クロッカスの悲痛









アタシは生き物を残酷に扱った。
その代償は綺麗な秘密の花園の破壊と自分の気持ちの破壊だった。
そして秘密の花園を大切にしてきた人の気持ちの破壊……。










突発的な己の初めて取った行動に驚き、戦いている。
アタシは生物科の椎名先生の花壇からクロッカスを一株引き抜いたのだ。

綺麗に咲き誇る花たちを見ていたら頭の中にチカチカと野球で活躍する弟の英人が映画フィルムのように場面を変えて映し出された。
それからは自分でも無意識のままに先生の育てたクロッカスを引き抜いていた。





キーンコーン、カーンコーン。
最終下校のチャイムが陽の落ちた学校内に鳴り響いた。
アタシの手には息絶え絶えの弱った黄色いクロッカスが一輪、横たわる。

──アタシはなんてことを……。

どの位、立ち呆けていたのだろう。
肌に触れる空気が冷たくなったのを感じる。そしてその空気はアタシの体の中までなぞると、アタシを夜に染め上げた。
それでも暗闇に黄色いクロッカスは鮮やかであった。

「……えいっ……。」

土は思いの外冷たかった。小さなアタシの手でクロッカスを植えられるまでに穴を掘るには場所が硬かった。
しかしアタシはクロッカスを土へ還さなければならない。
本来ならば、先生の花壇にいるべき存在の黄色い花……。
爪に容赦なく土は入り込み、指は硬い土と格闘する。
こんな想いは引っこ抜かれたクロッカスの方が堪らないだろう。

「ごめんなさい……ごめんなさい……。」

幾度呟いただろうか。
それは誰への謝罪だったのだろうか。
クロッカスか。椎名先生か。





漸く、硬い土を掘り起こして柔らかくなった部分にアタシはクロッカスを植え直した。場所は旧校舎の裏庭だった。そこ以外に植える宛がなかった。
先生の花壇の丁度真っ直ぐ先の校舎の隅。

「……ごめんなさい……。」

不器用に植えたクロッカスを眺めて言葉にする。首をもたげた黄色がとても痛々しかった。
そこで改めて体に痛みとしてクロッカスの気持ちが返って来る。
胸を圧迫され、喉は塞がれる。呼吸が止まり、苦しくて涙が零れた。





「……うっ……、ひっ……。」
   
痛みは指先まで痺れと共に広がった。
アタシは痛みに鈍感過ぎだ。





黄色いクロッカスに向かって頭を垂れながら泣いていると、不意に後ろから長い影がアタシを覆った。
目を見開いて振り返れば、被害者が野良を肩に乗せて上から見下ろしていた。
そしてその視線はアタシからアタシの目の前でくったりとしたクロッカスへとゆっくりと移される。
表情は変わらない。

しかし、次の瞬間腕を強く捕まれた。
その強さに容赦はない。
先生の細い指がアタシの頼りない細腕の骨にまで食い込んで行く。

そして一言低い声で言い放った。

「……生物を何だと思ってるの。小さければ許されるとでも思ってる?」

静かだけれど確かな言葉だった。
アタシはただ、首を横に振ることしか出来なかった。
そんな風には思っていない。
でも喉が塞がれて上手く言葉にならなかった。

「……体が痛いか?」

その問いかけに再び指先まで針で刺されたような痛みが広がる。
答えるまでもなかったようだ。

「……それがそのクロッカスの痛み……。」

先生は目を細めてクロッカスを見詰めた。アタシの目から涙が溢れ出す。





──ごめんなさい……。





「……罪は償って。そのクロッカスを元気に戻す責任果たしてもらうから……。」
「……はい、ごめんなさい……。」

アタシはそこで漸く先生に謝罪をしたのだった。

そして先生は野良と一緒に些か面倒な事になったと眉間に皺を寄せながら、静かに去って行った。
腕には先生の掴んだ感覚が残っていた。





先生は一目で解っていた。
アタシの目の前にあったクロッカスが自分の育てたものだ、と。

それだけ大切に育てたものだと、アタシへの杭は打ち込まれる。





「……ごめんなさいっ!」

既に去って誰もいない裏庭にアタシはもう一度声を上げて謝罪をした。





零れた涙がクロッカスに注がれていたことはアタシは知らない──。
明日からきちんとクロッカスに取るべき行動は取ろう。
先生はやはり生物を大切に思っている。
それは事実であり、結果である。





クロッカスの悲痛

(どんなに小さくとも尊い命だと言うことを忘れるな。)
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