、抵抗はするなよ。俺たちも女の子に手荒な真似はしたくない。だけど暴れられると面倒だから少し眠っていてね。」
目の前の男はそう言うと私の口にハンカチを当てる。
「ん……、ぅ…」
「そう。いい子だから、ゆっくりお休み。
____目覚めた時地獄じゃないといいね。」
男の冷たい声を最後に、私の意識はプツリと途切れた。