夏休みも下旬、いよいよ典明くんは明日から約二週間のエジプト旅行に向かう。
別に一生の分かれと言う訳でもないのだが、これだけ長期間お互い会わないというのは初めてなのでなんとなく離れ難く、結局いつも通り彼の家へと訪れていた。
「エジプトってさ、何が有名なの?」
パラパラと名前は恐らく花京院が購入したであろうエジプトのガイドブックを彼のベッドの上で見ていた。
勝手知ったる我が家のように自分のベッドに寝そべる彼女に、花京院は苦笑を漏らす。
「えっと…、ピラミッドとか、紅海とか?」
「へぇ〜!『紅海、世界で最も美しいと言われている海』だってさ。私も行ってみたいなぁ〜。」
「でも今回行くのはカイロの方だからね。海の方は行かないかな。」
「そうなの?もったいない。絶対絶対綺麗なのに。う〜ん。じゃあお土産は何にしようかなぁ。」
お土産ページを開いてああでもない、こうでもないという名前は花京院のベッドにうつ伏せに寝そべったまま足をパタパタと揺らしている。
恐らく意識していないのだろうが、今の彼女はスカートを履いており、その足を揺らす度にスカートが際どい位置までずり上がり、花京院は目のやり場に困っていた。
(こうも無防備にされると、男として全く意識されていないようで落ち込むなぁ。)
そんな彼の内心など名前は知る由もなく楽しそうにガイドブックのページをめくっている。
チラリと彼女のスカートの中身が見えてしまった瞬間、花京院はついに声を上げる。
「名前。君ももう17歳なんだから、少しは女性としての立ち振る舞いってものを考えた方がいいんじゃあないかい?」
そう言った後で花京院はハッとした。
やんわりと注意するだけのつもりだったのだが、自分で思っていたよりもキツイ物言いになってしまった。
だが口にしてしまった言葉は取り消すことはできないのだ。
「……ごめんなさい」そう言った名前の瞳が大きく揺れたのを見た花京院は己が口にした言葉に対して心底後悔した。
こんなつもりじゃあなかった。
それを伝えようと花京院は再び口を開く。
「名前、ごめ__『プルルルル___、』
絶妙なタイミングで花京院の言葉を遮ったのは、一階にある彼の家の電話だった。
今は家に誰もいない。
自分が出なければ他に出る人間もいないため、電話のうるさい音は永遠に鳴り続ける。
「………ごめん、ちょっと待ってて。」
彼女の目を見ることができず、その場から逃げるように部屋を後にする。
なんてタイミングの悪い電話。
花京院は苛立ちを抑えるようにして一階の電話を取る。
「__はい。花京院です。」
『もしもし、花京院君?同じ委員会の榊です。お休み中にごめんね。』
電話の相手は同じ委員会に所属している同学年の女子生徒だった。
花京院が所属している委員会は、夏休み中であっても一定のローテーションで当番なるものが回ってくるのだ。
週一回という期間で回ってくるその委員会の仕事は、夏休みが一か月ちょっとだとして単純計算で4回。
4人の人間が夏休み中に駆り出されることになる。
運悪くそこに当たってしまった人間、それが花京院典明だった。
だが今回、花京院はエジプトへ家族旅行に行くという予定がすでに入っていたため、同じ委員会である彼女に頼んで順番を交代してもらっていたという訳だ。
もちろん、そのエジプトのお土産を買ってくるという条件付きで。
彼女からの電話はその当番についてのことだった。
約5分程、そのことについて彼女に説明を繰り返す。
『__じゃあ鍵は職員室に行って借りてくればいいのね?』
「あぁ。それで問題ないはずだ。…すまない。夏休み中なのに無理を言って。」
『全然いいのよ!むしろエジプトのお土産なんて珍しいものがもらえるんだから、半日だけの当番なんて全然問題ないわよ。』
「ハハッ!現金だな。榊さんは。」
『当たり前でしょ。何か見返りでもなきゃあ夏休み中に学校なんて絶対行きたくないもの。』
「違いないね。君にどんなものを買っていこうか非常に悩むよ。」
電話口でお互いクスクスと笑い合う。
花京院にとっては事を穏便にすませるための、極ありきたりなコミュニケーションだった。
電話を切った瞬間漸く花京院は気がついた。
「……典明くん、今の、誰?
な、仲よさそうっだったね…。」
いつの間にかリビングに来ていた名前が震える声で口を開く。
そんな彼女の探るような視線に花京院は気がついた。
(名前は僕と、榊さんの間に何かあると勘違いしている__?)
普段の自分だったら可愛い嫉妬だとすぐ様訂正していたに違いない。
だが今の花京院の心理にはあまり余裕がなかった。
『名前は僕を信用していない』
僕だって彼女が他の男と話すだけでいつも腸が煮えくりかえりそうになった。
だけど、彼女のことを疑ったことは一度としてない。
僕には彼女しかいないのだ。
なのに名前は僕と別の女の仲を疑っている。
それが花京院には裏切りに思えて仕方なかった。
幼い頃から一緒にいる君には気がついてほしかった。
僕の本心に。
「___君には関係ないだろう。」
思ったよりも冷たい声が出たことに自分でも驚いた。
名前にこんな目を向けたことは今までない。
その証拠に彼女の瞳はユラユラと揺れて、今にもその大きな瞳からは涙が溢れそうになっている。
「…っ、な、んで…。典明くんは、わたしにキス…したの……?」
そんなの、決まっているじゃないか。
僕は君のことが___、
「………分からない。」
そう告げた瞬間、何かがパチンと割れるような音がした。
彼女の目からついに大粒の涙が零れ落ちる。
「…典明くんの馬鹿っ!!典明くんなんか、エジプトに行ったまま帰ってこなければいいんだっ!!!」
そう叫んだ名前は玄関の扉を開けて走り去って行ってしまった。
そんな彼女の後ろ姿が見えなくなってから僕は全身の力が抜けたような虚脱感に襲われる。
ズルズルと壁に沿って床へと座り込む。
「……っ、こんなこと、言うつもりじゃあ……っ!」
___ごめん、名前
あの時、僕がもう少し、大人だったら。
君にこの言葉を伝えることができたのだろうか?