そして恋人からリスタート



 


「あー、楽しかった!」

わたしの独り言に、そうだな、と返してくれたのは、隣を歩くこう兄だ。でもその眉間には何故かシワ。

「どうかしたの?」
「……いや。どこまでもいつも通りだったな、と思ってな」

その言葉に思わず苦笑する。
今日は文芸部のみんなが、わたしの誕生日パーティーを開いてくれた。去年は志乃ちゃん紫ちゃんと三人で、こじんまりとしたお茶会風パーティーだったけど、今年はなのちゃんと北条君が部員に加わって、何故か椎名先生と下野君、それから──こう兄。
……当然のように、ハジけたパーティーになったのだ。

「そうね。いつも通りで、とても賑やかなパーティーだったわ。だって……」



とびきり大きくてとびきり美味しいケーキは、なのちゃんとなのちゃんのお兄さんの合作だそうだ。さすが有名パティシエ監修、見た目はもちろん、切り分けた断面までもが計算され尽くした美しさ。
テーブルセッティングは志乃ちゃんと紫ちゃん。わたし好みのさり気ない装飾を取り入れてくれてるあたりがさすがだ。飾ってた花は持って帰って良いよ、との紫ちゃんのはからいで、わたしの左手には大きめの花束。秋らしく、黄色とオレンジに茶色が混じった。若干スモーキーなカラーの組み合わせ。

そして、今日ずっとわたしの隣にいてくれたのは、
今も一緒にいてくれるのは──



しかし、と呟いた声で意識がリアルに引き戻された。

「……吉野のあのテンションはなんだ? いつもにも増して酷くないか?」
「まあ、あれがなのちゃんだし」

はっちゃけ過ぎたなのちゃんが下野君にもらった怒声と拳骨は、実に十数回分。短い時間でいつもの数倍多かった。

「北条は北条でいつも通り過ぎてなんだし」
「アレは文芸部の日常だからね……」

北条君は紫ちゃんを独占しようとして肘鉄を何度も食らっていた。見えないところで勘弁してやる、とか言ってたけど、同じところに何度もは傷口に塩のような気がしてならない。

「椎名先生は椎名先生で、北条に絡んでいたかと思ったら意味不明な行動を取り始めるし」
「アレはさすがに……」

北条にべったりしていた椎名先生が、いきなり、ケーキの上のイチゴの種の数を数えだした時はさすがにビックリした。
「食べ物で遊んじゃいけません!」って、志乃ちゃんに怒られてたけど。



でも。

──素敵な空間で過ごす素敵な時間はあっという間で。
かけられた魔法が解けきらない、夢と現実の狭間にいるようなわたしは、ふと隣を歩くこう兄と想いが通じたことすら夢なんじゃないかと錯覚してしまう。
だってあまりにも幸せ過ぎて。



「楽しかったか?」
「うん、とっても」

わたしは笑った。例えはっちゃけていたとしても、喧しいくらいに賑やかでも、

「だって気持ちが嬉しいのよ」

わたしの誕生日を祝ってくれたこと。
それであんなにキラキラした笑顔を見せてくれたこと。
なのちゃんだけじゃない。
みんなが笑ってくれたこと。

「こう兄は、楽しかった?」
「まあ、楽しかったな」

素直な感想に顔がにやける。同じ感想を抱いたことが嬉しい。そのまま無言が心地良い空気の中、二人歩く。
秋の日はつるべ落としだ。あっという間に薄暗くなる。日のあるうちに家に着くかな、なんて思っていたわたしの足は、曲がるはずのない道に踏み入っていた。
……こう兄がそっちに手を引いたから。

「少し、寄り道するぞ」
「え……?」

いつもの道とは違う道を、手を引かれて歩く。人気のない道も、彼と一緒なら怖くない。でも一体、どこに行くんだろう?

「幼馴染みの特権だな」

歩きながら不意に溢れたこう兄の声に、わたしは首を傾げた。

「え?」
「かんなの家の信頼を得てるから、少し遅くなったところで、どうにだって言い訳できる」
「こう兄……?」

戸惑うわたしの背中が壁に触れた。両サイドにこう兄の腕。逃げ場はない。これは、俗に言う──

「……『壁ドン』……?」
「だな」

こう兄が近い。とびきり、近い。
ドキドキ、心臓の音まで聞こえそうな距離。
嬉しくて、恥ずかしくて、逃げたくて、逃げられなくて、どうしようもなくて俯いた。

「逃げるな」
「だって……なんで、こんないきなり」
「二人っきりでいられなかったことに、俺が満足してるとでも?」

顎を片手で掬われ上向きに向き直される。
さっきよりもっと近い、吐息のかかる距離がすぐにゼロになる。



「ん……」



熱い唇が優しく触れてそっと離れた。
まだ慣れない、優しいキス。
少し触れただけでもいっぱいいっぱいになっちゃう。身体中が痺れてしまうよう。
なのに──ちょっと物足りないとか思ってしまう。

「……そんな顔すんな」

少し掠れた、こう兄の声。そんな顔ってどんな顔なんだろう、ぼうっとそんなことを考えていたら、またこう兄の唇がわたしに触れた。今度はしっかりと。

「う……んっ」

こんなに長いキスは初めてだ。呼吸ってどうしたら良いんだろう、息苦しくなって口を開けようとしたら、そこからこう兄の舌が入ってきた。絡めとられる舌、蠢めく熱。
激しいキスは思考を溶かし、身体の力を奪っていく。わたしは何もかもをこう兄に委ねた。パーティーなんか目じゃないほどの、強烈な夢と現実の狭間感。



「……今日はこのくらいで勘弁してやる」

とびきり意地悪でセクシーな声で、わたしの知らない男の顔をしたこう兄は、わたしを抱きしめながらそう言った。
思考が現実に戻ったわたしは赤面する。
もう。もうもう。
意地悪。でもカッコ良い。コツン、脱力を装ってこう兄の胸に顔を埋めた。そして、

「…………だいすき」

聞こえないような小さな小さな声で言ったのに、俺もだ、なんて返されて、おまけに頭にキスまでされて。
──醒めない夢に浸れる自分はなんて幸せなんだろうと、そんなことを考えた。



曖昧な関係にピリオドを、
そして恋人からリスタート



「誕生日おめでとう、かんな。……愛してる」



 
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