クロッカスの眠り









辺りはまだ薄暗い。
陽は上がっていない。
アタシは必要な物を鞄一杯に詰め込んで、家を飛び出した。





「はあ、はあ、」

白い吐息さえ出ないものの、春の朝はまだ肌寒かった。それでもアタシの体に当たる風を振り切りながら、懸命に向かった。
行き先、小出高校旧校舎裏庭。

フェンスに足を掛けるとそのまま一気に登り上がる。身軽な体に感謝をした。
そのまま柔い土の上へと着地すると、スカートのプリーツを直しながら、昨日の場所まで駆ける。
昨日の場所と言うのはアタシが椎名先生の花壇から引き抜いたクロッカスを植え直した場所である。
裏庭の一番手前の桜の木の下であった。

アタシはクロッカスを引き抜いた罪を償うために先生ともう一度クロッカスを元気にすることを約束したのだ。

昨日帰ってからもずっと気にしていたクロッカスの生命力。
必死に駆けた先に黄色いクロッカスを見つけた。

アタシが引き抜いてしまったせいか、まだ陽が出ていないせいか。
クロッカスの花は閉じて頭を垂れていた。その姿に改めて自分の仕出かした事の痛みを痛感する。

ツンと喉に涙の味を感じて堪える。
泣きたいのはアタシではない。





「……ごめんね。」

弱ったクロッカスにそっと手を添えると、アタシは鞄に詰めて来た物にもう片方の手を伸ばした。

肥料を数種類。如雨露に栄養材。
お祖母ちゃんに内緒で貰って来た家の庭で使われているもの達。
使い方も全く解らない癖にインターネットで情報を沢山集めた。
その情報を認めたノートを地面に開きながら、アタシは肥料の袋を開ける。
ノートは朝露に滲みてふやけていった。





どれだけ時間が掛かったのだろう。
気が付いたら、陽が昇り、朝が辺りを包んでいた。
泥だらけの手を叩きながら、もう一度クロッカスを固定する。
花に掛からないように漸く根元に如雨露で水を遣った。
クロッカスはこの水を飲んでくれるだろうか。
肥料を栄養素として体内に取り込んでくれるだろうか。

アタシは初めて小さな命に触れた気がした。





「……元気になってくれると嬉しいな……。」

その言葉にクロッカスの花弁が微かに開き始めたのをアタシは後に知る。





鞄の中身が散々した裏庭の一角で椎名は足を止めた。
習慣で出勤すると直ぐに旧校舎の裏庭へ赴く彼が今日はいつもと違う光景を目にした。

泥だらけの手と制服と。
傍にまだうっすらとではあるが花弁を開き始めた黄色いクロッカス。
そのまま体を横たえて目を閉じている生徒が一人。
紛れもなく、昨日クロッカスを引き抜いた犯人がその場でクロッカスに寄り添うように静かに眠っていた。

「……生きてる?」

彼が一歩近づいた瞬間に生徒が体をゆっくり上下に動かしながら小さい呼吸をしているのが確認出来た。





「……色々調べたのか……。」

自分の足元に散々する物の中からふやけたノートを拾い上げる。
白いノートはたっぷりと水分を含み、重くそして泥塗れで半分の文字は滲んで読むことが出来なかった。
そしてそのままクロッカスとその隣に横たわる少女を見下ろす。

──どうしたら解らず、投げ出すか泣き付くかでもしてくるかと思っていたのに。

一瞬だけ、椎名の口元が一文字から弧を描いた。



「……この分じゃ俺の出番はない。」
「ニャア。」

椎名はいつものように肩に野良を担ぐと、裏庭の奥へと姿を消した。





昇り始めた陽を浴びながら、まだ弱々しいが黄色いクロッカスが雫に光を反射させ輝いていた。

その横にはまだ目を覚ますことのない、くたくたの白衣を上から被せられた生徒が一人──。





クロッカスの眠り

(花も眠りにつき、また目を覚ます。)
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