守りかったものは、









超音波のような波動が椎名の鼓膜を揺らした。
これまでに聞いたことのない音……、否、声だと感じたのはやはり彼が生物科教師故だろう。

兎に角、事態は解らないがその『声』は考える前に自動的に椎名の身体を動かした。
何時もならば自分には関係ないと感覚自体を遮ることが可能なのに、この時に限ってそれは反対の方向へと針が振り切った。





何事かと考えながら、取り敢えず旧校舎の校舎まで辿り着いた。
そしてそこに二階から勢い良く降りてきた文芸部のかんなと紫と椎名は出会す。
かんなと紫の様子も椎名と同じように何かを探しているようであった。
そして『志乃ちゃん』と言う二人から零れた言葉が椎名の意識を拐う。

「……あ、椎名先生。」

椎名の存在に気が付いたかんなが彼の下に駆け寄る。少しだけ涙目になっているのは直ぐにわかった。大きな目が真っ赤になっている。

「……アンタたちは?」
「わたしたちは志乃ちゃん、佐伯志乃ちゃんと同じ部の相澤と鷹月です。先生、志乃ちゃんを知りませんか?部活の時間になっても来なくて。こんなこと初めてで……。」

訴えかけるようなかんなの瞳と睨み付けるように鋭い紫の瞳に椎名は二人にまるで着いてくるように告げるかのように叫ぶと走り出した。

「こっちだ。声が聞こえた。」
「志乃ちゃん!」
「何が志乃ちゃんに起きたんだ!?」

かんなと紫も椎名が向かう方へ続いた。





その場所に近付くにつれて徐々に明確になってゆく声とその緊迫感。

「いやあああああっ!ああああああっ……!」

その声は三人の鼓膜よりも脳天を突き抜けた。高く細く鋭い声が辺りに響き渡る。

「……ああああああっ、うわああああっ……。」

尋常ではない。
椎名はいち早くその場に飛び込むように足を踏み入れた。
するとそこには──。

彼女の手足の下にしゃがみこむ男子五人と地面に横たわり超音波のような声で泣き叫ぶ志乃の姿があった。
泣き叫びながら、志乃の呼吸は段々浅く早くなり始める。

この状況下を考える間もなく椎名は彼等に大きな声を叩きつけた。

「……お前ら!一体何をしてるっ!?」
「……べ、別に……。」
「別にで説明出来る状況か!?じゃあ彼女が泣いてるの!?」

主犯格である和田が面倒くさそうな顔をし、それを更に椎名の研ぎ澄まされた意識を逆撫でした。

「……どけっ!」

まずは志乃の安全確保だと、五人の男子生徒を強く押し退けると椎名は泣き叫び震える志乃に手をそっと伸ばした。自然に。
そしてその手が胎児のように横たわる彼女の肩に触れた瞬間だった。

「やっ、いやあああああっ!」

再び火が着いたかのように志乃の叫び声が椎名の胸を刺した。
手をばたつかせて嫌だと身体で主張する志乃の姿に椎名の腕には鳥肌と冷たい感覚が走った。
頭の中が空っぽになる。





「……志乃ちゃん!?」
「……お前ら!志乃ちゃんに何をしたんだ!?」

後に続いたかんなと紫も漸く彼等の下に辿り着いて、目の前にある事態に唖然とする。
そして紫の拳がふるふると震えた。怒りがその拳に集中する。

「お前ら!許さない!」

紫が五人の内の一人に掴み掛かろうとした時だった。紫の拳を大きな細い手が遮った。椎名の手だ。

「……鷹月さん、佐伯志乃を……。」
「えっ?」
「紫ちゃん!志乃ちゃんの様子がおかしいわ!」

かんなと紫は五人を椎名に委ね、志乃を守るように四本の腕で撫で下ろし、ポンポンと軽く叩き、もう大丈夫と優しく声を掛ける。

志乃の様子は先程と変わらない。叫び声が止んだこと以外は。





椎名はユラッと長い前髪の下から五人を睨み付けた。細い一重の切れ目のそこには怒りが宿っていた。
五人は一歩一歩と後退る。
中には鳥肌を立てている奴もいた。
今度は打って変わって静寂な空気が彼等に恐怖感を与えた。

「……アンタら、佐伯志乃に何をしようとした?」
「…………。」

誰一人とも口を割る者、目を合わせる者はいない。恐怖に戦いて動けないのだ。

「……何も答えないと言うのは肯定と見なす。」
「…………。」
「……ち、違うんです。俺はただ和田に命令されて……。」

いい意味で裏切り者が出た。

「……その命令は何?」
「……佐伯志乃を襲えって、なあ?お前だってそう和田に誘われたよな?」
「……は、はい……。」

裏切り者が一人、二人……。
五人の鎖がぷつぷつと切れてゆく。
そんな中で和田が声を上げた。

「何だよ、お前ら!お前らだって楽しみだってあれだけ目ギラギラにしてたじゃねーか!」
「和田が最初に言い出したんだろ?佐伯志乃を襲うから一緒にヤらねえかって!」

ぷつぷつぷつぷつ。
五人の鎖も和田も切れてゆく。

「こう兄っ!」

突然上がったかんなの声の先には小出高校の生徒会長である宮本浩輝が腕組みをして重い睨みを利かせていた。
そして直ぐに携帯電話と発信ボタンが押され、ゆっくりと浩輝も椎名側へと五人に対面する形で近付いた。

「……現行犯だ。」

それだけ静かに言うと椎名の睨みに加わり、五人の足場をコンクリートで固めた。

数分後、聞こえたのは──。
パトカーのサイレンの音と教職員の足音とざわめきだった。
和田たちは何も答えることなくただ呆然とされるがままに警察車輌へと押し込まれた。詳しくは署にてと警察官に言われ、その場をゆっくりと去ってゆく。

こうして集団強姦は未遂で幕を下ろした。警察は志乃にも話をと言ったが本人がそれどころではないため後日に回されることになった。





「……良かった。」

色々片付いて紫の安堵の一言にかんなが再び叫ぶ。

「先生っ!志乃ちゃんの呼吸がおかしい!」

旧校舎の壁に寄り掛かって頭を垂れた志乃の呼吸は先程よりも更に浅く早く、しかも荒くなっていた。

「はっ……はっ……。」

短い呼吸で懸命に酸素を取り入れようとしている。肩の刻み方が余りにも速すぎる。

「……過呼吸だっ!それ以上息を荒げるな。余計に苦しくなる。」

椎名は自分の手で志乃の呼吸を落ち着かせてやりたいと思った。しかし先程の拒絶の感覚が全身に襲い掛かる。

「先生!志乃ちゃん辛そう!」
「……相澤さんと鷹月さんの手で背中を擦ってあげて。『大丈夫』だって繰り返し伝えて……。」
「じゃあ少しでも医療行為を知ってる先生の方が……。」
「……ダメだ。今彼女はフラッシュバックを起こしてる……。だからアンタたちの手じゃないとダメだ。落ち着くまでゆっくり繰り返して……。それでもダメな場合だけ呼んで、ここの奥にいるから……。」

椎名は何も出来ない両手を見詰めてから力なく宙へ放った。両腕は情けなさ気に、淋しげに、虚しそうに揺れる。
そして椎名は浩輝に『……ありがとう』とだけ告げるとゆっくり裏庭へと姿を消した。





救えた筈なのに彼に残ったもの、それは痛みだった。
彼女の痛みをそのまま受けてしまった。





人の手は伸ばすことも出来るが拒絶されることもある。
いつか彼が彼女にしたこと。
今度は彼が傷付いた番──。





守りかったものは、

(それが何で、またそれは守れたのだろうか、)

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