この熱が私に教えてくれる事とは、 |
ザザアザザア、ザザアザザア。 耳から鼓膜を通して頭の天辺まで雨音が打ち響く。 目の前には輪郭がぼんやりとした椎名先生がアタシの事を見ているように見えた。 その口元が微かに動く。 何かを呟いているの? 今度は先生の持っていたビニール傘を押し付けられた。曇ったビニール傘の中にはぱたぱたと大きな雫を弾く小気味いい音が広がる。 そうしてもう一度、先生は口を動かした。 何かをアタシに言ってるの? でもね、先生。アタシ、雨音以外は耳に入って来ないんだよ──。 一瞬、志乃が微かに笑った。 そしてそのままぐらりと身体が前へと倒れて、椎名は咄嗟にその頼りなさ気な身体を片手で受け止めた。 受け止めてみてギョッとする、彼女の身体の薄さと体温の高さ。 制服は絞れるのではないかと言う程にずぶ濡れであった。 一体、どれだけの時間、雨に打たれ泣いていたのだろうか。生物の生の流れの一部を切り取って喪に伏する事など何一つないのに、と椎名は腕の中で瞳を閉じた志乃を見つめて思った。 生物は循環するものなのだから。 「……アンタって……。泣いてるか、寝てるかばっかだよね。」 志乃に小さく問い掛けると、半ば慣れない手つきで彼女をゆっくりと抱き上げる。台車が傍に無いことに残念に思う。 彼女の身体から伝う雨粒は冷たい。それに比して彼女の体温はとても熱かった。 それは直接触れなくとも敏感な椎名には布越し同士でわかった。 これまで人に触れることを拒んでいる彼には嫌でも敏感になる感覚だ。 人との接触はいつかの裏切りを意味する。 こんなはずではなかったのにと奥歯を噛み締め、志乃が落ちないようにもっと力を込めて寄せる。 綺麗な瞼を縁取る睫毛を見詰めながら、椎名は保健室へと向かった。 『只今、不在中のため体調の悪い人だけ自由に使ってね♪』 辿り着いた先で椎名を待っていたのは茶目っ気たっぷりの字で書かれた養護教諭、結城さと子の貼り紙だった。 椎名の腕は筋肉が震えだし限界が近い。幾ら軽い女子生徒だとしても椎名に長時間耐えうる筋肉は残念ながら備わっていかなった。 がっくりと頭をもたげ、仕方なく足を使って保健室の扉を開く。消毒液の微かな香りが椎名を安心させた。 でも限界はもうすぐそこまで来ている。4つ並んだ一番手前のベッドへ志乃をやっとの思いで横たわらせた。 手が自由になり、ふわりと浮いてしまいそうな感覚になる。そんな科学的なことは生物科の椎名にはよくわかっていたが、自分の手で人を運ぶと言うことは知らなかった。 ずぶ濡れの彼女の頬が赤い。 熱が高いのだろう。 しかし養護教諭は不在の中だ。 椎名が出来ることは限られている。 傍にあった乾いたタオルで顔と髪を拭いてやる。 「……ん、」 彼女が大きく呼吸をして動いた顔の、その肌に人差し指が触れた瞬間、椎名は弾けたように手を離した。 自分の素肌で触れることを拒んでいる。そして怖れんでいる。 椎名はさっきよりも軽く顔と髪を拭いてやった。 「……椎名……先、生……?」 「……目、覚めた?」 志乃の呼び掛けに顔を覗かせると先程同様志乃の瞼は閉じられたままだった。その瞼を縁取る睫毛を眺めながら、寝言なんて紛らわしいと呟きながら、志乃の髪を拭いたタオルで自分の濡れた髪をガシガシと強く拭き払う。 何かを一緒に振り払うように。 ……何でここまで入り込んで来る? クロッカスだって俺に謝るべきことではなかったはずだ。 それなのに。 ──わからない。佐伯志乃がわからない。 体温が上がって辛いのか浅くなって来た呼吸に俺がしてやれることは何もない。 唯一出来るのならば──。 俺は震える低体温の手を彼女の額に添えた。 前髪の上から。 熱くなる身体を感じながら、どこかで気持ち良いなと夢現に志乃は意識をさ迷わせていた。 この熱が私に教えてくれる事とは、 (それは今はまだ見知りえない、彼の存在。) |