当たり前に溶け込んでしまった、









季節は早いことに、夏休みが明け、入学をしてから二回目の衣替えを迎えようとしていた。
残暑もだいぶ弱くなり、少しずつ秋の足音が近付いているような気がした。

アタシはいつものように放課後に旧校舎の裏庭に訪れている。
もう名前を呼び掛けなくてもアタシの気配で真っ先に駆け寄ってくる野良の頭をたっぷりと撫でてやる。
気持ち良さそうな表情はいつも自分の口元を緩ませてくれた。

そしてまた相変わらず今日もくたくたの白衣を着て、裏庭に水を撒く椎名先生の後ろ姿を見付けて目元が無意識に綻ぶ。





「……また来たの?」

もう恒例となった先生の挨拶文句も拒絶ではなく、『いらっしゃい』の意味であると勝手に解釈していた。
しかし邪魔さえしなければ先生はそれ以上何も言いはしない。それは先生のテリトリーにいても良いのだと認知されたことに値するだろう。

アタシと先生はお互いにお互いの傷を一つ告白してから、近くも遠くもない、でも触れなくて良い心地好い距離を無意識に造り上げていた。
この空間は何を語らずとも、何をしなくとも今はとても安心出来る貴重な時間であった。



水を撒く先生を横目にアタシはスカートのポケットからのど飴を取り出した。ここのところ、弟の秀人が風邪を拗らせたせいか、アタシの咳も調子が宜しくない。
平べったいキャンディーを口の中へカラコロと滑らせた時だった。

「それ、まだ持ってる?」

ホースを持って遠くにいた先生が自分の2、3歩先に立っていてアタシに向かって指を差している。
『それ』が口に放り込んだキャンディだと気づくまで暫し。仮にも教師の前で飲食したことを咎められるのかと思い、口を押さえると先生はすんすんと鼻を啜った。

「……グレープフルーツの香り。頂戴。」

先生の細く骨張った手がふわりと眼前まで降りて来る。アタシは自然とその手に触れないようにグレープフルーツのキャンディーをそっと置いた。

「……ありがと。」

カラコロ、先生の口からキャンディーを転がす音が聞こえてくる。
カラコロ、それに倣ってアタシも口の中でキャンディーを転がす。

カラコロ、カラコロ。
キャンディーの合唱は一方は水撒き、一方は野良の相手と別々の場所から重なる。

それからはまた会話は無くなったが、その分口中のキャンディー同士が会話をしていた。



──先生がアタシの持っている物を欲しがるなんて。
水撒きを続ける横顔を窺い見ながら何故か両頬に熱が集まるのを感じながら手のひらでそれを覆い隠した。





こうして保たれている空間で二人の初めてが幾つもこれから生まれて行くのだ。
この空間は一般的に『日常』と呼ばれるものに値するのだろう。

二人だけのたった一つの『日常』。





当たり前に溶け込んでしまった、

(どうか、誰もこの『日常』を壊したりしないで、)
日常 かんな 志乃 なの 紫1 
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