32.忘れられない、夏
「起きたか」
「……オハヨウゴザイマス」
私が起きたときすでに承太郎さんはベッドにはおらず部屋のリビングで優雅にコーヒーを嗜んでいた。
昨日の出来事を思い出してしまいどうしても彼の顔を直視できない。
そんな私に承太郎さんは具合が悪いと勘違いしたのかスッとソファから立ち上がり私の方へ寄ってくる。
そして私を労わるように優しく腰を引き寄せてきたのだ。

「腰は平気か?」

「〜〜〜〜///お風呂お借りしますっ」
スマートに女を気遣う承太郎さんに気恥ずかしい気持ちが湧き上がり、彼の手から逃れるように風呂に駆けこんだ。


◇◇◇

風呂を終えてソファで寛いでいると承太郎さんが急に声をかけてくる。
「名前。今日学校休みだな?少し付き合え。」
「はい?」


そう言う承太郎さんにあれよあれよという間に連れてこられたのは海だった。
そこは以前に偶然承太郎さんと出会った私のお気に入りスポットではなく、もう少しすれば人で溢れ返るであろう杜王町唯一の海水浴場だ。
サマーシーズンが到来した杜王町。まだチラホラとだが少しずつ海に入る人たちも見受けられる。

「……なんで海?」

「おい、さっさとこれに着替えてきな。」

そうして一つの紙袋を押し付けられて海の家にあるシャワー室兼更衣室に半ば無理やり押し込められる。

「ちょ…、承太郎さん!一体……」
文句を言おうとするが外からは何の返答もない。仕方なく私は手渡された紙袋を開ける。

「……。どっから出てきたの、この水着。」
それは白いビキニタイプの水着だった。胸元と裾には白いレースがあしらわれておりこれでもかと可愛らしさが強調されている。だがそれでもビキニタイプであることには変わりない。このたるんだ身体を世間様の前に晒して醜態をさらさねばならないのかと考えるとゾッとする。

(そう言えばここに来る前亀友に寄っていたな…。)
恐らくその亀友に寄ったのはこれを購入するためだったのだろうと、承太郎さんの用意周到さにちょっと引いた。

とりあえず着替えてみた。何故かサイズがピッタリだったそれはやはり露出が多い気がする。これで人前に出なければならないとか一体何の罰ゲームなのか。
その時扉がコンコンとノックされる。

「着替えたのか?」
「承太郎さんっ!一体どういう…!」

私が答える前にその扉はギィと開かれてしまった。前々から思っていたが承太郎さんはあまり気が長い方ではないらしい。まだ着替え途中だったら一体どうするつもりなのか。
扉が開かれたことで承太郎さんの眼前に晒される私の身体。思わず両手で身体を隠すような動きをしてしまう。

「……おい。隠してんじゃねぇぞ。見えねぇ。」
「だ…だって、」
目に映った承太郎さんの姿に私は再び膠着した。なんと彼はトレードマークの帽子を脱いでおりそして何よりも水着だけを身に着けた状態だったからだ。余すことなく出されたその逞しい身体に思わず目を奪われる。

「なかなか似合っているじゃねぇか。」
「あっ!!」
承太郎さんの身体に目を奪われていて自分のことなど忘れてしまっていた。まぁ自分も彼の身体をまじまじと見つめていたのだからお互いさまのような気もするが。

「行くぜ。」
「えっ!?ちょっと…!」

グイと腰を引かれて更衣室の外に出される。太陽の元に晒された承太郎さんの肉体は非常に眩しくて目のやり場に困る。そして腰に添えられた彼の腕に必然的に密着する身体。触れた部分から熱が発生しているかのように熱くなる。
先ほどから気になっていたが通る人通る人男女関係なく承太郎さんを振り返っていく。

(目立つもんな…承太郎さん。)

日本人ではまずあり得ない高身長、それだけでも目を引くと言うのに一般人とは思えない程鍛え抜かれた肉体に、整った顔貌。
間違いなくこのビーチ誰よりも目立っている。心なしか女性たちはこちらを見ながら顔を赤くしてヒソヒソと会話しているようにも見える。
恐らく昔からそのような視線に晒されることは慣れてしまっているのだろう。承太郎さんは特に気にした様子もなくズンズンと先へと進んでいく。


少し人がまばらになったそこにビニールシートとビーチパラソルが用意されている。まさかこれも買ってきたのだろうかとヒヤリとしたが、それを察した承太郎さんが「そこで借りた」と言いながら海の家を指さしたことに少しホッとする。


いざ海を前にしてしまえばうずうずとしてしまい承太郎さんをチラチラと見上げる。
「……行ってきな」
「やったぁ♪」

まだ少し水温は低いがそれでも慣れてくれば心地いいくらいの温度だ。
浜にいる承太郎さんに向かって手を振るといつもの癖か、帽子の鍔を下げる動作をするが今はそれがないことに気がついてその手を彷徨わせている。その様子に思わずプッと噴き出すと承太郎さんが突然スタープラチナを出現させたので慌てて視線をはずす。




しばらく一人で海を堪能していたがさすがに寒くなってきて浜へあがる。承太郎さんの所へ向かおうと足を向けるが、聞こえてきた高い声にピタリと足を止める。

「お兄さん一人ですか?」
「私たちと一緒に遊びません?」
「お兄さんハーフ?すっごいイケメンですね!」
承太郎さんを取り囲んでいたのは大学生くらいのナイスバディなお姉さんたちだった。セクシーなビキニからこぼれんばかりのバストを強調して上目遣いに承太郎さんに迫っている。
私なんかより余程美人なその人たちは、承太郎さんとも釣り合っているように思う。

何となくその場に行きにくさを感じた私は「ジュースを買ってくるだけ」という言い訳をしてそっとその場を離れた。

◇◇◇

ガコンという音と共にジュースが出てきてそれを手にとる。
「…………。」

戻りにくい。

たぶん承太郎さんはあの女の人たちをすでに追い払っているだろう。
承太郎さんの前に堂々と出て行くことができなかった自分が恥ずかしかった。それはやはりまだどこかで自分と彼が釣り合うはずがないと思っている証拠であり、それは自分を選んでくれた承太郎さんにも失礼なことだと理解していたからだ。

ハァとため息をついて空になった缶をゴミ箱に捨てる。さすがにそろそろ戻らないと承太郎さんがいなくなった私を探しているかもしれない。
そう思い浜辺の方へ足を向けようとすると三人組のガラの悪そうな男たちが少し離れた所からこちらをニヤニヤと見ていることに気がつく。瞬間的に青ざめた私は方向転換をして男たちと逆方向へ行こうとする。

「ねぇちゃん。ちょっと待ちなよ。」
だが思ったよりも近くまで寄ってきていた男たちにあっという間に周りを囲われてしまう。明らかに下心がありますと言った不躾な視線で名前の身体を上から下まで舐めるように見た男は品のない顔で笑う。

「逃げるなんて酷ぇじゃんか〜。よければさぁ、この近くに俺の別荘があるんだけどぉ、そこで一緒ご飯でもどう?」
「い…いえ…。人を待たせているので、失礼しま…っ」

男たちの隙間から逃れようとするが、男たちはその隙間を埋めるように近づいてきてそこから出ることは叶わなかった。

「そんなつれないこと言わずにサァ。その友達もつれてきてくれていいから!」
「…どいてください。」

男たちが言う「友達」というのは筋肉ムキムキのハーフイケメンな訳だが。しつこい男たちにイライラが募っていく。さすがに一般人相手にスタンドを使う訳にはいかないので何とかぶっとばしてしまいたい気持ちを抑える。

「まぁまぁそんなに怖い顔しないで!せっかくの可愛い顔が台無しだよ!」
「や…!離してよ!」

二の腕を無遠慮に掴んできた男に嫌悪感が湧き上がる。もうスタンドを使ってしまおうかと怒りが頂点まで上り詰めたその時。

「おい。なにしてやがる。」

(この声は…)
「承太郎さんっ!」

男たちの背後に立つ男はまぎれもなく承太郎さんだった。名前を一瞥した承太郎は男たちに向かって鋭い眼光を放つ。

「てめえら…俺の女に何か用か?」
「んだっ!?テメェ…は、」
長身で筋骨隆々な承太郎さんに上から見下ろされてチンピラたちはゴクリと喉を鳴らす。一瞬のうちに叶わないと悟ったらしい意外と利口な男たちは「男連れなら先に言えよな!」などとお決まりの捨て台詞を吐きながら去っていった。

「…………承太郎さん、あの…っきゃ!」
無言の承太郎に腕を引かれてずんずんと先へ進む。辿り着いたのはここに来た時に乗ってきた車だった。
水着のまま車に無理やり乗せられて承太郎は名前に言葉を開く間もなく車を発進させる。


車のエンジン音だけが響く車内に気まずい沈黙が流れる。

(……怒っている…?)
チラリと見上げた承太郎の表情は無表情で逆にそれが恐ろしかった。
せっかく承太郎さんが連れてきたくれたのに、私が勝手にいなくなったせいで嫌な思いをさせてしまった。もしかしたらもう呆れられたのかも…。
嫌な考えばかりが頭を巡り、視界に涙の膜が張る。




徐々に減速する車が完全に止まったかと思うと承太郎が漸く口を開く。

「降りな。」
その言葉に溜まっていた涙がポロリと零れる。やはり愛想をつかされてしまったのだ。そう考えるとポロポロと止めどなく涙は溢れてきた。

「……おい、何で泣いている…?」
場違いにえらく狼藉した承太郎だが涙で視界が歪んでいる名前にはよく分からない。

「だって、じょ、たろうさっ…に!嫌われた……っ!」

それを聞いた承太郎はハァとため息をついて口を開く。

「何言ってやがる。よく見やがれ。」
涙で歪む視界を擦りながら必死に凝らした目の前に広がっていたのは、



「_____海、」


「そうだ。初めからこっちにくればよかったな。」

そこは私のお気に入りスポット。承太郎さんと偶然出会ったあの場所だった。いつの間にか日が暮れ始めておりその海は橙色に変わっていた。


「ここならお前のその姿を他人に見られる心配がない。」
それでは、承太郎さんは私に怒って帰ろうとした訳ではなく、単に誰もいないこの場所に移動しただけなのか。
一人テンパっていた自分に途端に羞恥が湧き上がる。

未だ先ほどの名残で涙が止まらない名前の様子を見た承太郎が、グイとその腕を自分の方に引く。

「____あっ」

名前が声を上げる間もなく二人の唇は触れ合う。それだけにとどまらず承太郎は彼女の中に舌を差し入れる。承太郎の舌の動きに合わせて必死に舌を動かす名前だが、すぐにからめとられてしまい翻弄される。
唇が開放されたときは息も絶え絶えだった。ゆっくりと離した唇の間には銀の糸が繋がる。


「ふぁ……、じょ、たろ…さ…」


「名前。高校を卒業したらアメリカに来るか。」

「え…?」
私の目を真っ直ぐに見つめるブルーグリーンに目を奪われる。
それはこれからも彼と一緒にいられるということであろうか。私の答えは勿論決まっていた。



「_____はい。一生承太郎さんについて行きます。」

その答えを聞いた承太郎は満足そうに再び彼女に口づけたのだった。