出席番号が近くて、それなりに仲良くはしてたけど、中学はあたしは私立の立海、彼は近くの公立中学に進学した。それからは接点はまるでなかった。
彼を久しぶりに見たのは中学1年の夏も終わりかけた頃。あたしはお母さんと買い物に出かけていたときだった。
「あれ、葛西君じゃない?小学校、一緒だった。」
「あ、ほんとだ。」
「…すごい髪色。雰囲気変わっちゃったわね。」
「…そーだね。」
「葛西君のお母さんも大変ねぇ。」
うちのお母さんは基本的に厳しい。部活がない日の門限は17時だし、毎日勉強する時間を求める。外見にも厳しい。茶髪やピアスなんて論外だし、制服を着崩すことも許さない。皆勤賞も狙えって言われてる。
だから、あの葛西君が異様に見えたんだろう。ついこないだまではあたしと同じ学校、同級生だったから。
でもあたしはそんなお母さんにこそ、違和感があった。
だってうちの立海にも、派手な生徒はけっこういるから。中学生ならみんなきっと一度はそういうことに憧れを持つんじゃないだろうか。
あたしはその通り、葛西君のようにいわゆる外見の乱れた、校則違反をする人に憧れがあった。でもあたしがそうなるのは到底無理だった。だからこそとも言える。
「ねー、柳君。質問。」
1年の頃、柳と同じ委員会だった。
柳はそんな葛西君とは程遠い風貌。髪も真っ黒できれいに揃ってるし、たとえ夏の暑い時期の体育終わりでも、しっかりと制服を着こなしている。
でも柳の入ってるテニス部。テニス部には、派手な生徒がいる。テニスコートで派手な髪色の人を何度か見かけた。顔もなんだか男前が多くてカッコいいなぁって、そう思った。あたしには出来ない真似だし。
「何だ?」
「テニス部って、規則とかないの?」
「規則?テニスや試合に関する掟ならあるが。」
「や、そーゆうんじゃなくて。髪の毛とかー、制服崩すとかー。」
柳は少し考えたあと、ないな、とキッパリ答えた。そしてあたしが疑問に思ってたことをきっと理解した上での言葉を続けた。
「ただ、弦一郎が渋い顔をしている部員もいるがな。」
「げんいちろう?」
「真田弦一郎。同じテニス部、風紀委員だ。」
「え、うちの生徒?」
「ああ。お前が言っているのは仁王や丸井のことだろう?目下指導中だ。」
「へー。風紀委員だから?」
「それ以上に、あいつは厳格な性格だからな。規律を乱すものは許せないタイプだ。」
「ふーん。」
「加えると真面目で頑固だ。」
あたしはそのとき、仁王君や丸井のことは知らなかったけど、たぶん、かっこいいと思った真っ赤な髪の毛の人や銀だか白だかの髪の毛の人のことだろうと思った。
そしてそれを指導する人がいる。先生ではなく、同じ生徒で。真面目で頑固。どんな人だろう。関わるのも怖そうな人だ。
茶髪も制服を崩すのもあたしには出来ない真似だけど。それに憧れているから何だか、後ろめたさがあったんだ。
でもそう思ってたのはただの杞憂で、あたしとその真田君が関わることはなく月日は過ぎていった。
そして2年に上がった頃。
あたしは相変わらず柳に負けず真面目な風貌で、皆勤賞も狙って日々真面目に過ごしていた。
もうすぐ夏も本番ってとき。その日は朝から暑くて、あたしは数日貧血気味で体調が悪くて、学校を休みたくなった。
でも、もちろんお母さんはそれを許してくれない。遅刻するギリギリまで粘ったけど、結局登校することになった。
こんなことならウダウダしてないで早く行けばよかった、そう思いながら走って学校へ向かった。いつも通りの時間ならたくさん生徒はいるけど、ちょっと遅いこの時間、周りには全然人はいなかった。
でも校門の少し手前で、同じく走って学校へ向かっている女子生徒と出くわした。
2年から同じクラスになった、茜だった。そのときはまだ全然しゃべったこともなくて、彼女は同じクラスの上野さんってだけの認識だった。だから話しかけるのも少し戸惑ったけど。
茜はスカートが人より短い。それだけがあたしの興味を引いた。
「おはよー、上野さん。」
「…あ、お、おはよう!葛西さん。」
あたしの名前を覚えてたのは意外だった。まぁ同じクラスではあるけど。彼女はあまり周りに興味がなさそうだったから。部活にも入ってないし、遅刻も何度か見たことがあるし、成績もよくない。あたしとは少し違うタイプだと思ってた。
「間に合うかなぁ。」
「間に合うよ!この時間なら走ればいける。」
いつもギリギリを生きてる彼女のことだ。きっとこの時間なら大丈夫と、確信してたんだろう。
でも、校門がもう見えた辺りで。あたしは貧血と走ったせいか、気分が悪くなった。もう走れないぐらい。
一緒に走ってるのに、立ち止まったら悪いかな。先に行ってもらおうか。でもそしたらあたしは遅刻しちゃう…。
そう思ってたら、あたしじゃなくて、茜が止まった。つられてあたしも立ち止まる。
「…上野さんどうしたの?」
「あー…、やっぱ、もういいかって。」
「え!?」
「もう走っても無理だよきっと。だから歩いて行こう。」
そう言ってゆっくり歩き出した。
あたしはただの汗じゃない、冷や汗も出てきて、これ以上走ったらきっと吐くか倒れるかしてたかもしれない。
「…皆勤賞、無遅刻も狙ってたんだけど。」
「あーそれは残念。でもやめたほうがいいよ。」
あとで聞いたら、あたしの顔色がすごく悪くてぶっ倒れるんじゃないかって思ったから、茜は止まってくれたみたい。あと、具合悪いあたしと一緒なら説教も免れるかもとも思ったって。
おもしろい子だなーって、思った。あたしと考えるポイントが違う感じ。
そしてそんな茜の予想が当たったかのように、あたしは貧血でそのあと保健室へ行くことになった。でも早退は出来ない。放課後までそこで過ごすことになった。
「葛西さーん。」
放課後。寝ているあたしを茜が起こした。手にはあたしの鞄を持ってた。
「体調大丈夫?もう授業も終わったよ。」
「…あ、ごめんね。鞄ありがとう。」
「いえいえ。」
部活は出ずに帰るしかないか、そう思って体を起こすと。
ガラッと、激しく保健室の扉を開ける音がした。
「茜!」
その声に聞き覚えはなかったけど、もちろん茜は誰だかすぐわかったらしく、ベッドを囲ってるカーテンの隙間から渋々出て行った。大きなため息付きで。
「ちょっと弦一郎!ここ保健室だよ!」
「す、すまない。」
げんいちろう…?どこかで聞いたことあるような名前。
「なんの用だよ。」
「…ああ、先程ジャッカルから聞いたぞ。お前今朝遅刻したそうだな。」
「ギクリ。」
「あれだけ自宅が近いというのに何故遅刻するのだ!たるんどる!」
それはあたしのせいだから…!ていうかジャッカル君、同じクラスで割りと話すんだから告げ口だけじゃなくてちゃんとフォローもしようよ…!
そう言って出て行こうかと思ったけど、ふいに思い出した。
弦一郎。真田弦一郎。昔柳が言ってた、真面目で頑固なテニス部員兼風紀委員。
あたしは至って優等生ルックスだけど、今朝はあたしも遅刻した。体調関係なくても遅刻ギリギリでもあった。怒られるかも。
そう思ってしまって、体は動かなかった。
「まぁまぁ。いいじゃん、一度や二度じゃないんだし。」
「お前は…!そんなたるんだ生活を送っていたら…、」
「あーうるさい。てかさっきも言ったけどここ保健室だからね。体調悪いクラスの子が今寝てんの。」
「むっ。」
「じゃーねー、葛西さん。あたしもう行くね!」
カーテンは開けずに、茜はそう言って保健室から出て行った。てっきり、真田君も一緒に出て行ったかと思った。だからあたしも保健室から出ようとベッドから腰を上げたら、
カーテンの向こうに影が見えた。そこから、その主から低い静かな声が聞こえた。
「騒いですまなかった。お大事にな。」
今のは、声からしても状況からしても例の真田君だ。カーテンがあるからあたしが誰かなんてわかってないはず。ただ茜のクラスの子ってだけ。そしてあたしも、真田君がどんな人か、見たことがなかった。
どんな人なんだろう。
急に知りたくなってきて、あたしは急いでカーテンを開けた。
でもそこに真田君はいなくて。保健室の扉も開けて廊下を見渡したら、歩いて向こうのほうに行く後ろ姿だけが見えた。
背が高い。中2にしてはがっしりしたまるで大人の男性みたいな後ろ姿。柳と同じく、黒髪でキッチリと制服を着ている。
顔こそ見えなかったけど、その後ろ姿は、すごくカッコ良く見えた。あたしはかつて好きだった葛西君のような、他の派手なテニス部員のようなタイプに憧れがあったのに。
それからだ。あたしが真田君のことを知りたくなったのは。
「上野さん、今日ひま?」
あの、一緒に遅刻したときからそこそこ話すようにはなった。というか、よく一緒に行動するようになった。
「あー、特に予定はないよ。」
「よかった。じゃあさ、放課後ちょっと付き合ってくれない?」
「いいけど、どこに?」
茜は基本的に人の頼みを断るタイプではない。ていうか、あんまり人の話を最後まで聞かずにハイハイって答える感じ。
でもこのお誘いは、ほんとーに、嫌だったみたい。
「えー!やだやだ!」
「お願い!」
「無理無理!だってたぶん人いっぱいだよ!」
「こっそりでもいいから!遠くから見るだけで!」
「えー…、」
そのお誘いとは。テニス部の練習を見に行くこと。
なんで茜を誘ったかって、それはこないだの件で、きっと真田君に一番近い女子は茜だって、わかったから。
「お願い!今回限りでいいから!」
「…じゃあ、遠くからだけなら。」
「ありがとう!」
一回限りでもよかった。とにかくこの一回で、あたしは真田君の顔を覚えたいと、そう思ったから。
なんで茜はそんなに嫌がるのか、理由は「なんかテニス部は派手だし嫌」ってだけ聞いてて、それがよくわからなかった。あたしにはそういう彼らがカッコ良く見えてたから。
そして二人して木陰から見守ることにした。行ったときはちょうど練習の合間の休憩時間。
すぐに見つけた。あの、後ろ姿。
帽子を被っているけど、すぐわかる。あのたくましい背中は、周りと違う。
その背中を見つめていたら、その隣に柳が来たのが見えた。
そして柳が何やら突然、こちらを指差した。うちらは木陰にいたのに。
えっ?と思った瞬間。くるりと彼が振り返った。
「茜!」
ビックリした。真田君の顔は初めて見たはずだけど、何だか頭の中で思い描いていた雰囲気そのままだったから。
それ以上にビックリした。彼は一緒にいる茜の名前を呼ぶと、こちらにスタスタ歩いてきたからだ。そして横からは茜のゲッていう声が聞こえた。
フェンス挟んだ向かいに、あの、真田君がいる。後ろ姿じゃなくて、はっきり顔も見れる角度。
でも、彼があたしを見ることは一切なかった。
「お前は、こんなところで携帯ゲームをするな!」
横目で茜を見ると、携帯をただ両手でカチカチ操作してるだけだった。なんとなく画面も目に入って、ゲームっぽいことはわかった。
でも真田君は遠くにいたのに。見ただけでわかったの?
「ちょっと暇で。」
「暇?それより何故ここにいる。」
「通りすがりだよ。…ほら、葛西さん、もう行こう!」
「…何なのだ、一体。」
真田君の疑問は一切無視で、茜はあたしの手を引いて歩いた。
もしあのとき茜が、葛西さんが来たいって言ったから、って話してたら、気まずくなってたかもしれない。
何も言わずにいてくれて、感謝した。
「上野さん、ほんとにテニス部嫌いなんだね。」
「もー、だからそうだって言ったじゃん!」
「なんで?あのー…、真田君だっけ?さっきの。彼とは仲良いんでしょ?」
普通に疑問だった。真田君となんでそんなに仲が良いのかも。
「あー、弦一郎は家が隣でね、家族ぐるみの幼なじみって感じかな。」
「そーだったの?」
「そうそう。別にたいして仲良くないよ、中学上がってからは。あいつは部活バカだし。」
意外だった。名前で呼び合ってるしそれよりも二人お互いの気の置けないような雰囲気から、きっとただの友達以上だと感じてたけど。
「じゃあなんでテニス部嫌いなの?」
「うーん……、別に大っ嫌いってわけでもないんだけどさ、」
「うん。」
「なんか、性格悪そうじゃん。さっきの見た?柳蓮二、あたしがゲームやってるのチクったじゃん。」
あ、あれは柳がチクったの?真田君がわかったわけじゃないの?
「あとさぁ、次期部長だって弦一郎が言ってたけど、幸村精市って人。めちゃくちゃ女子に人気だし、近寄り難い。」
「幸村…あー、あのきれいな顔した人ね。人気だよね。」
「それとあの赤い髪の丸井ブン太。女の子にいつもお菓子ねだる食いしん坊だし、めちゃくちゃ自己中らしいよ。」
「へー、赤い髪の人が丸井君って言うんだ。」
「極めつけはあの銀髪の仁王雅治。なんか飄々としててそーとーチャラいね、あいつは。」
「ふーん、銀髪のほうが仁王君か。確かに聞いたことあるな。何人かと付き合ったりとかの噂。」
「そうそう!性格悪そうだよねほんと。あと名前忘れたけど1年にも、くせ毛の性格もクセありそうなやついるし。」
なるほどね。ようは、かっこいいモテモテ男子には逆に近づきたくないと。
そういえば茜は、そんなに社交的でもなさそう。あたしともよく話すようになっても、ぎこちないときがけっこうある。
「…なんで笑ってるの?」
「え?あたし?」
「うん、葛西さん今めっちゃニヤけてる。」
「や、なんか、おもしろくて。」
ほんとにおもしろいと思った。あたしとは考えるポイントが違うって、思ったけど。
テニス部嫌いって言いつつ、めちゃくちゃ意識してる。あたしより名前も顔も特徴もちゃんと知ってる。真田君に聞いたのかな。
「…上野さん、」
「ん?」
「あたしのことは、鈴でいいよ。」
「…え、」
「あたしも茜って呼ぶから。」
そうして始まった、茜との友達関係。もしかしたら心のどこかでは、真田君に近づくためって、思ってたかもしれない。あたしの世界の助演に思ってたかもしれない。
でもしばらくすると、それは錯覚で、あたしが茜や真田君の世界に巻き込まれたんだと、気づいた。
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