どうせならもう息もできないくらいにしてくれよ









 アカデミーの長い廊下はしんと静まり返っている。今日は授業はないし、卒業試験に合格した忍たちも担当上忍と合流して各々説明を受けている頃だ。一人吐いたため息は、廊下の先へと消えていく。先程イルカ先生に聞いた話を思い出しながら、私は少しだけ窓を開けて外を眺めた。



「カカシ先生の演習試験は、今まで誰も合格したことがないそうなんです」



 卒業試験を通過した者が次にぶつかるのが、スリーマンセルで挑むサバイバル演習だ。それぞれの担当上忍による課題にクリアした者だけが、正式に下忍として認められる。狭き門であることに間違いないけれど、今までに合格者が0だなんて、聞いたことがない。カカシが厳しい人だとは知っていた。それでも全員をアカデミーに戻すなんて、どうにも腑に落ちない。



「……何か、考えがあるのかも」



 外の景色に向かって呟いてみても、返事はない。それでも柔らかく吹く風が肯定してくれているように感じるのは、私がそう望んでいるからだろうか。その真相を本人に聞く機会なんて、きっと無いけど。

 仕事に戻ろう。いくら考えても分からないことに囚われていても仕方がない。職員室に戻ろうと踵を返すと、廊下の先によく見知った人影があった。いつから見ていたのかは分からない、けれど急に目が合って驚いたのか、彼は目を床へ向けると頭をかいた。



「あー…お疲れ様です、名前先生」

「カカシ、先生」



 ここにいるはずのないカカシが、いつかのように目尻を下げる。どうしてここに、私の消えそうな声を拾い上げたカカシは、「これから下忍達のところに。また遅刻です」と笑った。愛想笑い、だと思う。あまり見慣れないカカシの笑顔に、つい目を逸らしてしまう。そんな私の態度に、少しの沈黙が流れた。カカシが嫌いな訳じゃない。ただ、彼を見ているとどうしても姉の姿が浮かぶ。もしかしたら姉は、今もカカシの隣にいたかもしれないのに。カカシは何かを言いたげにしていたけれど、しばらく視線を彷徨わせて、「それじゃ、」とまた笑って止めていた足を再び動かした。俯いたままの私の前を、懐かしい香りが通り過ぎる。あの頃と変わらない、私が好きだった香り。



「………っ」

「…名前先生?」



 驚いて振り返るカカシに、私は言葉を詰まらせた。引き留めるつもりなんて、なかった。それなのに私の指先は、カカシのベストの裾を握っている。自分でもその行動に驚いて慌てて手を放すと、カカシは私に向き直って少しだけ上体を屈めた。



「どうしました?」



 優しく問いかける声は、あの頃と同じ。私が悩んでいる時も、照れている時も、謝りたい時も。いつも目線を合わせて、私が話すまで待ってくれる。私は笑顔ひとつ見せることもできないのに、カカシはあの頃と変わらず接してくれる。その優しさが、胸を突き刺しているみたいで苦しい。



「……先生のサバイバル演習では、今まで一人も合格者が出ていないと聞きました。理由を、聞いてもいいですか?」



 ゆっくりと深呼吸をして視線を上げると、真っ黒な右目と目が合った。緊張で飛び出そうなほど脈打つ心臓と、震える声。ここまできたらと少し気になっていたことを口にすると、カカシは優しく細めていた目を見開いた。聞いてはいけないことだったかもしれないと後悔しても、一度口から溢れた言葉は戻らない。答えを求めるように見つめたままでいると、今度はカカシが私から目を逸らした。



「チームワークがない者は仲間を危険に晒す。…かつての俺のような忍を出さないためです」



 ひゅっと喉の奥が乾いた音を立てる。オビトも、姉も、ミナト先生も。みんないなくなってしまって辛かったのは私だけじゃない。ううん、きっとカカシの方が、ずっと何倍も苦しんできたはずだ。同じ班で、仲間で、みんな目の前で亡くなって。それなのに私は自分のことばっかりで、酷いことを言って、カカシが一人でどんな思いをしていたかも知らずに。



「あの、私………」

「これはあくまで俺の考えだ。名前のせいじゃないよ」



 ふわりと、優しい手のひらが私の頭を撫でる。その振動で、瞳に溜まっていた涙がハラリと頬を伝って落ちていった。私のせいじゃない、なんてことはないはずだ。あの日私は、傷ついているカカシをさらに傷付けたのに。ゴツゴツとした指先で頬に流れた涙を拭うと、カカシは「泣かないでよ」と小さな声で言った。謝りたいのに、喉の奥が詰まって言葉が出てこない。拭っても拭っても涙が止まらない私に困り果てたカカシは、私の掌にそっと手ぬぐいを乗せた。「これ、使って」ともう一度頭を撫でると、カカシは私に背を向けた。ゆっくりと廊下の先へと消えていく背中を見つめながら、私は追いかけることも声をかけることもできなくて、ただただ自分の言葉に後悔するばかりだった。









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