避ける彼女に僕が裂ける









気が付けば、そこは真っ白な天井で無機質な空気と消毒液の仄かな香りがした。
朦朧とする意識の中に顔を出したのはこの高校の養護教諭の結城さと子であった。
眼鏡の奥のすっとした涼やかな目元が視線が合うと、にっこりと言うよりもにやりと笑う。
身体は熱いのに、背中に寒気が走り、朦朧からサッと明確になっていく不思議な意識。

出来れば敢えて拘わりたくない相手だった。

「おっ、椎名起きた?」

その声に反射的に顔を背ける。寧ろ自分の条件反射であると思う。
この声に振り向くな、と。





「ったく、相変わらず可愛くないわねぇ。で、今日もまた『熱中症』ね。気を付けろってあれだけ言ってるのに。私はあくまでも生徒の養護教諭なのよね。アンタが一番手の掛かるガキんちょだわ、はははは。」

病人の前でもお構い無しの豪快な態度によく看護師免許が取れたものだと思う。
自分は単に放っておいて欲しいだけなのだ。反射的に背けた顔を枕に押し付けて掛け布団を頭まで被ってやった。

どうもこの通りのいい声は自分に当たると鼓膜が痛いのである。





一頻り結城は笑い続けると、頭まで被った掛け布団をこれまた容赦なく剥ぎ取る。

「……何する……ですか……。」

相手は一応6つ先輩だ。敬語も一々面倒臭いがそれが自分自身にもできる必要最低限の礼儀だ。

「……成長のない下手くそなケーゴね。一つ伝えておくわ。椎名を運んだのは生徒会長と文芸部の子達だから、後で礼をしなさいね。以上!」

腕を組んだ結城はそれだけ言うと剥ぎ取った掛け布団を上から今度は思い切り顔に押し付けて、ベッドサイドから去って行った。
ガチャン、と扉が閉められ彼女が保健室から出ていくのを遠くに聞いて、大きな息を吐き出した。





体温が上がっているせいか、脈がとても近くに響いて来る。氷嚢を抱き締めて冷を取った。
気持ちが良いなど感じる余裕は無かった。ただただ煮え立つような脳内と身体がキツい。
そして気になるフレーズが頭痛に伴って脳内を巡る。





自分は生徒会長と文芸部の生徒に運ばれたと言う結城からの事実。

彼女が──佐伯志乃が自分に触れようとして。
一体、その後はどうなったのだろうか。

ただあの時、瞬時に感じたのは触れられる事が酷く脅威だと言うことだけは鮮明に覚えている。

そして、それから?

そこから先の意識は冒頭に戻る。
掛け布団の中で胎児のように小さく身体を丸めてまた薄れて行く意識の中に身を投じた。





──翌日。
熱中症を起こして一日過ぎた。
結城に笑顔で釘を刺されたことを思い出して眉間に皺が入る。

サアアアッ……。
ホースの先を扇状に潰して、草木に霧のような水を蒔いてやる。勿論、新芽には掛からないように注意を向けながら。

そしていつものように野良が現れた。自由自在な尻尾は相変わらずで自分を見た途端に猛スピードで駆け寄ってくる。そして忘れ去られた子どものように自分に懸命にすがった。

悪いことをしたな、と腕の中にいる野良を抱き締めながら強く撫でてやる。
生物はやはりとても繊細で敏感である。

野良が気の済むまでその小さな頭を撫でてやった。どれだけ時間が経ったのか分からない。漸く安心そうな顔をした野良に無意識に訊いていた。





「……佐伯志乃……は?」





野良がその名前にピコンと耳を立てる。舐めていた肉球が綺麗なピンク色をしていた。

「ニャア?」
「……いや、別に……他意はない。」

何だか野良に言い訳をする自分が不思議で仕方がなかった。ただコイツが誰より彼女のことを知っていると思ったまでだ。

その日、一日佐伯志乃が旧校舎の裏庭へ姿を見せることはなかった。
何処かで自分の安否を必ず確認しに来るだろうと勝手にインプットされていたようである。





そして彼女は次の日も、その次の日も裏庭に現れることはなかった。生物の授業時には見掛けたから学校へ来ているのは確かだった。

──おかしい……。

なんて考え始める自分も明らかにおかしい。これではまるで自分が佐伯志乃が来ることを待っているようではないか。

でも彼女は来ない。





ピシッと自分の身体の中で知らぬうちに亀裂が入った。
硝子に一筋の線が入るように綺麗で触れればとても脆い裂け目。
無意識の奥の方、そして意識を始めたら痛みが止まらない傷──。




避ける彼女に僕が裂ける

(破片が飛び散るのも時間の問題。)
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