93 娘は只今恋愛中

正直足は震えてた。隣に仁王がいても。

家の前、というか弦一郎んちの前に、たぶん赤也の、あとは誰のか知らないけど何台か自転車が停まってて。



「ブン太と、ジャッカルのじゃな。」



呟いた仁王の言葉に、ああみんな集まってるのかって、思った。より一層心臓が速くなった。

大きく大きく深呼吸して。仁王と一緒に、家に入った。
一人でいいって言ったんだけど。さすがに今回のことは謝らないとって、譲ってくれなかった。
全部、あたしが招いたことなのに。

あの始発電車の中で携帯に電源を入れたら、恐ろしいほどの着信履歴とメールが届いたから。
あたしはそれを一つ一つ見るのも嫌だったけど。仁王は見てた。誕生日おめでとうメールもけっこうきてたみたい。
最後は柳生からのメールだった。“中学生らしい紳士的行動をお願いします。それとHappy Birthday仁王君”だって。なにそれって、どっちかにしろよって、二人で笑った。



「茜先輩!仁王先輩!」



みんな弦一郎んちにいるかなって思ったけど、みんなしてうちにいた。朝早いのに、みんなもう起きてて。

リビングのドアを開けてまずはいつもみたいに、赤也が駆け寄ってきた。



「もう、心配したんスよ〜!」

「…あー、ご、ごめん。」



赤也はほんと、いつもと変わらずって感じだったけど。

みんなの視線が痛い。それだけあたしは心配かけて、迷惑かけたんだ。その罪悪感から。

そして奥にいたお母さんがあたしのところにやってくると。



ーバチンッ



痛い。覚悟はしてたけど、想像以上だった。

きっとめちゃくちゃ心配をかけた。中学生なのに朝帰りして、昨日のこともあって、相当怒ってる。

早く謝らないと、そう思って顔を上げたとき。



ーバチンッ



もう一度、殴られる音がした。でもあたしじゃない。

仁王が、弦一郎に殴られた。



「自分たちが何をしたかわかっているのか。」



弦一郎もめちゃくちゃ怒ってる。きっとうちのお母さんから連絡がいって、一晩すごく心配してくれたんだと思う。

あたしを殴らなかったのは、女だからかな。でもそんな気遣いはいらなかった。だって仁王はあたしが巻き込んだだけ。仁王は悪くない。

そーいえば。仁王は、全国大会決勝で弦一郎からの制裁をバックれたから、いつかきつーいやつが飛んでくるんじゃないかって、笑ってた。
仁王の切れた唇の赤い色を直視できなくて、そんな場違いなことが頭を過った。



「…仁王は、悪くないんだよ。」



この怒り狂った形相の弦一郎を前に、ようやく声が絞り出せた。いつもの、この弦一郎の老け顔うるさいよ!とか、冗談では済まされない。



「あたしが、仁王を巻き込んだの。」

「お前は黙っていろ。」

「黙らない。あたしが帰りたくないって無理言って、」

「きっかけはお前であっても、一晩連れ回した責任は男である仁王にある。」



なにその一昔前理論。そうじゃなくて、仁王は帰ることも選択肢に入れてたのにあたしがワガママ言って泊まることになって、

そう続けようとしたら、横にいた仁王は、左手であたしを優しく制止した。

そしてお母さんと半分、弦一郎に向かって、
深く頭を下げた。



「娘さんを朝帰りさせてしまって、本当に申し訳ありませんでした。」



仁王が泣くのは昨日初めてだったけど。こんなふうに頭を下げて謝るのも初めて。赤也からは、こないだ例の3人組に頭下げてたって聞いてたけど。



「まだ中学生でも。茜さんとは真剣に、お付き合いさせてもらってます。」

「に、仁王…、」

「高校は離れても。これからも、一緒にいたいと思ってます。」



本当にすみませんでした、そう仁王は言った。

さっきから無言だったテニス部の面々も、この仁王の事態を見て、より一層無言、というか、唖然とした空気が漂った。まさか仁王がこんなことするなんてって。あたしだけじゃない。弦一郎でさえも、その表情からこの信じられない情景に驚いていることが、よくわかった。

そしてあたしも。ほんとは仁王よりもまずはあたしが言うべきするべきだったのに。ほんとうに、



「迷惑おかけして。みんな、ごめんなさい。」



仁王に遅れて数秒後、あたしも頭を下げて謝った。お母さんにも弦一郎にも、心配も迷惑もかけちゃった他のみんなにも。



仁王は昨日、これからもあたしと一緒にいたかったって泣いた。その言葉から、ああやっぱり離れるんだと痛感して。
まるで心の意味でもいずれ離れていくんじゃないかって、仁王はそう感じてるんじゃないかって、そう思ってしまった。

でも仁王は、たった今、離れても一緒にいたいと言ってくれた。それは心の話。
あたしと同じ気持ち。



「お付き合いって、でも……、」



ようやくお母さんが声を出した。
怒ってた顔は、今はなんだか、困った顔をしてる。次の言葉がなかなか繋がらないようだった。

あたしも仁王も顔は上げた。もちろん、まだ子どもだからとか早いとか言われたなら、今あたしたちが持ってる同じ気持ちで反論するけど。
反論するも何も、お母さん自身の言葉が出てこなかった。



「僭越ながらご意見申し上げます。」



待ってたら、お母さんじゃない。
お父さんが、口を挟んだ。お母さんに向かって。



「まずはこの度、我がテニス部員仁王雅治が不徳の暴挙に出たことを深くお詫び申し上げます。」

「いや、弦一郎君のせいじゃ…、」

「いえ、俺の監督不行き届きです。」



弦一郎が何を言い出したのか、意味がわからなかった。さっきまで主に仁王に対して怒り狂っていたというのに。

そもそもは仁王だって謝る必要はなかったはずだけど。なんで今度は弦一郎が謝るの?…混乱してきた。



「それを言うなら、元部長である俺の責任でもありますね。」



そう、混乱するあたしをあざ笑うかのように、落ち着いた口調で部長が続けた。
そして弦一郎と同じくお母さんにペコっと、一礼した。



「あー、俺も。仁王と茜のクラスメイトだし。こいつらのお守りちゃんとできてなかった。な、ジャッカル。」

「あ、ああ。俺はー…、元クラスメイトで。」

「それなら私もですね。昨晩、仁王君の行動を黙認しました。」

「それ一番罪重いだろぃ。」

「え、いや…、」

「ならば俺も謝罪の必要があるな。新たなデータ収集のチャンスだと思い、実は少しこの事態を楽しんでいた。」

「あ、それは気づいてたっス。じゃー俺も!現役部長は俺だから、俺のカンカツ!」



いや柳待てコラって思ったけど。
みんな、俺も俺もって、自分の責任にしようとした。

なにこれは、何かのコント?
そんな可愛くないことを無理矢理捻り出して頭をいっぱいにしなきゃいけないぐらい。
あたしは、泣きそうだった。みんなの優しさに。



そしてそれに追い打ちをかけるように、弦一郎は話した。



「お聞きの通り、うちの娘は只今恋愛中です。」



は?って、あたしだけじゃない。仁王や言われたお母さんも、そんな顔をした。
なに娘って。あたしのこと?弦一郎の娘ってこと?あの弦一郎が、こんなときに冗談?



「同い年の同じテニス部、隣人という立場ですが。俺は家族のように、娘のように思っています。」

「……。」

「その茜は現在恋愛中で、他校へ行くことが本意ではないと、確信しています。だから、」

「……。」

「立海から離れさせて欲しくない。今一度、再考して欲しいと、そう思っています。」



そう弦一郎は言うと、みんなに向かって、では帰るぞって、言った。

みんなその言葉に機敏に反応して、帰り支度をした。
仁王も、もう一度お母さんに頭を深々と下げると、弦一郎たちの後を追っていった。

あっという間にあたしとお母さんだけになった。



「…何だか、いろいろあって、疲れたわ。みんな勢いのある子たちね。」

「……。」

「でも、いい友達がいるのね。茜も、仁王君って子も。」



そうお母さんは言うと、椅子に座り込んだ。
それを見てあたしは、みんなの後を追って、外へ出た。

丸井たちチャリ組はもう少し遠くに行ってて、
仁王は柳生たちと歩いて行ってる。

その姿を弦一郎は一人、見送ってるようだった。



“俺は、どうすることもできん”



嘘つきなパパだ。
一番大きな仕事をやってのけたじゃないか。



「みんなー!」



朝だから、しかも土曜の早朝だから。こんな叫んだらみんなにかけた迷惑以上に近所迷惑なんだけど。



「ありがとうーっ!」



あたしの絶叫に、どういたしましてー!って、一番にデカい声をあげたのは赤也だった。

正直赤也はそこまで…って思ったけど。
案の定、お前ずっと寝てただろって丸井のデカいツッコミが響いた。でも眠いのに朝、待っててくれたもんね。

振り返った仁王と目が合って、
口元がちょっと腫れてるようだったけど、いつものように笑ってた。



「お前は…、近所にも迷惑をかけるつもりか。」



そして当然、すぐそばにいるパパもとい弦一郎からは、お怒りの言葉をもらった。

うざいけど。老けてるしいちいち面倒臭いやつでうるさいやつだけど。



「ありがとう、弦一郎。」



そう言って、横から抱きついた。

そんなことしたことないし、もう二度と一生したくもないけど。
感謝の気持ちが溢れすぎて、言葉だけじゃ足りなくて。



あとでお節介柳から聞いた。その瞬間、久しぶりに不機嫌な顔になったって、仁王。最近ずっと緩んだ顔ばっかだったらしい。
それ見て部長が、ざまあみろって笑って、二人の軽いバトルが勃発したって。

ごめん仁王。今日、ていうか今このときだけだから。
顔真っ赤にしてものすごい勢いであたしを振り払った弦一郎は、血が繋がってなくてもやっぱりあたしのパパだから。



離れてもずっと、仁王と一緒にいるよ。

みんなとも、繋がっていたい。

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