秘密の花園の破壊者









この数週間、生物の授業を受けて解ったこと。

椎名先生はまず生徒の顔を見ない。
点呼も名を読み上げるだけで、返事なんか聞いてやしない。
板書用のノートが予め用意されて、それを黒板へ写すだけ。
へえ、左利きなんだ。
その手に軽く握られたペンを時々回しては、その左手を首に持ってゆく。

そして生物科係になったって単なる役名だけでしかなかった。
他の先生から指摘を受けて決めただけだから何も用事はない、そう今日の授業の最後に言った。

──なんだ……。

それだけ思った。
たったそれだけ。





相変わらず、表情は無で瞳に底は見えない。
一応、生物科係であるアタシの名前を佐伯ではなく、佐々木と間違われたが先生はそんなことをお構い無しにそのまま教室を出て行った。
チャイムが鳴るのときっかり同時に。
時間にさえ無機質さを覚えた。

アタシは先生いなくなった教壇を見詰める。
いてもいなくても変わらない空気だけがそこには漂っていた。





「志乃、良かったね。生物科係勝手に決められちゃったけど、表向きだけで。」

お弁当を両手に百佳が笑顔でやって来た。

「……え、あ、うん。」

その問いかけに何故直ぐに答えを返せなかったのか解らない。ただ、『なんだ』と言う気持ちと一緒に何かが喉に引っ掛かっていた。

「それにしても生物の授業楽でいいよねー。先生は謎だらけだけど。」
「……そ、だね。」
「スッと来てスッと帰るから一部で幽霊なんて呼ばれてるよ。」

カラカラと百佳はミニトマトを口に運びながら笑った。





──幽霊……。





アタシの胸がスッと冷たくなる。
確かに先生は気配を感じさせない。
だけれど……。

「確かに急に前に立ってたりするからその通りだよね。」

アタシは笑顔でそう返していた。
口にしてからご飯が味を無くしてゆく。
何かを間違えた。

そして百佳と笑いながら話は別の話題になっていると言うのに、自分の一言にとても後悔をしていた。





「はあああ。」

盛大に溜め息をしてから旧校舎にある部室へと向かう。
溜め息と共にお腹がチクチクと傷んだ。お昼休みが終わってから消化の具合が良くないのか、腹痛に襲われている。

「はあああ。」

アタシはもう一度溜めた息と後悔を吐き出した。

すると旧校舎の昇降口に差し掛かった所でまた野良と出会す。
何故こうもこの子はアタシを待っているのか、と思わせるくらいのタイミングでいつも出会う。
偶然は二度までではないのか。
今日も野良の尻尾は自由気儘に宙を華麗に泳いでいた。

「ニャア。」
「野良ちゃん、今日は裏庭には行かないからね。」
「ニャア。」

今日はまるで分かったよとでも言うような強い鳴き声だった。
茶トラの瞳を無意識に覗き込む。
猫の目は綺麗。ビー玉を嵌め込んだかのようにキラキラしている。
ああ、ちゃんとアタシを見て、アタシが見えている。

色は椎名先生と同じ薄い茶色の瞳なのに……。
澄んでいるけれどちゃんと底がある。

そんな瞳に問うてみた。

「……椎名先生は……野良ちゃんにとって幽霊?」

プイッとその薄い茶色の瞳が反らされて答えを否定された。

「……そう……だよね。なのに……アタシと来たら……。」





そこでアタシは自分の瞳を閉じた。
瞼の裏に映るのは事務的だけど灯りを一瞬灯した先生。
裏庭で垣間見てしまった穏やかそうな横顔。
そして足下に咲き誇る綺麗な花々と目の前にいる野良。
小さな生物は正直なはずだ。





──なのに……。




「……アタシね、椎名先生の悪口言っちゃった。」
「ニャア?」
「……幽霊だって……。」

野良の頭を軽く撫でる。
野良はちゃんと先生を幽霊ではないと否定した。

本当はアタシもそう思いたかったのだろう。
だから喉に突っ掛かった何かと溜め息がこんなにも後悔で塞ぐんだ。

だって想いがなければ猫は懐かないし、花たちも綺麗に咲き誇れない。





この間見た光景は本物なんだ。
先生の横顔と。
そこに咲き誇る花たちと。
それに寄り添うこの猫。





気が付けばアタシは自ら野良に行かないと言っていた裏庭へ駆けていた。

「……はあ、」

息を切らして、裏庭の一番奥。
先生の研究室のある廊下の真ん前の花壇に駆け寄る。
不幸中の幸いなのだろうか、椎名先生の気配はそこにはなかった。

大きくはないけれども一から造られたことがわかる手作りの花壇。
恐らく椎名先生が手入れをしているのだろう、あの光景を思い出せば。
花たちは小さな陽を浴びてキラキラと輝き、小さいけれども胸を張って咲いていた。

これは育てた側の気持ちがふんだんに注がれているからだ──。





アタシの中で何かがチカチカと点滅し出す。
こんなにも想いを注がれて胸を張って生きていられる存在が頭の中を交錯する。

そんな想いを独り占めして、素知らぬ振りをして純粋に前を見て堂々と生きている、そんな存在。





アタシだってこんな風に咲いてみたかった。
想って欲しかった。
でもそれはいつもアタシではなくて彼に注がれて──。





気が付けばアタシは先生の花壇からクロッカスを一株引き抜いていた。
想われて育てられた花たちが羨ましかった。
そんな花たちに己のとある存在を投影してしまった──。





「ニャア。」

アタシは泥だらけの手にクロッカスを掴んだままその場から走り去った。
先生の大事な空間から、時間から、アタシは花を盗んだ。
とある嫉妬が花たちへと向けられた。





「ごめん、ごめんなさい……。」

もぎ取ってしまったクロッカスはもう土へは還れない。アタシは茫然と旧校舎の入り口にいつまでも立ち続けていた。





夕陽が暮れて、部活もそろそろ終わる……。





秘密の花園の
破壊者


(クロッカスはアタシではなく、弟である。)
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