踏み外したの拒絶の一瞬









黄色いクロッカスが順調に回復をしているのが目でも明らかであり、それを白いクロッカスが静かに見守っていた。
独りぼっちはやはり淋しいものだったなと黄色いクロッカスに尋ねる。
陽の照る朝のこと――。





今日も彼女は裏庭に現れた。クロッカスの様子を見て安堵の笑みを浮かべる。そして黄色いクロッカスと白いクロッカスを交互に撫で上げた。
その瞬間に生暖かい何かが背中を走り、自分はその感覚に鳥肌を立て、手にしていたスコップを思わず放り投げた。
風邪でも引いただろうか。確かに規則正しい生活を送っているとは言えかねるところだ。





「今日もありがとう、元気な姿を見せてくれて。」

彼女の声が柔い風に乗って自分の下まで届いた。世話をしている当人が世話をしている者に対して感謝とは――正直、有難かった。

しかし彼女は懲りずに自分の姿を賺さずキャッチすると野良の様に小ぶりな身体で懸命に駆けてきた。

「おはようございます、椎名先生。」

まるで歌うようなトーンで挨拶をされ、眉間に皺を寄せる。どうやら彼女を見ると反射的にその行為がインプットされたようだ。

――そもそもインプットされること自体が疑問で堪らない。





「……何しに来たの?」

溜め息混じりに視線をまた自分の花壇に戻し、スコップを拾い上げた。
調子が狂うのは自分の中で頂けない事象だ。実に不快である。

「何って、クロッカスに会いに、です。」

少し遠慮がちに笑っているのは自分の拒絶を感じているからだろう。
彼女は物理的距離だけでなく、目に見えない感覚的な距離も一線置いていた。空気は読める癖に読めない。何たる矛盾がここに存在しているのだろうか。

「……俺には用事はないでしょ。」
「……佐伯です。アタシの名前、佐伯志乃です。」
「……だから?」
「今日は自己紹介に来ました。いつもアンタだから……。後、先生はお忘れかもしれませんがアタシ1年E組の生物科係ですから。」

その言葉に自分のした行動を振り返る──も覚えは無かった。それも当然だ。
俺は誰にも興味は持ち合わせていないのだから。





「……別に自己紹介なんて要らないよ。直ぐに忘れる。」

俺は佐伯志乃と名乗る女子生徒から一歩物理的に距離を置くと、再びしゃがみこみ土を掘り起こして花壇に蔓延る雑草を引き抜いた。
ここにはいないで欲しい存在。
まるで彼女のようだ。

ハッとして掴んだ雑草を荒々しく背後へと放り投げる。土が舞ったが俺は構いはしなかった。
しかし次の瞬間、小さな声が上がった。

「……痛っ、」

また反射的にその声の方を振り向く。すると佐伯志乃と名乗る女子生徒が左目を押さえてその場に蹲った。

「……何事……だ?」
「ああ、大丈夫です。何か砂が目に入ったみたいだけですから。」

彼女は手を振って笑顔を見せた。砂は俺の放り投げた雑草に付着していたものだろう。
小さな粒だからこそ、繊細な角膜が傷付くのだ。俺は周りも確認せずに起こした事情を漸く理解した。
目をひたすら掻こうとする彼女の手を止める。

「……悪かった。角膜が傷付くから掻かないで。」

ぱちくりと大きな瞳が瞬く。その瞳は真っ直ぐ俺を見詰めていた。





そのまま水道場まで連れていき、目を洗浄させる。土は取れたようだが異物感が残るのか、再び佐伯志乃と名乗る女子生徒は真っ赤になった目を掻き毟った。
今、一番やらないで貰いたい行動だ。

「……ダメだ!」

気が付けば、彼女の腕を強く掴んで大きな声を出していた。そしてそんな自分に驚いている俺がいる。

「……悪……かった。」

自分より僅かだけ体温の高い彼女の腕を素早く離すと、前髪をかきあげた。まるで何か言い訳でも探しているようでまた不快になる。今度は自分自身に対して。

彼女は小さく『いえ』とだけ呟いて下を向いてしまった。
強く言い過ぎたか、でも角膜を傷付けてしまってはならない。





沈黙を縫って柔い風が二人の間を通り抜けた所で彼女が突然の質問を投げてきた。

「……あの、先生は何で白いクロッカスを植えてくれたんですか?」

あの疑問はもう解決されたのではないのか。また彼女は疑問を簡単に振り出しに戻す。

「……それはもう答えたはず。」

俺の言葉に『いいえ』ときっぱり返した彼女。そしてまだ左目が真っ赤なまま俺を真っ直ぐ見詰めて、更に言葉を重ねた。





「まだ主語を訊いていません。淋しかったからと言っていたけれど、それはクロッカスですか?それとも先生自身ですか?」




──何も応えられない──。





踏み外した拒絶の一瞬

(自分もまた人間なのである。)
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