▼ 15.決着
「うぅ……っ、ブチャラティ……ッ」
ブチャラティが落ちていったジッパーはすっかり閉じて、そこにはもはや何もなかった。
自分の力なさが悔しい。ブチャラティを守るどころか自分の身を守ることすらできず、結果彼を危険な状況に追い込んでしまった。
能力で彼が生きていることはわかる。しかしそれでもギリギリの状態でプロシュートにしがみついているのには変わりない。
「そうだ!電車を止めれば…!」
運転席へと近づくがそこでまた頭を抱えた。
「どれがスイッチなの…!?」
素人が電車に無数についている計器のことなど理解できる訳がなかった。変なボタンでも押してこの運転する人間がいない電車を更に暴走させてしまえば、私たちはおろか、他の乗客たちもただではすまないだろう。
「あっ!亀…。よかった。みんな無事だったのね…。」
ノソノソと運転席の影から出てきた亀を発見して私はひとまずホッとし、それを抱えた。
「う、うぅ…。」
そうだ。ブチャラティに蹴られて気を失っていたこのペッシという男のことをすっかり忘れていた。
ここにいてはまた捕まってしまうか、運が悪ければ今度は殺されるかもしれない。
男が完全に目を覚ます前に、私は亀を抱えて運転席を後にしようとした。
しかしその瞬間私の中にふとした疑問が浮かんだ。
(逃げてどうする…?)
この狭い一方通行の電車の中、逃げる場所なんてほぼないに等しい。
それに私たちのために命をかけてくれたブチャラティをこのまま放っておいて、自分だけが隠れているなんて真似、できるわけがなかった。亀を一両目の入ったすぐの座席の下に隠す。
「見つからないように隠れててね…。」
すると私はすぐに運転席のほうへと戻り、未だ呻き声を上げて寝ているペッシの肩を揺さぶった。
「お、起きて…。起きてください…!」
「う、ううん……?ハッ!!オレは一体…。そ、そうだ!兄貴!電車を止めないと!!」
「落ち着いてくださいっ、素人の私たちに電車を止めるのは難しいです!それよりももう時間がない…。
あなたのスタンドで二人を掴んでください。」
「な、なんだお前は?突然……。オレはお前たちを殺しに来たんだぜ?そんなこと頼まれたってすると思うのか?」
ペッシの言うことはもっともだ。敵である目の前の男にこんなことを頼むなんて我ながらどうかしていると思う。
「あなたがやらなきゃ仲間のあの方も死ぬことになるんですよ。あの人が言っていたように私のスタンドは未来を見ることができる。このままだとあの人は死にます。」
「な、なんでテメーにそんなことが分かるんだよ!妙なこと言ってんじゃあねぇぞ!あ、兄貴が、プロシュート兄貴が死ぬはずがねぇっ!それに俺にはわかる!テメーは俺がビーチ・ボーイを使っている間、無防備の隙を狙って俺に攻撃を仕掛けてくるつもりだろう!」
「私にそんな力があったら、あの時みすみすあなたたちに捕まったりはしません。私だって敵であるあなたにこんなこと…、頼みたくない。あなたがブチャラティを助けるなんて保証はどこにもないんだから。だけど、それしか方法がないんです!時間がありません!このままだと二人は揉み合って電車から転落します!」
「ックソォ!!兄貴ーーーー!!」
ペッシは電車の壁に向かって釣り糸を放つと、糸は壁を透過して外へと向かっていった。
どうやらビーチ・ボーイは何かを捕らえたようで、撓んでいた糸がピンと張る。二人分の体重に引きずられるように、ペッシは壁に叩きつけられそうになった。
私は慌ててペッシを後ろから支える。
「と、捕らえたぜ…!二人分の体重……、二人ともまだ電車にしがみついている。い、言っとくけどよぉ、ここでオレを後ろから殴ったりしたらブチャラティは死ぬぜ…。」
「分かってる!とにかく二人を引き上げて!」
しかし私は一番肝心なことを忘れていた。ペッシもそれに気がついたようで、ハッとした表情になる。
「お、おい…。なんだかよぉ…。当たり前っていっちゃあ辺り前の話なんだが、二人は俺の針を巡って揉み合っているようだぜ…!」
そりゃあそうだろう。外の二人にとってみればペッシのこの釣り糸はまさに天国からの一筋の蜘蛛の糸。
それが敵対する二人の目の前に突然現れたとなってはどうなるかは目に見えている。
私はブチャラティを助けたい。だが釣り糸の主であるペッシはプロシュートを助けたい。もしもブチャラティがペッシの糸を奪い、プロシュートを殺したとしたら、目の前のペッシはもはや黙ってはいないだろう。一見弱そうに見えるペッシのスタンドだがそれは全くの勘違いだ。静かに、素早く標的の息の根を止める。ビーチ・ボーイほど暗殺に向いているスタンドは他にあまりないだろう。ブチャラティがプロシュートを殺してビーチ・ボーイの釣り糸を掴んだら、ペッシはミスタのときのようにブチャラティにその針を向ける。そういうことだ。
私は次の行動を起こすべくペッシから離れて後ろの車両に足を向けた。
「少しの間一人で踏ん張ってて!」
「オイ!どこに行くんだよ!」
私は壁を透過する釣り糸を追って後部の車両まで来た。
プロシュートに押し込まれた氷はいつの間にか溶け、更にはミスタから受け取った氷ももうほとんど溶けかかっている。私の老化が始まるのも時間の問題だ。
(どうか間に合って…!)
祈るような気持ちで列車の窓を開け放つ。その瞬間だった。
緊張からか無意識のうちに能力を使っていた私には窓の外でこれから起こることがよくわかった。
「掴まって!!」
自分の手では届かない。スタンドを出現させて私はその男の手を掴んだ。
そう、今まさに時速150qで地面に叩きつけられそうになっていたプロシュートの手を。
「あっ、ぐっぅ……っ!」
私のスタンドにブチャラティのスティッキィ・フィンガーズほどのパワーがあればよかったのだが、現実はそう甘くない。列車の走るスピードで吹っ飛ばされた男を、やわな自分が支え切れるはずもなく肩が悲鳴を上げた。
しかし一瞬でもその手を掴んだだけでも男にとっては十分態勢を整える機会になったらしい。自分のスタンドで窓を掴むことに成功したようだった。そのままプロシュートは私が身を乗り出していた窓から息を切らして車内へ入ってきた。余程憔悴したのか、息を切らしたまま彼はすぐそこの床に座り込んでしまった。攻撃を仕掛けてくる様子もないため私も少し離れたところで様子を伺う。やがて彼は座り込んだままゆっくりと口を開いた。
「……なぜ俺を助けた?」
「え…?」
「恍けるんじゃあねぇ。まさか俺をブチャラティと間違えて助けた、なんてことはあり得ないだろう。貴様のスタンドは未来を見ることができるようだからな。」
プロシュートの鋭い眼光が突き刺さる。彼だって電車の外でブチャラティと揉め合って無傷という訳ではない。どこかに強くぶつけたのか右腕は変な方を向いているし、頭からは血を流している。大けがを負っているというのに先ほどと変わらぬその態度、その精神力はすさまじいと言わざるを得ない。
「……ブチャラティを助けたかったから、です。そのためには、あなたも助ける必要があった。……それだけです。」
「……ペッシを利用するためにか。」
「…………スタンドを、解いてください。私が見た未来では、本来あなたは死ぬはずでした。そしてブチャラティだけが生き残る、そういう先が見えました。」
「…テメェ……、俺に恩を売ろうって言うのか?」
私の言わんとすることが理解できたのか、プロシュートは苛立ちを隠そうともせず声に出す。目の前の男は暗殺者なのだ。重傷を負っているとはいえ私なんぞ赤子の首を捻るのと同じくらい簡単に始末できるだろう。恐怖で震えが止まらない。だけどここで引くわけにはいかなかった。
「…ギャングは義理堅いと、受けた恩は絶対に忘れないと私の仲間が言っていました。それともプロシュートさんは、ただの人殺しなのですか?」
震える身体で必死に訴えかける。目の前の彼はきっと全くの悪い人間と言う訳ではない。嫌な人だったらきっとあれほど部下に慕われたりはしないだろう。
この男をどうにかしないと亀の中の皆、それに周りの乗客たちは死んでしまう。そのためにもここで引くわけにはいかなかった。
プロシュートがゆっくりと立ち上がるのに驚いてビクリと身体を揺らす。そしてゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。先ほどの殴られた記憶もあり、今度は拘束などされていないはずなのに身体が金縛りにあったかのように動かなかった。
「チッ……。この俺がこんな小娘に借りを作っちまうなんてな。」
その瞬間一気に身体が軽くなる。全身の倦怠感がなくなり言葉通り本当に若返ったかのようだ。
周りの乗客たちも今だ気を失ってはいるものの、徐々に若返っているように見える。
「プロシュートさん…、能力を…?」
「興ざめだ。ブチャラティと話をつけに行く。オレは『ギャング』なもんでな。」
その時だった。今までスピードを出して走っていた列車が突然急ブレーキがかかったかのように止まった。
私もプロシュートさんも疲労していたこともあり、突然の出来事に反応できずに床に転がる。
「だ、だれが列車を…!?」
「俺は今能力を解除したところだぜ。動けるヤツなんて二人以外いないだろう。」
プロシュートさんが開いた窓から外に飛び出したのに私も続く。
少し離れたところには、外で対峙するブチャラティとペッシの姿があった。
「な、なんで二人は戦って…」
「あの状況、ペッシの奴からすりゃあ俺がブチャラティに落とされて死んだと勘違いしてもおかしくねぇ。能力も解除しちまったしな。逆にブチャラティのヤツは姿の見えないお前に何かがあったのではないかと考える、ってところか。」
彼らはこちらに気がついていないようでなおも戦い続ける。ペッシの放った釣り針はブチャラティの足に突き刺さり、そこからはおびただしいほどの血液が噴き出す。
「ブチャラティッ!!」
私はほとんど衝動的に駆け出していた。
なんとかして二人の戦いを止めないと。今は私たちにも彼らにも戦う理由はないのだから。
「ナマエ…!?無事だったのか……!」
ブチャラティも無事で本当によかった。一瞬彼の顔を見て涙が溢れそうになった時だった。
素早い何かが私の周りを囲い、私はそれに巻き取られ拘束された。
「きゃあっ!!」
「このアマ〜!よくもオレを騙してくれたなッ!よくも兄貴をッ!!」
ブチャラティに向いていた釣り針を今度は拘束して捕らえた私にペッシは突きつけた。
こんなもので胸でも貫かれたら私は一たまりもないだろう。
「聞いて!プロシュートさんは生きている!」
「よくもそんな酷い嘘をッ!許せねぇ!ブチャラティ!この女を殺されたくなかったら、ボスの娘を渡せっ!この任務を遂行する!それが兄貴へのせめてもの贐になる!」
完全に興奮して我を忘れている。きっと今の彼には怒りで周りを見る余裕もないのだろう。
「貴様…っ!女を盾にとるとは…、俺はそういう卑怯な野郎には手加減できねぇ……。その覚悟はてめぇにあるのか…!?」
「ブチャラティ…。」
ペッシの緊張が糸を伝わってよくわかる。彼は今、ブチャラティの威圧感に恐れをなしている。
ブチャラティはスティッキィ・フィンガーズの射程距離内にペッシをなんとか入れようと自ら動いた。
しかしそれがよくなかった。恐怖で我を忘れた人間は時によって訳のわからぬ行動をするものだ。
「う、うわぁああああっ!!」
「や、やめろーーーーっ!!」
「っ!!」
ペッシは私に向かって針を打ち込もうとその先端を向けた。痛みを覚悟して私はギュッと目を閉じる。
だが数秒待っても痛みは一向に訪れない。
恐る恐る目を開けるとそこには驚くべき光景が広がっていた。
「プ、プロシュート、さん…?」
プロシュートがまるで私をかばうかのように目の前に立ちふさがっていたのだ。
彼の手には深々とビーチ・ボーイの釣り針が刺さり貫通している。
「き、貴様、なにを……、」
ブチャラティも突然のプロシュートの登場と驚きの行動に、動くことも忘れて見入ることしかできなかった。
「あ、兄貴……。」
ペッシは自分が攻撃したのが、死んだと思っていたプロシュートだと確認すると慌てて針を抜き、涙を流して走り寄った。
「兄貴!生きていたんだね!プロシュート兄貴!!___グハァッッッ!!!」
走り寄ってきたペッシの腹にプロシュートは容赦ないボディブローを叩きこんだ。
ペッシは気を失ったのか、ナマエを拘束していたビーチ・ボーイも消え去った。
同時にブチャラティは彼女を守るようにプロシュートとナマエの間へと入り込んだ。
プロシュートは特に気にした様子もなく、骨折していないほうの腕で気絶したペッシを担ぎ上げる。
「……テメェはまだまだマンモーニのペッシだったようだな。
ブチャラティ!ありがたく思いな。俺たちは一旦引いてやる。それでこの女に作っちまった借りはチャラだ。」
「…何故だ?お前たちにとって正体を知られることは致命的。本来なら俺たちは始末しておきたいはずだろう。」
「言っただろう。借りは返す主義だと。」
チラリとブチャラティが私のほうを見てくるが、私はそれに対して首を振ってこたえた。
それを見たプロシュートはフッ、と笑う。
「………甘い女だぜ、ナマエ。」
そう言うとペッシを肩に担いだプロシュートは、列車が向かっていた方向とは逆方向へと消えていった。
プロシュートの後姿が全く見えなくなった途端、ドッと疲労感が訪れて腰が抜けた。
「ナマエ!!」
それに気がついたブチャラティはナマエの腰をとっさに支える。
「一体何があったんだ…?まさか、あの暗殺チームの奴らが一旦引くとは…。」
「……ブチャラティのおかげだよ。私が頑張れたのは……。」
目の前のブチャラティの首へと抱き着く。
ブチャラティが戸惑ったのを感じたが、それも一瞬のことで、彼も私のハグに答えるように私の背に腕をまわしてくれた。
それだけで疲労感がすっとんでいってしまいそうな幸福な気持ちになる。
我ながら現金だなとは思ったが今日だけはいいよね、と、少し自分の気持ちに素直になることにした。