![]() | 拒絶の拒絶 |
もうすっかり衣替えも終わり、夏の花たちが芽を出して空の天辺から注がれる太陽の光をたっぷりと浴びていた。 裏庭と言えども、放課後になれば西陽がかなり強く当たる。まだまだ夏の一日は終わっていないぞ、と傾く太陽が燦然としていた。 だからこそ、夏場の裏庭には注意を向けなければならない。 己れの身体に鈍感な人には警告をしておく。 いつもより少し長引いたホームルームも、朝から右側だけ跳ねてしまって気になっている毛先も、お弁当に入っていた苦手な梅干しの味も、この時間にはすっかりと忘れて勝手に足が舞うは裏庭。 志乃は白いブラウスから伸びる細い腕を振って大股で旧校舎の裏へと回る。 校舎から顔を出した西陽が目に真っ直ぐ射し込んで思わず片手で瞳を覆った。キュッと瞼の奥がすぼまるように痛む。 体質的に汗はかかない彼女だが、その分体内の熱が上手く逃げてくれないため彼女の身体は眩んだ光と共に熱を思い出す。 暑い……。 ゆっくりと西陽から芝生へと目を労るように移すと、ふうっと息を吐いた。 思い出した身体の熱に、手の甲に血管が浮き出る。どくんどくん、と手の甲で脈打つのを感じた。 その時であった。いつもは撫で声で鳴いて来る野良が志乃を見付けるとタックルするかの勢いで飛び掛かって来た。 「ニャアアッ!」 鳴き声に濁点でも付けたいくらいの強い鳴き方に志乃は足にしがみつく野良を戸惑いながら一先ず落ち着かせるべく、いつものように頭を撫でる。 「……な、何かあったの?野良ちゃん?」 落ち着かせるのは志乃自身へも同じであった。こんな野良を見たのは初めてであったからである。 いつもの茶目っ気たっぷりの野良に似つかわしくない様子に志乃はどくりと嫌な音が体内から聞こえた気がした。 野良の頭を撫でながら裏庭の奥地を見やる。そこにはいつものよいに白衣を着た椎名の姿があった。 どくり。 ただその姿はその場で俯せになって倒れて動かない。 どくり、どくり。 志乃は何かを叫びながら野良と一緒にその下へと駆け寄った。 知らぬうちにいつもはかかない汗が額を伝っていた。 「……椎名先生っ!?」 花壇の手前でホースが乱れている。そんな中に椎名は静かに倒れていた。 「先生っ!?大丈夫ですか!?何があったの!?」 志乃は半分泣き声混じりで椎名の白衣を揺らした。 そこでうっすらと細い細い椎名の瞳が僅かに開いて、瞳が志乃を見付けたのが分かった。 椎名の手の甲にも太い血管が凸凹と幾本も浮き上がっている。 「……アン……タ……。」 「先生、大丈夫ですか!?もしかして熱中症?」 椎名の口許は『さあ?』とだけ動いた。身体が渇ききっている。 熱で脱水を起こしている。 「先生、今手を貸しますから起きれますか?」 志乃がそう椎名の手のひらに触れるか触れないかの寸前だった。最後の力を振り絞ったかのように椎名の言葉が掠れながらも志乃の耳へと届く。 「……触らないで……。」 その言葉だけはっきり吐き出すと、すうっと椎名は瞼を閉じ、再び浅い呼吸を始める。 ツンッとその言葉は鼓膜を突き破り脳天から電気信号のように身体全体、末端まで痛みとして送られる。 志乃はその場に倒れた椎名に触れることも出来ずに足元が崩れた。 スカートのプリーツはお陰でしわくちゃだ。あちこちに波を打って芝生へと着地する。 触れる寸前だった手をゆっくりと胸元に引き寄せて志乃は半分頭が真っ白になっていた。 ─この人を保健室へ運ばなければ……。 ─でもこの人に拒絶をされた……。 ガクガクと彼女の手が震えだす。 ぽろぽろと彼女の涙が流れ出す。 胸の中に『アンタは要らない』と言う熱くて拒めない烙印を捺されたように痛くて、痛くて、痛くて。 椎名はその後、窓から偶然見ていたかんなちゃんと紫ちゃん、そして生徒会長の力添えで保健室へと担架で運ばれて行った。 皆は黙々と手に軍手をはめて椎名に触れて保健室へと送って行ってくれた。 アタシはその一部始終をただ涙を溢しながら見ていることしか出来なかった。 まさか単刀直入に触れることを拒絶されるとは思っていなかったこと。触れても大丈夫ということは勿論アタシの勝手な先生への解釈だったのだと思う。 ──でも……。 何よりも目の前で拒絶をされたことがとてもアタシには突然過ぎて、また拒絶を恐怖とするアタシには動くことが出来なくなってしまった。 拒絶はアタシ自身を否定されることを意味するものなのだ。 だから今回アタシは椎名先生に否定をされてしまった……。 そのアタシの中の現実が喉を塞いで上手く息を吸うことが出来ない。 まるで水の中にでもいるようだ……。 後から生徒会長から聞いた。 椎名先生は熱中症で倒れていたと言うこと。もう少し発見が遅ければ救急車を呼ぶことになっていたかもしれないこと。 先生に大したことはなくて良かったとは思うけれど──。 『……触らないで……。』 何度でもリフレインする先生の拒絶の一言。 拒絶を受け入れられる程、アタシは大人じゃない。寧ろ怖くて怯えていて堪らない。 アタシは誰もいなくなった裏庭で静かにひっそりと声を殺して、泣いた。 拒絶の拒絶 (拒絶の恐怖を貴方の中に見付けた。) |