木製のあのオルゴールはただの校歌だけど、あたしにとっては別れの曲に感じてた。だから思い出のものを詰めた。
このオルゴールの曲は、名前は思い出せないし英語だからそもそもよくわかんなそうだけど。なんだか、前や未来に向いて行くイメージがある。しっとりだけど、月明かりみたいにほんのり明るいような。
仁王が何を思ってこれを選んだのかわかんない。別に失恋ソングでも友情ソングでも構わない。
これから仁王と一緒に歩いて行く、そんな気持ちにさせた。
あたしはそんなことを考えてた中。しばらくの無言のあと、仁王は話し始めた。
「最近変じゃろ。」
「…え、」
「ここ最近。なんかあったか?」
怒っとるわけじゃなさそうだけどって。
仁王はいつもそうだ。あたしが変なときはいつも、敏感に察して、どうしたって聞いてくる。
実際、今までも図星だったし。今回もあたしは変だ。今現在だって意識し過ぎてぎこちないし。
好きな気持ちは変わらないけど。なんか奥深いところまで行った好き、というか。片思いのときとは明らかに違う感情がある。でもそれをその変化をどう言葉で表現すればいいのか。
どうしようって、答えに詰まってると、
仁王はあたしの予想外のことを言い始めた。
「嫌なんかなーって、」
「…え、仁王くんのこと?そんなわけな…、」
「俺のことじゃなくて。いろいろ。」
いろいろ…?いろいろってなんだ?
いろいろすること。
疑問符でいっぱいなあたしに仁王は付け足した。
今隣にいるけど、くっついてるわけでも手を繋いでるわけでもない。こないだ本買いに行ったときも二人きりの一応デートだったのに接触は特になかった。
いろいろすること、とは、そういうこと?あたしが嫌がってるんじゃないかって、仁王は気にしてる?あたしの態度で?
「そ、そんなことない!」
「ほんとか?」
「ほんとにほんと!…じゃなくて、逆だから!」
ここまで来たら言わなくちゃ。どう説明すればいいかわかんなかったけど。
とりあえず、ここ最近変だったのは、なんか屋上での深ーいキスを思い出して照れるというかドギマギしてて、でもまたしたいなぁとか思ってる自分が恥ずかしくて、でもそのあと屋上で昼寝したときは何もなくて仁王のほうがしたくないのかと思っちゃったり、そもそも色気のないあたしは仁王のそういう対象外なのかと心配になって………、
「はははっ!」
必死に、理由をあたしなりに細かく伝えると仁王は笑い出した。いや何もおかしくないし。
いやおかしいか?ていうかあたし何正直に全部話してんだろ。これ余計に恥ずかしいじゃんって、今さら気づいた。
「わ、笑わないでよ!」
「いやいや、すまん。なんか、全然予想しとらんかった。」
「えー?」
「けっこう本気で悩んでたんじゃけど。同じことで悩んどったとは。」
同じことー?…まぁ同じことか?
でもあたしより仁王は全然余裕あるし。平然としてるし。今だって爆笑してるし。余裕じゃん。あたしがドキドキしてるときも普通じゃん。
「最初の、屋上でしたのはちょっと強引っちゅうか早過ぎたかって、反省しとって。」
「…いやー、別に、それは…、」
「でもそのあとのは、あれはしょうがないじゃろ。」
「そのあとの?なにが?」
「屋上で寝っ転がってたとき、」
ああ、あたしが期待して違って恥ずかしいやらショックやら思っちゃったやつね。
何よあれ、今思うとバカな自分だわ。思春期の男子かよ。って、あたしも一応思春期か。
「あんな体勢でディープなんかしたらもー無理。我慢できんし。」
「さ、さらっと変態なこと言わないで………、わっ!」
がばっと、仁王が抱きついてきたかと思うと、倒された。そのまま枕にあたしの頭が収まった。
「でも今日はいーじゃろ。」
「…え?…え、え、ええ?」
ビックリ仰天してるあたしを仁王は笑うと。あたしの待ってた、さっきの仁王が言ったことがほんとなら仁王もしたかった、例のキスをした。
でもまたなんか違った。舌に伝わってきたのはキシリトールの代わりに甘ったるいような、味?匂い?感覚?
それと前よりずっと激しくてきつい。呼吸も心臓も全身も、全部。
いい?って、耳元で囁かれた。全身ゾワゾワしつつ、耳を舐められて力が抜ける。
あーもう、絶対答え聞く気ないよこの人、と思って蹴飛ばしそうになったけど。足は足で仁王に挟まれてるし。そもそも力が入らない。
「…し、下にみんないる…っ、」
「大丈夫。」
「……く、首はやめて!くすぐったい!」
「だいじょーぶ。」
何が大丈夫なんだか。全然大丈夫じゃない。
でもまた熱いキスをされて、全身ドキドキいってるのになんだか落ち着く気がした。落ち着くというかどっかへ飛んでいくような感覚というか。
あーやばい。このままはやばい。
でもこのままでもいいかなー……………、
「仁王せんぱーい!」
「おーい!次仁王の番だぜー。」
「茜先輩の部屋っスよねたぶん。」
神の声!いや、悪魔の声?天使だっけ?とにかくアホコンビの声!
同時にドタドタと階段を登ってくる足音もした。
「今イチャついてるんじゃないかなぁ。邪魔しちゃ悪くない?」
「いや、上野のことだ。皆いるからと仁王を蹴飛ばしている頃だろう。」
「「確かにー。」」
神でも悪魔でもなかった。下世話四天王だった。
半分当たってるような変態参謀の言葉に寒気もしながら、ようやく冷静になったであろう仁王はあたしから離れた。
「…こ、ここにいまーす!」
とりあえず何事もなかったように。
仁王はそのままベッドに、あたしは電気をつけてドアを開けた。
もう目の前に4人が来てた。…危なかった。
「お、仁王もいる?」
「い、いるよ!に、仁王くん寝てたみたい!」
「なんだよ。次仁王と俺の対せん………、」
と、4人揃って、中にいる仁王のことは一切見ずに。
あたしをじーっと見て、固まった。
え、なに……、
「うっわ最悪!やなもん見ちまった!」
「だから言ったじゃん!邪魔だって!」
「おかしい。上野ならそれこそ急所を蹴ってでも拒否する確率が…、」
「いや〜!邪魔してすんませんっした!先輩たち!」
あとはごゆっくり〜あ、仁王先輩は棄権てことで〜と、いやらしい笑顔の赤也を最後に、4人揃って嵐のごとく去って行った。
え、なに。なんでみんなさもさっきまでのことを見てたかのように言うの…!?別に服や髪の毛が乱れてるとかじゃなさそうだし……、なんで!?
と、そこで仁王が後ろで笑ってる声が聞こえた。けっこうな爆笑である。
「な、なになに?なんで笑ってんの?みんなも何あれ?」
「いや、ははっ。何でもないぜよ。」
まだおかしい様子の仁王。なんなんだ一体。
笑い疲れたのか一つ大きな深呼吸をすると、仁王はドアのほうにやって来た。
「棄権は嫌じゃき、下行くか。」
「…あ、うん。」
「あ、茜、」
出て行こうとするあたしを軽く引き止めて、仁王は触れるだけのキスをした。
これだけでも十分ドキドキするのに。さっきのはほんとやばかったなー思い出すとまたなんかゾクゾクする………。
仁王の両手があたしの首に回されて、てっきり、抱き寄せられるかと思ったら。
そうではなくて、なんか項のところでゴソゴソしてる。なんだ?
唇が離れたあと、仁王の顔を見上げると、あのいつものあたしの好きな軽く笑った顔だった。
「はい、どうぞ。」
「…ん?」
「これがメインのクリスマスプレゼント。」
鎖骨の辺りに冷んやりとした感覚があった。
すぐに部屋の鏡で自分を映した。
ハートのネックレス。
あたしがこないだデパートで見たブランドのものだ。
「…これ、」
「似合っとるよ。」
「…め、めちゃくちゃ高いんじゃないの!?」
「んーでも一番小さいやつじゃから。知れとる。」
嘘だ嘘だ。絶対高いよ。中学生には無理な買い物なのに。
もしかしてこないだあたしが欲しそうに見てたからかなぁ。あー逆に悪いことしちゃったかな。オルゴールまでもらったのに、こんな素敵なものまで。
…あ、今さらあのオルゴールの曲名思い出した。だからか、あの曲にしたの。
そういえばオルゴールが入ってた袋はこのブランドのだ。
「ありがとう!仁王くん!」
「いーえ。」
「ほんとにほんとにうれしい…!」
うれし過ぎて、鏡の中の自分が少し涙目だった。悲しいときだけじゃなくて、うれしいときでも涙は出るもんだ。
高いものをもらったからじゃない。女の子の憧れのブランドものをもらったからじゃない。
仁王のその気持ちがうれしかった。
と、そこであたしは違和感を感じた。
ずっと、この素敵なネックレスを眺めていたいと思ってたけど。
首になんか、赤紫色の汚れか傷か、なんだろ、そんなものがある。こんな素敵なネックレスをつけてるくせに、不似合いだと思った次の瞬間。
「あーーーっ!!」
あたしの絶叫は壁を突き抜けご近所さんに丸聞こえだったろう。
そしてそれを目の当たりにした仁王は、さっきみたいにまた爆笑した。
「仁王くんッ!」
「さてと、先に行っとるぜよ。」
「ちょ…っ、待ちなさい!」
一階までの激しく短い道のり。
あたしと仁王の追っかけっこが始まった。
そして仁王がリビングのドアを開けたとき、見事あたしは捕まえることができた。
でもその瞬間。
─パァン!パァン!
乾いた音と、花火のような匂い。
そしてあたしと仁王に降り注いだ何やら色とりどりの紙類。
あたしだけじゃなくて、もちろん仁王も予想してなかったみたいでビックリした顔。
「茜、仁王くん、おめでとー!」
「いやーマジでよかったな!マジで!」
「ほんとマジでっスよ!来年からほんと寂しいと思ってたんス!」
「赤也はそもそも来年違うじゃねーか。…まぁとにかくよかったな、上野。」
「学力不足の割りに勉強時間が減ってきていて弦一郎共々心配していたが、見事逆転勝利だな。仁王もおめでとう。」
次々と浴びせられるあたし&仁王への祝いの言葉。
え、なによくわかんない。相変わらず柳のやつが腹立つこと言ってるけど。
そして部長がニッコリ笑いながら言った言葉で、ようやっとわかった。
「来年からも同じ立海でよろしくね、茜ちゃん。」
思わず仁王と顔を合わせたあと、
こっそりうちらの後ろからリビングを出て行こうとする弦一郎を捕まえた。
「お前かぁ!」
「皇帝もずいぶんと口が軽くなったもんじゃのう。」
「ち、違う!すでに皆は事情を知っていたから補足しただけだ!」
「「え?」」
仁王と揃ってそのみんなを見ると、
まずは丸井がニカカーって、満面の笑み。
ここからじゃ全然わからないけど、絶対今クランベリーの匂いがした。
「茜お前、B組のゴミ箱に塾のテキスト捨ててたろ?」
「…あ。」
「そりゃーバレバレだろぃ。」
「仁王も仁王で俺に、上野への送別品は今年中にしろとしつこく言うものだからピンときたぞ。」
「だから今日、サプライズでお祝いしようってなったの!」
「バカっスね〜先輩たち!」
一番言われたくないやつに一番言われたくない言葉を言われた。
はぁーって、仁王のため息が聞こえた気がしたけど。
でもほんのちょっと、笑ってるような声だった。
「ほんとによかったね!茜!」
言わなかったことを責められてもおかしくないのに、鈴はほんとにうれしそうにそう言ってくれた。
他のみんなも、きっと他意はなく、喜んでくれてる。
正直、これでよかったのかあたしにはまだ答えはわかってなかった。こんな、大人から見ればきっとひと時の感情で進路を決めるなんて。
でもあたしはまだ立海にいたかった。高校生活を仁王やみんなと過ごしたかった。
将来的にこれが正解なのかは相変わらずまだわからない。もしかしたら一生わからないかもしれない。
でも、こんなみんなを見てると、
ああこれでよかったと、心からそう思えた。
「あ、そうそう!先輩!」
「ん?」
「茜先輩の脱処女祝いはまた改めてってことで!」
いいよね殴っても。
あたしの心の声が聞こえたのか、
仁王とあたしは同時に、赤也の軽い頭をスパーンと、叩いた。
次の日。柳生も合流して、部長の見送りに行った。
ていうか柳生もどうやら知ってたらしい。あたしが塾を辞めたことはもちろん、仁王の態度で即気づいたそう。やっぱり柳生にも送別品を催促してたらしい。
…丸井いわくバカップルらしいけど、なんか今は否定できないわ。なんで教室なんかに捨てちゃったんだろう。家だとゴミ捨てが紙類で何曜日出すのかわかんなかったし、って言ったらまた赤也にバカ呼ばわりされた。ちくしょう。
「じゃあみんな、行ってくるね。」
さすがに空港までは遠いので、駅までみんなでお見送り。
一緒に行くという部長のお母さんは部長そっくり。すごくきれいな人。
「じゃーな幸村君!元気でな!」
「幸村部長!絶対、また俺と試合してくださいね!」
赤也はここへ来る途中から半泣きだった。みんな部長は好きだけど、赤也は同じ部長なだけに、敬愛の念も強いんだろうな。
あたしも、うるうる。
「ありがとう、みんな。…そうだ、茜ちゃん。」
電車がもう間もなく発車時刻になる。部長はあたしの真ん前に来て、右手を取った。
「君がいてくれて本当によかったよ。」
「部長…、」
「ありがとう。素敵な時間を。」
すごく近い距離。全国大会の決勝でもあったな、こんなこと。
あのときのあたしにとって、一番欲しかった、うれしかった、最高の言葉だった。
やばい。赤也の鼻を啜る音が耳に届いて、あたしまで鼻の奥がツンときてる。
目に溜まった涙が零れるまであと3秒。
「仁王と別れたら、俺のところにきてね。」
「…へ?」
ニコッとイタズラっぽく笑った部長は、そのまま駆け足に電車に乗った。
部長の告白を知っているのは何人いたんだろうか。わからないけど、とりあえず張本人であるあたし含めみんな唖然。というか気まずい空気。
仁王は……、見れません。
「部長、いってらっしゃい!」
空気が気まずいからじゃないよ。今までの感謝の思いから。
あたしが走り出した電車に向かって叫ぶと、他のみんなも手を振って叫んだ。
みんなもきっと、部長への感謝の気持ちがいっぱいなのと、絶対にまた一緒にテニスをやりたいから。
立海大附属高校で、待ってるよ。
「あー、行っちまったな、幸村君。」
丸井は頑張って涙を堪えてたようだけど、今になってきてるみたいだ。目が少し赤い。
よしよしと、頭を撫でてやった。
「今度は完治して、また俺たちを率いてくれるだろう。」
弦一郎の力強い言葉は、ただの願いじゃない。
部長を信じてるから。
あたしたちもそうだから、みんな頷いた。
昨日は遅くまで騒いでたからみんな寝不足ってことで、とりあえず今日は解散ってことになった。
弦一郎はあたしと同じ方面だけど、気を使ってなのかそそくさと帰って行った。いつの間に空気読めるようになったんだ。機微とかもう大丈夫じゃん。
そしてあたしと仁王は二人きりに。
「…どーしよっか?このあと。」
「あー…、」
もしかしてさっきの部長の言葉をまだ引きずってるんだろうか、仁王は気のなさそうな返事をした。
ただの冗談なのにまったく……、
ってかそういえば。
「仁王くん、」
「ん?」
「ごめん、あたしクリスマスプレゼント用意してなかった。」
いやほんとにごめん。彼氏できたの初めてだし、まぁ一般的には彼氏彼女にプレゼントするものとは思うけど。クリスマス会だったし部長の送別会でもあったしうっかり忘れてた。…部長の名前出したらまた不機嫌になりそうだったから言わないけど。
「いやいや、いいぜよ。ついこないだ誕生日にもらったしのう。」
「ごめんね、あたしこんなにいいものもらったのに。また改めて……、」
「いやほんとに。ちゅうか、プレゼントよりもっとうれしいことあったぜよ。」
さっきまでの微妙そうな機嫌の顔とは違って。
あたしの大好きな空気感で笑った。
「…うれしいこと?ってなに?」
「まぁまぁ。それよりこのあとじゃけど、どっかで飯食おう。」
「あ、そうだね、そういえばお腹空いた。」
「じゃ、あっちのほう行くか。」
あたしの質問には答えず、手を引いて歩き出した。
仁王はたまによくわからない。意味不明なことを言ったり、不機嫌になったりご機嫌になったり。態度も表情もコロコロ変わる。
でもよくわかることもある。今あたしの手を引いて歩いてる仁王は、すごくうれしそうな、幸せそうだということ。
それはあたしも同じ。
仁王と朝食を食べてゆっくり始まる今日みたいに。
あたしたちのこれからも、ゆっくり始まっていく。
…いやーでも、首のコレは恥ずかし過ぎるわ。
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