触れられたくないけど、触れられないで









コツン、コツン。

新校舎から旧校舎へ通じる中庭のベンチで俯いたまま、靴先で地面を蹴る女子生徒がいた。
地面を蹴る度に振動で耳に掛けた髪がはらはらと一筋、一筋落ちてくる。それでもそんなことは彼女にはどうにでも良かった。

今日で旧校舎の裏庭に──と言うよりも椎名に逢いに行くのを辞めて三日目。
授業で教壇に立つ彼を見掛けたけれど志乃の頭の中は授業の内容など一欠片さえ入って来なかった。

頭の中を支配するのは拒絶されたことに対する脅威と困惑であった。

──これからどうすればいいんだろう。

カツン。地面を蹴る足を止めて、更に深く俯いた。そしてどうするもなにも、別に椎名には一切影響がないことを自覚して肩も一緒に落とす。
別に椎名は志乃のことを待っていたりはしない。寧ろ、邪魔な侵入者が居なくなって清々しているかもしれない。





だから尚更確認をすることを彼女に恐怖を煽った。





すんすんと溢れ落ちることの無かった涙を鼻で啜っていると、志乃の俯いた視界にゆっくりと大きな影が被さるのを感じた。
これは志乃の感覚ではあるが、その影にあまり良い予感はしなかった。

影をなぞるように下から視線を上げて行く。
黒い男子のローファーに黒いパンツと詰め襟の制服。その先には見たことのない髪を茶色に染めた男子生徒が立っていた。
志乃と目が合うとその見知らぬ男子生徒が微笑み掛ける。

「ねえ、君、文芸部の佐伯さんだよね?」

いきなり自己紹介も無しに馴れ馴れしく問われた志乃はギュッと強く拳を握って、座ったまま逃走体勢に入る。第一印象、既に最悪。志乃は心の中で呟く。
それにしても見知らぬ男子生徒が自分に何の用があるのか、検討もつかない。
それは余りにも世間を知らない己れには想定外の出来事であった。

「俺、2Fの和田。佐伯さんって今付き合っている人いる?」
「……えっ、あのアタシに一体何の用件でしょうか?」
「やっだなあ、それって演技?それとも天然?まあどっちでも可愛いから良いけど。」
「……はあ?」

ただ志乃はポカンとしながらも身体は強張っていた。あまり良い話ではないのは確かだ。

「今、告白してるの。俺が君に。付き合っている人いないんだったら俺と付き合わない?君のことずっと可愛いなって思っててさ。守りたくなるところなんかさ。」

ニヤニヤと笑いながら近付いて来る和田に志乃は身体全体が凍りついた。
兎に角、気持ちが悪い。人に好意を持たれることは彼女自身にとってプラス要素であるはずなのに、今、この状況下ではそう感じない。
逃げたい、そう思った。





「あ、あのっ……すみませんが、アタシ、好きな人以外と付き合うつもりはないのでっ……。」

志乃はそれだけ和田に投げ付けると迫って来た和田との隙間を突いてベンチからすり抜けた。そしてそのまま旧校舎内へ逃げ込むべく走り出す。

どくんどくん、と心臓が嫌な音を立てる。
気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。
あれが告白なのか。気持ちなどどこからも伝わっては来なかった。

後一歩で旧校舎内と言うところで志乃の身体が後ろへ強く引力に反した。慌てて志乃は振り返る。するとそこには和田が眉間に皺を寄せて志乃の小さな身体を見下ろしていた。手首ではなく二の腕をがっちりと掴まれて、志乃は更に身体を強張めた。
大きく見開かれた瞳は驚嘆と恐怖に戦いている。

「こっちが手下に出りゃ付け上がりやがって。」
「……な……、痛っ……。」

ギリギリと二の腕に食い込んで行く和田の指が志乃の骨まで絞める。そして怒りの色が滲み出た和田の一言が志乃の深部を一刺しにした。

「誰がアンタみたいな骨と皮を相手にするかよ!俺が馬鹿だったな!」

そんなことはとうに志乃には解っている。言われなくても何度も言われた言葉を解っている。

そんな自分を相手にしたのは貴方ではないか、と志乃は唇を噛み締めながら掴まれた和田の腕の中で藻掻いた。藻掻く志乃に負けじと和田は躍起に更に力を込めた。口には塩辛い涙の味が広がった。





「……その生徒……離してくれる?」

藻掻き合っていた中に一石を静かに投じるようにその彼の声は志乃と和田の動きを止めた。
志乃の涙目の向こうには腕組みをし、こちらを睨み付ける椎名の姿があった。
いつもはくたくたの白衣に存在感のない椎名がとても今は充分過ぎる迫力で二人へと近付いて来る。

「……な、何だよアンタ!?」
「……先輩が後輩に暴力行為を働いたと次の職員会議に出してもいいんだよ。2Fのワダ……君?」

相手が教師と解った瞬間に青ざめた和田は志乃の二の腕を捨てるように思い切り振り払ってそそくさとその場から逃げ去って行った。
一方、腕を振り払われた志乃は反動で斜め前へと転がり込む。しかし、堅い床に身体がぶつかると目を瞑った瞬間に何かが自分の身体を受け止めた。
ぐっと鳩尾辺りに感じる固いものと微かな温度。

「……ったく、情けないヤツ……。」

自分を受け止めたのが聞こえてきた声の方向から椎名の腕だと言うことが解った。





『……触らないで……。』





前日の椎名の言葉が鮮やかに目の前に甦る。志乃の身体は瞬く間に椎名の腕から離れると椎名と距離を取った。

「……ご免な、さい……。」

蚊のような細い声に椎名が志乃の方を向く。何を謝られているのか、また距離を取られたことに椎名は理解出来ないでいた。

「……触れて……ご免なさい……。ご免なさい……。」

指先がじんと痺れる。先程の和田とのやり取りの恐怖感と椎名への接触の恐怖感が綯い交ぜになり、震えへと変わる。





「……違う。アンタが謝ることじゃない。」
「……でも、触れないでくれってこの間……。」

漸く椎名の合点が言った。
熱中症で倒れた時に触れられる脅威を言葉にしていたのだ。だから『ご免なさい』なのかと。

そして初めて椎名から椎名自身の告白をした。

「……俺は……人に触れるのも……触れられるのも、恐いんだ……。」

志乃には何故と言う疑問は浮かばなかった。ただ安堵と言うべきなのか、納得と言うべきなのか感情が胸に広がる。力がスルスルと抜けて志乃は床にへたりこんだ。

そして志乃も初めて志乃自身の告白をした。

「……アタシは……人に拒絶されるのが……とても怖くて……。だから……もう先生に全てを拒否されたのかと……。」





二人の間に流れる不思議な穏やかな空気が二人だけを優しく包んだ。
泣きじゃくる志乃の涙を椎名は白衣の袖で拭った。告白をしても脅威は脅威なのだ。
それでも志乃はとても満たされていた。

これで絡まった糸が一本解かれる。





「……それにしてもさっきの『骨と皮』はないな。」

独り言のように椎名は和田が志乃に吐いた暴言を呟いた。
でも志乃にとってはもうどうでもいい。

「……良いんです、本当のことだから……。」

両手を振って見せる志乃に椎名は言った。

「……生物の神秘、勿体ない。」





触れられたくないけど、触れられないで

(無意識の亀裂がそう、言う。)
日常 かんな 志乃 なの 紫1 
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