▼ 10.悪夢のような現実
ここはどこ?
私、一体どうしたんだっけ?
確かナランチャが怪我をして帰ってきて、これからどうしていくのがいいのかもめて…。
そうだ。それで無理をしすぎて倒れたんだった。
あれ?じゃあここは一体どこなの?
目の前には大きな教会のような建物。
辺りには誰もいない。
周りは海に囲われており、綺麗な場所だがずっとここに居るわけにもいかず、意を決して建物の中へと足を踏み入れる。
静かだ。やはり誰もいないのだろうか。
自分の足音だけが静かな塔の中に響く。
角を曲がると途端に嫌な臭いが辺りに立ち込めた。
この臭いは以前も嗅いだことがある。
嫌な予感を抱えながらも私は恐る恐る足を進めた。
丁度階段の下にあたる場所。
その付近にはおびただしいほどの血液が床に、壁に、階段に飛び散っていた。
「っ……!?な、にこれ……っ」
ここでなにかが起こったのは確実だ。
問題はこの血液がまだ真新しいということだ。
恐ろしくてたまらないはずなのに、何故か今の私には「絶対に確かめなければ」という強い気持ちがあった。
一つ一つゆっくりと階段を登る。
コツコツと私の足音だけが辺りに響く。
階段を登り切ったところで私は有り得ない光景を目にすることになった。
「………………え、」
私が見たのはそう、変わり果てたブチャラティの姿だった。
白いスーツは血塗れで元の色が分からない程に真っ赤に染まっている。
正気のない目は生きている人間のものではなかった。
彼が死んでいるのだと理解する前に私の口からは悲鳴が漏れていた。
◇◇
「ナマエの言った通り、ボスからの指令がきた。
ジョルノ、アバッキオ、フーゴ。お前たちはこれからポンペイの遺跡へと向かい鍵を手に入れて来るんだ。」
「どこにあるのかわからない小さな鍵を見つけるのはえらい骨が折れる作業だな。こんなときこそアイツに力を使ってもらいたかったもんだがな。」
アバッキオの言葉にブチャラティは答える。
「仕方ないだろう。体力が回復するまではナマエに力を使わせるわけにはいかない。」
アバッキオは「わかってるよ」と笑いながら一言言うとジョルノとフーゴを連れて隠れ家を後にした。
「ミスタ。ここで戦えるのは俺とお前しかいねぇ。気をぬくなよ。」
「わかってるよブチャラティ。ま、ムサイ野郎たちとこのクソ暑い中車で肩を付き合わすよりも、オヒメサマたちを守っている方がやる気も出るってもんだろ。」
「…ミスタ。まさかテメェ ボスの娘に手を出そうなんて考えてるんじゃあねぇだろうな?」
「いやいや!それはない!絶対ねぇ!たしかにトリッシュはイイ女だけどそんな命知らずなことが出来るわけねぇだろ!
そうじゃなくてよぉ、ナマエもなかなか可愛い顔してるだろ?トリッシュみたいにツンと澄ました美女もいいけどよぉ、ナマエみたいこれから自分の色に染めていける女ってのもいいよなぁ。なぁ、ブチャラティはどう思う?」
「………人選ミスだったかもしれんな。」
緊張感のないミスタにブチャラティは頭を抱えるしかなかった。
それから数十分の時が経過した。
ミスタは玄関前の車に乗り込み銃の手入れをしながら見張りをし、ブチャラティは先の件で落ち込むナランチャに声をかけて過ごしていた。
そんな時だった。
「きゃあぁあぁあ!!」
劈くような悲鳴が辺りに響いた。
二階からだ。ブチャラティは慌てて階段を駆け上がった。ミスタとナランチャもそれに続く。
「ねぇちょっと!!早く誰かきてちょうだいっ!!」
ナマエの部屋の扉が開け放たれておりそこからトリッシュの声が聞こえる。
そこには悲鳴を上げているナマエと、そんな彼女を前にして完全にパニックになっているトリッシュがいた。
「なにがあった!?」
「悲鳴が聞こえたからきて見たら、声をかけても全然反応してくれないの!」
立ち尽くすトリッシュの横をブチャラティは通り、泣きながら悲鳴を上げるナマエの背中に手を添える。
「ナマエ!ナマエ!!どうしたんだ!?」
「いやぁああぁ…!!」
「おいおい、一体どうしたってんだよ!?普通の状態じゃあねぇぞ!」
ミスタの言う通りだった。
ナマエの目の焦点は全く合っておらず、まるでここではない別の何処かを見て悲鳴を上げているようだった。
「な、なぁ、ブチャラティ!ナマエは大丈夫なのかぁ!?」
ナランチャも彼女の変わりように泣きそうになるなりながら声を上げる。
そんな中、ブチャラティは1人彼女が座るベッドに近づきその端へ腰かけた。
それでも泣いているナマエはブチャラティには気がつかない。
そんなただ泣き叫ぶナマエを驚かせないよう、ブチャラティはゆっくりと抱き寄せた。
「大丈夫だ、ナマエ。何も怖がることはない。俺はここにいる。」
その言葉に腕の中のナマエはピクリと反応した。
「ナマエ、俺がわかるか?」
「あ……、ぶ、ちゃらてぃ……。」
「そうだ。俺だ。大丈夫だ。俺が傍にいるからな。」
「い、生きて、る…?ブチャラティ、死んでない、よね?」
ナマエは恐る恐るといった様子でブチャラティの手を自分の手にとり、その体温や存在を確認しているようであった。
そんな彼女の不可思議な言葉に疑問を感じながらもブチャラティは今の彼女を不安にさせてはいけないと思い問い詰めるようなことはしなかった。
「ああ。俺は生きている。今度は黙ってお前の傍からいなくなったりはしないさ。」
するとナマエは少し落ち着きを取り戻したのか「よかった」と言い再びハラハラと泣き始めてしまった。
ブチャラティはミスタ、ナランチャ、トリッシュに2人にしてほしいと視線を投げた。
全員がそれを汲み取り部屋にはブチャラティとナマエだけとなった。
「…ごめん、ブチャラティ。私、取り乱したりして…。」
「構わないさ。お前はここ数日でスタンド使いになっただけでなく、色々なことが一辺に起こりすぎた。………今までよく耐えてきたな。」
ナマエは真っ赤に泣きはらした大きな目をこちらに向けて、何かを言おうと必死に言葉を探しているようだった。
「ねぇ、私、変な夢を見たの…。ブチャラティが血まみれで、死んでいる夢……。あ、あれはただの夢なんかじゃない!本当に、本当に私の目の前でブチャラティが死んでいた…っ!」
ブチャラティはただ夢を見ただけとは説明がつけられない彼女の状態に、ある一つの答えを考え付く。
彼女の能力は未来を見ること。その夢はいわゆる予知夢というやつではないのか。これから先、いつかは分からないが未来に起こる出来事を夢で見るもの。
だがその仮説を話せば彼女は再びパニックに陥るだろう。ブチャラティは自分が近い将来死ぬかもしれないとショックを受けるよりもそのことを気にした。
どうするべきか、どう声をかけるべきなのかと考えを巡らせていたときだった。
スルリ、と彼女の小さな身体がブチャラティの腕の中で動き、抱き着くような形で彼の背中へ手が回る。
自分の胸に顔を埋めた彼女はどこか安心したような、けれども葛藤するような表情を浮かべていた。
「ナマエ……?」
「ブチャラティ…、生きてる…。」
「今は生きているのに、」彼女は苦しそうな顔をして呟いた。
その表情にブチャラティは気がついた。彼女は自分よりも、誰よりもその夢がただの夢ではないと知っていたのではないか、と。
「ナマエ、俺は……、」
俺の夢を叶えるまでは死ねない、そう言おうとした言葉は口から出てこなかった。
確証もないことを安易に口にしても今の彼女に届くとは思えない。
数年前だがえらく古く感じる記憶、制止する幼い彼女の気持ちを無視して一度は裏切ったのだ。それが彼女を思うためだったとはいえ、ブチャラティの中にはもう彼女に嘘をつきたくないという思いがあった。
「____ブチャラティ、私決めたよ。」
その凛とした声にブチャラティは一瞬誰の声かと辺りを見回した。
勿論その声の主は自分の胸に縋りつく彼女しかいない。
しかしその声色は先ほどまで泣き叫び、震える彼女と同じものとは思えなかった。
ナマエはブチャラティの腕の中から抜け出て、まっすぐに彼の顔を見つめる。
「私、ブチャラティに死んでほしくない。だからお願い。このまま私も一緒に連れて行って。」
驚いた。
記憶の中の彼女はいつも自分の後をついて回っていた。「ブチャラティ、ブチャラティ」と。あの頃自分がいなければ何もできなかった彼女。そんな彼女を自分も妹のように、家族のように可愛がっていた。
自分が護らなくては、あっという間に死んでしまう、脆くて儚い存在だと思っていた。
いつの間に彼女はこれほどまでに成長していたのだろうか。
ブチャラティの中の彼女は、あの幼いころの記憶のままで止まっていたのだ。
しかしその強い瞳にその考えが間違っていたことを思い知らされた。
凛としたその強い瞳に、思わず引き付けられた。
「……ナマエ、お前。」
「ブチャラティやアバッキオたちが嫌だって言ってもついていくよ。だってあの夢を実際見たのは私だけだから。」
そう、ブチャラティは彼女の安全を考えて、彼女のスタンド能力の全容が分かったらここよりもっと安全なところで事態が落ち着くまで過ごしてもらうつもりでいた。
だが彼女はそんなブチャラティの考えをまるで見透かしたかのように、自分も一緒についていくと宣言した。
だが一般人の彼女をこれ以上ギャングの世界に巻き込むわけにはいかない。この先敵のスタンド使いとの戦闘は避けては通れぬ道だろう。敵に自分たちの仲間だと思われてしまえば、そこからはもう彼女がいくら否定したところで自分たちのチームの一員だという認識は覆らない。後戻りできなくなってしまうのだ。
だからあえてブチャラティは強い口調で言った。
「…本気で言っているのか。この任務は遊びじゃあねぇ。下手すりゃあ俺だけじゃあねぇ。お前だって命を落とす可能性があるんだ。分かるだろう?」
自分を守るために彼女が怪我を負ったり、死ぬことなどあり得ない。それはブチャラティにとって許し難いことだった。
しかしそんなブチャラティの内心も見透かしたようにナマエは穏やかな口調で言った。
「………ブチャラティは、やっぱり優しいね。自分が死ぬかもしれないのに人の心配ばっかりして。昔からそうだったよね。あなたのお父さんのことも……。
だから私、あなたを死なせたくないの。この力を私が手に入れたのはきっと偶然なんかじゃない。あなたのためにこの力を使いたい。待ってるだけじゃ、ダメなの。」
ブチャラティは悟った。彼女の意思は固い。おそらく自分が何を言っても彼女が考えを変えることはない。
「…ナマエ。お前がまさかここまで成長していたなんてな……。
あの幼かったお前がここまで強く成長していたことを、俺は誇りに思う。」
「ブチャラティ!じゃあ…っ!」
「俺の指示には必ず従え。俺たちから離れて絶対に一人にはならないこと。それが条件だ。」
「うん!絶対守るよ!ブチャラティの命令には何でも従う!」
「……お前、他のヤツには絶対そんなこと言うなよ。」
純粋すぎるその返事にブチャラティは頭を抱えたくなった。
はじめはただ怖かった。
だけど大切なあなたが、昔から私を助けてくれていたあなたがこれから抗い難い運命に立ち向かっていくのだとしたら、
私はあなたの盾となる。
弱かった私に心の中に何かが生まれた瞬間だった。