分からないの#









『……なんで……。』





先生の驚異に満ちた声色が耳の奥でリフレインする。
そこには答えを導きださなければならない感覚をアタシに植え付けた。

先生はその後、俯くとそのままアタシの差し出し掛けていた紙袋を受け取ると、『不在』の扉の中へと静かに消えた。

今日も先生の研究室は『不在』である。





放課後の部室でアタシは机に頭を預け、右を向いたり、左を向いたりとゴロゴロと思考と一緒に脳みそを回す。

「さっきから音が伝わるんだけど、痛くないの?」

そう声を掛けたのは斜向かいに座る紫ちゃんだった。編集係になった紫ちゃんは過去の部紙を捲って隈無く文字を追っていた。

「……ん、痛いよ。痛いんだけど……。」
「それ以上に悩めることがあるのかしら?志乃ちゃん気が付いてないのかもしれないけど、さっきから唸ってるわよ?」

いい香りがすると思ったら、その香りと共に紅茶を淹れて来てくれたかんなちゃんがアタシを笑顔で見下ろしていた。

唸っていた?
無意識だった。





「何か導き出さなきゃならない事があるのかしら?」

柔らかく、しかしズバリとかんなちゃんはアタシの気持ちを言い当てるとゆらゆら湯気を上げる紅茶が目の前に置かれた。
白い湯気は立ち上っては消えてゆく。
アタシはすぐ椎名先生を連想した。
そしてまた頭を机に預ける。





「ねえ、かんなちゃん、紫ちゃん、訊いてもいい?」

アタシの問いに紅茶に同時に口をつけたかんなちゃんと紫ちゃんが珍しそうにアタシを見た。
余りアタシから自分の事を話す機会と言うのがこれまで無かったのだから自然な反応だ。

「……借りた物を直接本人に返すって、その何か理由が必要……かな?」

見上げる二人の目線がお互いに結ばれて再びアタシに向けられた。
紅茶からゆらゆら白い湯気が立ち上ってはすぐ消えてゆく。

「本人に直接返すのが礼儀なんじゃない?私は少なくともそうするけど。」
「そうね。そこに理由が必要かと訊かれるとそれが責任の全うだと思うわ。」
「……そうだよね……。ありがとう……。」

アタシも重たい頭をゆっくり持ち上げると淹れたてのアールグレイに口をつける。
ふっといい香りが鼻腔を抜けて重たい頭が少しだけ軽くなった。





先生はどうして当たり前のことに『なんで?』と理由を問うたのだろうか――。

理由を問う時に広がる感覚はなんだろう。





「じゃあ二人にとって理由を訊きたい時ってどんな時?」
「これまた唐突だね。何かあったん?」
「確かにさっきから唸っているしね。」

心配そうに覗き込まれる二人の瞳にアタシはどぎまぎしながら、でも答えてみる。

「……ある人に白衣を借りたの。それを直接返しに行ったらその人がいなくて帰るのを待ってたんだ。そうしたら、『なんで』待ってまで返そうとするんだって言われちゃって……。」
「その答えを出そうとしてるんだ?」

紫ちゃんがもう一口紅茶を啜ってアタシに問う。

「答えを出さなきゃ行けない意識を植え付けられちゃって……。」

鼻の頭を掻く。困った時のアタシの癖だ。

「それは志乃ちゃんじゃなくて、本人が見つけなければ意味がないんじゃないかしら?」
「そうだな。他人の答えは所詮自分の答えじゃないしな。まあ私の場合は『なんで?』と問う時はやっぱり自分の答えと相違がある時に擦り合わせたいときとかもっと知りたいときかな。」
「わたしもそうかしらね。後はこれまでに知らなくて不思議に感じた時。」

成る程。二人から貰った答えはアタシと略同じだった。

更にアタシの場合は納得したい時、その納得が自分の安心へ繋がる時――。
そしてその安心感を得られない時に襲う不安を払拭したい時――。





「…………。」

紅茶を一口含み、はっと息を飲む。

人に対する不快感を露にする態度。
手当ての時にアタシに触れるのをまるで拒むかのような手袋。
あのまるで何か全てを棄てて諦めましたと静かに語る透き通り過ぎた瞳。

先生のアタシに問うた『なんで?』をもう一度なぞってみる。
そこには安心感などなく、在ったのは拒絶と驚異だった。





「……志乃ちゃん?紅茶冷めちゃうわよ?」

かんなちゃんの柔らかい声で現実の時間へと戻る。

「答えは見付かった?」

目と目が合った紫ちゃんが柔らかく笑って問う。

「……うん……何となく……。二人共どうもありがとう。」

アタシは笑顔を曖昧に浮かべて返事をしたのだった。





当たり前のことを『なんで?』と返すその裏には――。
先生にその『当たり前』の概念が無いと言う事――。

それはつまり極端に非常識の人か、もしくはそれが自然に値しない自分の価値観だと言う事……。





でも非常識な人間であるのならば、怪我をしたアタシの手当てを文句を言いながらするものだろうか。
眠りこけてしまったアタシに自分の白衣などを羽織らせるだろうか。





先生は拒絶と言うスタイルを取って、自分のバランスを保とうとしているのではないだろうか――。

分からない、分からない、分からない。
分からないけれども。





分からないの#

(繰り返す『分からない』の言葉がアタシの声を半音上げる。)

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