▼ 29.運命の島
ブチャラティたちは小舟に乗って目立たぬようにある島へと向かっていた。
ヴェネツィアのすぐ傍にある『サン・ジョルジョ・マジョーレ島』。ボスの指令はこの島で終了する。たった一つの教会から成る島で、その島には一つの大鐘楼がある。その塔の上までトリッシュを連れてくること、それがブチャラティたちに課せられた最後の指令だった。
ディスクに入っていた内容は以上のものだった。
@島に上陸できるのはトリッシュと護衛一人のみ。
A護衛の者はナイフ、携帯電話、銃などあらゆる物の所持を禁止する。
B島にはディスクを確認してから15分以内に上陸しなくてはならない。
C護衛の者以外は船の上で待機すること。島に上陸することすら許さない。
「ブチャラティ、ナマエさんの様子は…?」
亀から一人出てきたブチャラティにジョルノは声をかける。
「疲れ切って眠っている。寝かせておいてやろう。」
「…ですが。新たな場所に行くなら彼女には起きていてもらった方がいいのでは…、」
「くどいぞ、ジョルノ。俺はもう、これ以上ナマエを戦わせるつもりはない。」
ブチャラティの強い口調に全員が驚いたように息を飲む。そしてジョルノは悟った。先ほど自分が考えた仮説はあながち間違っていなかったのだと。
(ブチャラティ、あなたはナマエさんのことを……。)
そのことに気がついたからと言って、ジョルノがブチャラティの決意に対して口を出すなんてことはできなかった。
誰も何も言うことはない。船は5分もしないうちに島へとたどり着いた。
『サン・ジョルジョ・マジョーレ島』。観光地として名高いこの島だが、何故か今日は人っ子一人として見当たらない。これもボスの力なのだろうか。
「ブチャラティ。僕が彼女の護衛に志願します。」
ボスのもとまでトリッシュを連れていくという大役。当然この場にいる誰もがブチャラティが適任だと思っていた。だがその空気を打ち壊すように名乗りを上げたのはジョルノ。
そんなジョルノに当然の如くアバッキオは苛立ったように口を挟んだ。
「なんで幹部のブチャラティを差し置いて新人のテメェがそんな重要な任務を任されると思う?勘違いもほどほどにしろよ!」
ジョルノはアバッキオの言葉を無視してまっすぐにブチャラティを見つめる。
「ブチャラティ。本当にいいんですか?何も言わずに、行ってしまって。」
まっすぐなジョルノの瞳を受け止めるようにブチャラティは彼の目から視線を逸らさなかった。
ブチャラティはそんなまっすぐすぎるジョルノを見てふと笑ったかと思うと、一つ口を開いた。
「…ジョルノ。最後の任務が上手くいくように、お前のその『てんとう虫』のお守りをを貸してくれないか?」
「……?」
「てんとう虫は『太陽の虫』。生命の象徴だったよな。『お守り』なんだろ?そのブローチ。」
「……ええ。そうでした。これは大切な『お守り』です。分かりました。ブチャラティ。これをあなたに預けます。確かに預けましたよ。必ず生きて、この船に戻ってきてくださいね。……彼女のためにも。」
ジョルノから受け取ったてんとう虫のお守りが、生命を持ちブチャラティの手の中でドクンと心臓の音をさせた。
他の誰もが何をしているのか分からなくて首を傾げる。最後のトリッシュをボスに引き渡すだけの、今までの任務に比べたら極々簡単な任務。何故彼らがこれほどまでに慎重になるのかが、他のメンバーには分からなかった。
「すまないな。さぁ、いくぞ。トリッシュ。」
「ナマエにちゃんとお別れを言いたかったわ…。」
先に島に上陸したブチャラティが、船の中のトリッシュに向かって手を差し出す。トリッシュはブチャラティの手に掴まり彼に引き上げられるようにして上陸した。
「すまないがその時間はない。なに、生きていれば必ずまたどこかで会えるさ。」
「…………そうね。」
一歩教会に向かって踏み出そうとしたブチャラティ。しかし何かに呼び寄せられるかのように、今一度皆の乗る船へと振り返る。
「___ナマエを、頼んだぞ。お前たち。」
ブチャラティの真剣な表情にジョルノ以外の全員が頷いた。
彼の言葉の表面だけ汲み取れば、「当たり前だ」というような反応になるだろう。
だがジョルノはそんな彼の言葉に言い知れぬ不安を感じた。
まるで最後の別れの言葉のような、嫌な重み。
トリッシュと共に大鐘楼へと入っていくブチャラティの後ろ姿が見えなくなると、ジョルノは勢いよく立ち上がった。
「ジョルノ!?急に立ち上がるなよ!船がひっくり返ったらどうするんだ!?」
「なにか、嫌な予感がします…。ナマエさんを、起こさなくては…!」
「おい、さっきから何を言ってやがるんだ?ナマエを起こす必要はねぇだろ。」
「アバッキオ!まだ分からないんですか!?この場所、『サン・ジョルジョ・マジョーレ島』は、ナマエさんが言っていたブチャラティが死ぬ場所と酷似しているんだ!!早くしないと、取り返しのつかないことになる…っ!!」
ジョルノが亀の中へ入っていこうとしたときだった。
「その必要はないよ。ジョルノ。」
ジョルノが今まさに入ろうとした亀の中から出てきたのは彼が起こしに行こうとしていたナマエ本人だった。
「ここだよ。間違いない。忘れるはずもない。皆、早く上陸してブチャラティを助けに行こう。」
ナマエは船から陸へと勢いよく飛び移ろうとする。
しかし自分が向かおうとした方向とは逆の力が働いて逆に船の中に引き戻された。
「___っ!!」
背中からぶつかるのを覚悟したが、どうやら誰かが後ろから支えてくれているようだった。
「…フーゴ?」
彼の手が私の腕を掴んでいることから、先ほど上陸しようとした私の身体を船へ引き戻したのは彼だろう。
何故そんなことをするのか分からず困惑する。
「どうしたの?離して…。早くブチャラティを、助けに行かないと…!」
ギリギリと私の腕を掴み上げるフーゴの様子はおかしい。彼は異様に汗をかいて、何かを恐れているかのようだった。
「上陸できるのはトリッシュとその護衛ただ一人。他の誰かがこの島に上陸した時点で僕たちは組織に仇なす者とみなされるんだぞ……!
お前はそれを分かってやっているのか!?」
初めて間近で見るフーゴの怒りの表情に一瞬のうちに覇気を奪われ萎縮する。
それほどキレたフーゴは恐ろしかったのだ。
「おい!フーゴ!なにもナマエにキレることはないだろ…!」
ミスタのフーゴを咎める声が響く。しかしフーゴはそんなことはおかまいなしにギリギリと腕の力を強めた。
「そんなことを言っている場合ではありません!早く行かないとブチャラティが…っ!!」
「ジョルノ!!分からないヤツだな!!船から降りたら僕たちは組織に追われる立場になるんだぞッ!!」
「落ち着けテメェら!!」
「なんだよーー!!どうすりゃあいいんだよ!!」
どうしよう。完全にバラバラだ。
フーゴは私が船を降りようとするのを許さず、手加減なしで思い切り手首を握りしめていた。強く掴まれた手は私の力では振りほどけそうにない。
こんなことをしている間にもブチャラティは一歩、今一歩とあの夢の結果へと近づいているのだ。
嫌だ。ブチャラティが死んでしまう。
どうしよう、どうしよう!焦りがピークに達しようとした時だった。
「ニャーン」
突然船の上からした猫の鳴き声に全員がそちらを振り返る。
確かにそこには一匹の猫がいた。だがおかしい。私たちの誰も猫が船に乗ってくるのに気がつかなかったのだ。しかもジョルノの膝には猫が歩いたような足跡がある。そのことに一番驚愕しているのはジョルノ本人だった。
「なんだ…?何か、おかしい。」
ジョルノの言葉に私は自分のスタンド能力を発動する。
ほんの数十秒先の未来でいい。一体これから何が起こるのか。
映像が私の脳内で再生される。
何かに驚いた猫は、船から逃げ出す瞬間一番近くにいたフーゴの手を思い切り引っかく。
反射で私から手を離すフーゴ。その隙に私は船から降りて大鐘楼に向かって走っていった。
ハッ!と数秒で現実に引き戻される。
(ごめんね!猫ちゃん…!!)
心の中で謝りながらフーゴの足元にいた猫の尻尾を軽く踏んだ。
「に"ゃあっ!!」
猫は突然の出来事に驚いたようで飛び上がったかと思うと、一番近くにいたフーゴの手を思い切り引っかいた。
「っつ…!!」
痛みの声を上げたフーゴは一瞬私を掴んでいた手を離した。
その隙を逃さず私はスカートが捲れ上がるのもかまわないで船から島へと飛び降りる。
問題はここからだ。何の訓練も受けていない私が、この場にいるみんなから逃げることなどまず不可能だろう。なのに能力で見た未来では、私は誰にも掴まることなく大鐘楼へと向かっていたのだ。
チラリと船のほうを振り返る。
しかしそこには驚きの光景が広がっていたのだ。
時間にして数秒か。皆の動きが先ほどのままで止まっていた。
フーゴは猫に引っかかれた手をかばうこともなくされるがままになっているし、その猫もフーゴをひっかいたというのになんともないというような顔をして船に寝そべったまま止まっている。
他のみんなにしても同様だった。
それだけじゃない。空を飛ぶカモメも、飛ぶことを忘れてしまったかのように静止している。
時計は動いているから時間が止まっている訳じゃない。
ただこの島にいる私以外の生きとし生ける者、すべてが時間を刻むことを忘れたかのように静止していた。
誰の能力なのかは検討もつかないが、それを見た私は一瞬で理解した。
きっと未来予知で見た私はこの時間を使ってブチャラティの元へ向かったのだ。
走りだした瞬間に船の上の全員の困惑した声が響いた。
「いっつ…!あれ?僕はいつこんなケガを…?」
「ナマエ…!?どこへ行く!?フーゴ!てめぇなんでナマエの手を離してる!?」
「!?馬鹿な…!?僕は一瞬たりとも彼女の手を離してはいない!!
…クソッ!!ナマエ!待て!自分が何をしているのか分かっているのか!?」
フーゴの怒声を背中に受けながらも私は振り返りもせずその場を走り去った。
「おかしいぜ!俺にはナマエが船から突然あそこにワープしたようにしか見えなかった!何かのスタンド攻撃か!?」
ミスタが叫んだ瞬間今度は大きく船が揺れた。
ジョルノは迷うことなく船を蹴り上げて上陸するとナマエの後を追おうとする。
「おい!ジョルノ!!テメェまで!!自分が何をしているのか分かってるのか!!」
アバッキオの言葉にジョルノは一度船のほうを振り返ると、今まで見たことがないような切羽詰まった顔をして怒鳴る。
「あなたたちこそ、こんなところで何をしているんだ!!ブチャラティを死なせたいのか!?僕は自分の信じる心に従う!!」
止める間もなく今度はジョルノが船から飛び出していってしまった。
「なんだよ……。一体何が起きてるってんだよ!?俺たちだってブチャラティを死なせたい訳ねぇだろ!!」
ナランチャが苛立ったように大声を上げて船の縁を思い切り蹴る。
寝ていた猫はその音に驚いて慌てて船から飛び出して島へと戻っていった。
「…分かってないんだ。組織を敵に回すということがどういうことか。僕らは組織の中でしか生きていけない…。それなのに、あいつらは……。」
ぶつぶつと呟くフーゴは完全に我を失っており暗い瞳でジョルノたちが走り去った方向を見つめる。
「__どうする?」
ミスタの乾いた声が辺りに響く。
訣別の瞬間が、近づいてきていた。