![]() | 秘密の花園に魅せられて |
今日は先日入部した文芸部へ初めて顔を出す日だ。 まだ部へ昇格するには人数が足りないと言うことで今日は部長である相澤さんと同時に入部した鷹月さんと話し合いをすることになっている。 そして放課後。 アタシは再び旧校舎の前に立っていた。 足の怪我も大分癒え、瘡蓋に落ち着いた。アタシはこの間躓いた些細な段差に足を掛ける。 よし、胸の中で拳を上げると旧校舎へと踏み入れた。 相変わらず古びた匂いの漂う廊下。でもこの匂いは嫌いではなかった。どこか懐かしさを覚えるからだ。 そんな空気を一気に吸い上げて、体を旧校舎に馴染ませると廊下から続く階段へと進んだ。 「ニャー。」 聞き覚えのある声に階段を半分程昇った所で足を止めた。 「ニャー。」 くねくね自由に動く尻尾を持った茶トラの猫が下からアタシを見上げていた。 ──あの時の……先生の猫だ! アタシは左右上下を見渡すとゆっくりと階段を降りて猫の下へしゃがみ込む。 そして遠慮がちに猫へと手を伸ばした。 「野良ちゃんの飼い主はどうしたの?」 答える訳でもなく、ゴロゴロと喉を鳴らしながら猫はアタシの手に体を擦り付ける。 懐かれたのか、元々人見知りをしない猫なのか。 でも──。 「お前のご主人は他の人間に触れて欲しくないみたいだよ?」 「ニャア。」 解っているのかいないのか。猫はぐいんと伸びをすると再びその自由気儘な尻尾を別の生き物のように操る。 アタシは椎名先生の気配に気を張りながら、横たわってしまった猫をその滑らかな毛並みを求めて撫で続けた。 猫の満足感とアタシの満足感が一致した所で野良は欠伸をして立ち上がった。 尻尾を左右に自在に操りながら、校舎を出てゆく。アタシも立ち上がりその後ろ姿を見送った時だった。 「ニャア。」 野良が急に振り返る。 「え?」 「ニャア。」 もう一度力強く鳴かれた。 不思議の国のアリスでもあるまいし。動物の導きなんてあるはずはない。 でも確かに野良はアタシを見て鳴いている。 まるで着いてきてと云わんばかりに──。 そんな馬鹿な。アタシの過大解釈に違いないだろう。 「じゃあ、アタシは部室に行くからね。バイバイ。」 そう言ってアタシが再び階段の方へと向かった瞬間だった。いきなり右肩にズシッとした重みと何かが貼り付いた感覚を覚える。ふらついた体を支えようと左足に力を入れた時に視界に入る茶トラ模様。 野良がアタシの肩をよじ登っていた。 「ちょっとー!」 「ニャア。」 よじ登る野良の爪が制服の布越しから肌へと食い込むのがわかる。 どうやらこの猫は飼い主の意図と反対の行動をとるようだ。アタシがこの場面を椎名先生に見られたら、次は何を言われるか判ったものではない。 「野良ちゃん、降りてー!」 「ニャア!」 アタシと野良が格闘しているうちに体はいつの間にか、旧校舎の外へと出てしまった。 そしてよくわからないまま、格闘し合うこと暫し。 アタシは知らぬ間に知らぬ場所へと導かれていた。見上げれば片側には山林が、反対側には旧校舎が建っていた。 どうやらアタシは野良と一緒に旧校舎の裏庭にやって来てしまったようだ。 人気も陽の気もない、旧校舎に似つかわしい寂しい雰囲気を持つ場所だった。 そして野良がそこで何事もなかったかのようにスルリと肩から飛び降りると一直線にある場所へと駆け寄って行った。 「……っ!」 アタシは思わず校舎に隠れる。 見つかってはいけない。 アタシも見付けてはいけなかったのかもしれない。 だって、野良が駆け寄って行った先にあったのは──。 椎名先生だった。 しかも片手にホースを持ち、気持ち嬉しそうに手作りと思われる花壇に水やりをしていた。 まさか、なんで、と言う疑問しか沸き起こらない。 息を潜めて今見た光景を整理する。 先生と花。 先生と猫。 アタシは本当に見てはいけないものを目撃してしまったのかもしれない。 何故ならその場所には先生の警戒心はまるで垣間見ることが出来なかったからだ。 そして何より最悪だった第一印象を払拭するかのような穏やかな表情を湛えた先生の横顔。 その足下に咲き誇る小さいけれども綺麗な花々。 花は人の気持ちを読むと聞いたことがある。 綺麗に咲き誇れるのはそれだけ大切にされた証となるのだ──。 アタシはその場を静かに駆けた、旧校舎の昇降口に向かって。 キーンコーン、カーンコーン。 旧校舎内にチャイムが鳴り響く。 アタシはゆっくりと文芸部の部室の重々しい扉を開けた。窓からそよぐ風を受けて、アタシを待っていた二人の少女の姿を確認する。 風に舞う二人のストレートと緩やかなウェーブの髪が西陽を浴びて薄茶色に透けていて。 まるでここも本当に不思議な国に繋がっている気がした。 「待ってたわ、佐伯さん。」 「ちゃちゃっと話し合っちゃおう。」 「あ、改めてよろしくお願いします。」 「固い挨拶は無しにしようよ。もうお互い部員なんだしさ。私のことは紫って呼んで。」 「そうね、わたしはかんなで。よろしくね、志乃ちゃん。」 「あ、うん。よろしくね、紫ちゃん。かんなちゃん。」 こうして不思議な裏庭に導かれた後、アタシの中心はここ、文芸部となってゆく──。 秘密の花園に魅せられて (無意識の甘い罠。) |