59 アイニージュー

─カチ…カチ…



静かな教室に唯一響く時計の音。遠くに響く部活の声。

気まずいって。気まずすぎるって…!



「……。」

「……。」



“お前ら今日二人、居残りな”

気軽に言ってくれるなよ先生。そりゃ宿題を写したあたしが悪いよ?盗んだのも悪かったよ。十分反省してるよ。来年からは死んでも弦一郎なんかに頼らないって神様に誓ったよ。だからもういいじゃん。次から気をつけましょうでいいじゃん…!

途中何度か、ガタッと後ろで物音がして、うっかり振り向きそうだったけど堪えた。

後ろには、仁王がいる。
あたしは一番前の席。仁王は一番後ろの席。列は違うけど。



“フハハハハ!愚か者め!”



思い出しても憎々しい。あのクソジジイ。タイミング悪すぎだろ。相変わらず空気の読めない。どうやって復讐してやろうか。何やってやろうか。

言い付けられた課題にまったく集中できず、あたしはそんなことばかり考えていた。さっさと終わらせて帰ればいいんだけど。後ろが気になっちゃって。

仁王があたしの方を見てるとか、自意識過剰もいいとこだけど…。



─ガラッ…



後ろの扉が開く音がした。またうっかり振り向きそうになったけど、また堪えた。反射的に。
でも誰か来たのかもしれない。それなら振り向いてもおかしくない。

振り向く=仁王を見ることになる=ケンカしたままで気まずいから何も話せない、という方程式が勝手に出来上がっていたあたしは、そのせいで後ろを振り向けなかった。

今まで何度となく、自分の中の変な意識から“仁王と話せない”状況があった。それがいかに息苦しいか、わかってた。だから避けたかった。
でも、それでも仁王と話したい。こんな空気は嫌だと思ってる。今も、今までも、何度となく。

これはある意味チャンスかもしれない──、
そう思って、あたしは恐る恐る後ろを振り向いた。



「……あれ?」



意を決したものの、後ろには誰もいなかった。仁王すらも。
そうか、あの音は仁王が外に出ていく音……。

そうすぐに結び付いて、あたしは仁王の席にそろそろと寄った。外に出ていくってことは、だ。



「…やっぱり。」



机の上のものは全部なくなってた。きっともう終わって先生に提出しにいったんだろう。よく見ると机の横に置いてあったラケバもなくなってる。そのまま部活にでも行ったのか。

あたしは拍子抜けした気分で、仁王の席に座った。ストーカーじゃないよ。脱力感あってのこと。

さっさと終わったのはそりゃすごいけど。俺の写す?とか、お先にーとか、そんなのもなく帰っちゃうなんて。



“仁王のどーゆうとこがいいと思ってるわけ?”



いつだったか丸井に聞かれた。そのときは迷わず“優しいとこ”って答えたけど。
もちろん優しいよ。他の子より全然優しくしてもらってると思う。弦一郎の頼みがどうのこうの言うんじゃなく、単純にあたしとの関係において優しいと思う。

でもたまに、冷たく感じるときもある。優しかったり冷たかったり、よくわかんない。
それが仁王…、なのかな。



「あーー!!」



もやもやした気持ちと、不安と、プラス弦一郎への恨みもあって、あたしはかなり苛立ってた。

そんなあたしの汚れた心と対照的に、仁王の机はすごくきれいだった。
丸井の机はよくわからん落書きでいっぱい。あたしのもこっそり書いた公式とかで汚れてる。去年使ってた人が乱暴だったのか、傷とかもいっぱいついてる。でも仁王の机はきれいだった。

…落書きしてやろーか。
恋愛詐欺師とか、このハート泥棒とか。好きだよバカ!……とか。

ちょっとドラマっぽいな。青春っぽいな。次の日仁王がそれ見て、まさか茜が俺のこと…?みたいな。



「…って、何アホなこと考えてんだ。そんなロマンチックなこと書けるわけな………、」



─ガラッ



誰か来た。あたしは体を硬直させる。氷のように。

一人ツッコミと、誰もいないのに照れている自分。それだけで怪しいのに、今はさらに恐れ多くも仁王という人物の席に座っている。

立海警察24時があれば間違いなく突き出されてる。



「……何しとるんじゃ。」



おまけにご本人登場。

漫画だったら、ギィー…という壊れたからくり人形を動かす音みたいな擬音語がつくだろう。あたしはぎこちなく後ろを振り向いた。



「に、仁王…くん…!」



心底不思議そーな顔した仁王。不思議そうというより不気味そう?ああ、落書きなんてバカなこと考えずにさっさと自分の席に戻ればよかった…!

後悔しても遅く、あたしはすぐに立ち上がり席から離れた。



「か、帰ったのでは……、」

「忘れ物した。」



あーそのパターンね。よくあるよね。ベタなシチュエーションだよ。忘れ物なんてしてもあたしだったらそのまま忘れたふりして帰るけどね。仁王もそうであってほしかったわ。



「……。」

「……。」



さっきよりも気まずい、重苦しい雰囲気。仁王も仁王で、忘れ物のはずなのに何も取ろうとしない。



「…仁王くん?」

「あっち、」

「え?」

「ちょっとあっち向いててくれんか?」



前のほう、黒板を指さされ、あたしは勢いよく仁王に背を向ける。

そして仁王はがさがさと、自分の机から何か出したようだった。



「いいよ。」

「え?…あ、はい。」



くるっと仁王のほうに向き直ると、仁王は特に何も持ってなかった。忘れ物っていうからノートか何かかと思ったけど。
てゆうか、あっち向いてってことは、あたしに見られたくないもの?

それがなんなのか気になって、仁王と気まずかったはずなのに、じろじろと仁王を見つめた。



「気になるんか?」



あたしの態度で何を思っているのか気付いたんだろう。仁王はククッと笑った。

昨日の笑い方とまったく同じなのに。今日は、今の仁王は、まったく嫌な感じはなかった。
むしろ、いつもの。あたしの好きな仁王の笑顔だった。



「それは秘密じゃけど。それよりさっきな、ブン太からメールあった。」

「丸井から!?」

「ああ。来週から学校くるって言うとった。」



そっか!丸井は無事なのか!来週から来れるんだ。

あたしは心の底からホッとした。丸井に何か大変なことが起きたのは事実で、それで丸井が元気ないんじゃないかとか、へこんだりしてるんじゃないかとか。

母親さながら。弦一郎があたしの父親ならあたしは丸井の母親みたいだ。…まぁ、親友なんだけど。



「よかったな。」



あたしのホッとした気持ちが伝わったのか、仁王も安心したような表情だった。
でも少し引っ掛かりを感じた。

じゃー俺は行くからと、仁王は教室を出ていこうとした。



“お前がいなくて困るのは、ブン太じゃろ?”



よかったなって言うのはあたしへの言葉。あたしが、丸井がいなくて寂しがってる、不安がってると思ってたんだろう。確かにその通りなんだけど。



「仁王くん…!」



半ば夢中で、仁王のラケバを掴んだ。思わぬ力が働いて、仁王は後ろ向きに倒れそうに、あたしはラケバに激突した。



「ぎゃ!」

「あ、すまん。大丈夫か?」



自分が蒔いた種なのに、いちいち心配してくれる仁王は優しいんだ。さっきの丸井の件といい、やっぱり優しかった。

鼻を押さえるあたしを見て、笑いを堪えてるのは冷たいんじゃない、愛嬌だ。



「あのね、」

「ん?」

「仁王くんもね、あたしには必要だから。いなかったらやだよ。」



指揮とか関係なしにね。…とまでは言えなかった。

よくよく考えてみて、机に落書きするのと同じくらい恥ずかしいこと言ってるじゃん。
そう思ったのは、仁王の、びっくりした顔を見たから。

でも、ちょっとだけ昨日の仁王は寂しそうだったから。あたしの気のせいかもしれないけど。合唱コンなんて馬鹿らしいって思ってる以外に、丸井丸井ってなっちゃってるあたしのせいもあるかもって。

仁王だって必要なんだよって。



「ありがとな。」



やっぱり伝えてよかったと、そう思えるように仁王は笑ってくれた。



「でも、交換はしてやらんからの。」

「交、換?」

「席、後ろがいいんじゃろ?ま、授業以外なら好きなだけ座りんしゃい。」



今度はククッと笑って、教室を出ていった。

あたしはというと、いっぱいいっぱいに伝えた気持ちと、
さらに、さっきの恥ずかしい事態を思い出して急に赤面してきた。
そのせいで、仁王を追いかけることはままならなかった。

結局頑張って終わらせた課題。弦一郎や仁王の手も借りることなく。

ちょっと大人になったかもしれない。自分に、ちょっとだけ、満足した。

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