91 始発列車

「こんな普通に入れるとは思わんかった。」



あたしもそう思った。

入り口入ったとき仁王に、バレたらたぶん通報されるぜよって耳打ちされて。仁王の後ろに隠された。
顔はどうやら見えなそうだったけど、ついでにあたしは少しでも大人に見えるようにコートを脱いだ。お姉さんの服が大人っぽくて助かった。

そのままエレベーターで、渡された鍵に書いてある部屋へ向かった。



「へぇ、思ったより普通の部屋じゃな。」

「そーだねぇ。」

「ここは……風呂か。やたら広いのう。俺の部屋と同じぐらいじゃ。」



あたしを引き止めた割りに、部屋に入ると仁王はさも興味津々といった感じで若干楽し気に歩き回った。
仁王も初めてなんだろうか。まぁ普通はそうか。そりゃそうか。

見た感じはほんと、ビジネスホテルみたいな感じ。お風呂が広いのと、変なライトがいっぱい付いてるぐらいか、違いは。

とりあえず、ベッドの横にスツールがあったのであたしはそこに、仁王はベッドの端っこに座った。



「……。」

「……。」



お互い無言。気まずいわけではないけど、なんだか変な空気。

やばい。あたしがワガママ言って強引に連れてきたのに。なにこんな微妙な態度取ってんの。

さっき、映画を観ながら漠然と思ったこと。大人になりたいって。
これが大人かって、そうは思わない。
でも何か、振り切りたくて。ずっと抱えてるモヤモヤした思いを。だからここへ来た。だからってのもよくわからないけど。



“お前拒否するつもり?”



まさかまさか丸井くん、ここまで来てそれはないですよ。勢いとはいえ、あたしだってちゃんと覚悟して………、

そうだ。



「仁王くん、」

「ん?」

「お風呂、先に入っていいかな?」

「……あー、どうぞ。」



忘れてた。あたしは女として、きれいにしなければならないということを。
まぁ今日は汗かいてはないし。ちょっと冷や汗ぐらい。でもちゃんときれいに洗わなくちゃね。



こんな広いお風呂はたとえ高級旅館の内風呂でもそうそうないだろう。足を伸ばせるどころかバタ足の練習までできる。しかも泡風呂になる入浴剤もあった。
こんな状況にも拘らず、あたしは一人、バスタイムを楽しんだ。弦一郎があたしのこと、楽観的過ぎだと言う気持ちはよくわかる。同感である。

一応パジャマ代わりなのかバスローブもあったけど、叶姉妹みたいで恥ずかしいからやめて、お姉さんの服をまた着た。

お風呂から上がるとき、ちょっと一つの予感がした。
仁王、もしかして寝てるかもって。部活で疲れてて、しかも今日はあたしに振り回されて。もともとちょっとした時間でも場所を問わずころっと寝ちゃうタイプだし。

でもそれは外れた。外れたことに気づいたのは、ある匂いが鼻に届いたから。同時にお腹がぐーっと鳴った。



「いい湯だったか?」



仁王は、どこで用意したんだか、机にカレー二つとジュースの缶も二つ並べて待ってた。



「どーしたのこれ?」

「メニューがあったからフロントに注文したんじゃ。晩飯まだだったじゃろ。」



そーいえば。あたしはともかく仁王は部活もしたあとだったから、ずっとお腹が空いてたに違いない。

ほんと、仁王はこんなに優しいのに、あたしはほんとーに気が利かない。
さっき、なんとなく変な空気になってたのに。それでも仁王はこうやって優しくしてくれる。



「………ごめんね。」



さっくり髪を乾かし終わったあと。
待っててくれた仁王とベッドに二人並んで座り、カレーを一口か二口食べたところ。レトルトっぽいけどやっぱりカレーってハズレがないなぁなんて思ったとき。
ポロリと口から出てきた。

ほんと何やってんだろうって思った。カレーを食べたらなぜか急に現実感が出てきて。



「大丈夫。」



仁王はスプーンを置いて、あたしの頭を優しくぽんぽんってした。

また泣いてたから。ほんと泣き虫。子どもは嫌で大人になりたいと思ったはずなのに。



「……あのね、さっきね、」

「うん。」

「…お家、入ったら、」

「うん。」

「……おっ、お母さんにね…っ、」



小さい子がまるでそのお母さんに泣きつくように。あたしは仁王に、さっきのことと、自分の思いを話した。

仁王はずっと、聞いてくれてた。頭を撫でながら。

さっきまではなんか、現実味がなかった。こんな遅くに出歩いたり、歩いたこともない場所を歩いたり。たくさん人がいても誰もこっちを見てなくて、
すぐそばに仁王がいても、世界から切り離されたみたいだった。孤独感。たぶんこれがそうなんだと思う。



でも今、ほんとのほんとに二人きりで。
こうやって仁王に頭を撫でてもらったり、時折軽い笑いを見せてもらったりして、

安心と、心地良さと、泣いて喉が苦しいけど全部吐き出せて。
すごく楽になった。



「それはきつかったのう。」



あたしの話を全部聞き終わったあとで、仁王は口を開いた。
その優しい言葉に、また涙が込み上げる。



「俺らはちゃーんと好きで両想いで付き合っとるのに。」

「…そーだよ、」

「茜だって勉強頑張っとるし。したくもない受験のな。」

「うん…っ。」

「俺だってずっと、茜といっしょに……、」



仁王は、あたしを撫でる手を止めた。

手だけじゃなくて、きっと話の途中だったはずなのに、一瞬止まった。



「一緒に、……いたかっ…、」



初めてだった。こんな仁王は。声を詰まらせて。聞き取りづらかったのは声が小さいからじゃない。

そして仁王は何も言葉は続けず、
いや、きっともう出せなかったんだ。
あたしを抱き寄せた。並んで座ってたけど人半身分は離れてて。でも仁王の胸に収まるのは一瞬だった。

そして耳元には、いつもの穏やかな呼吸とは違った、息詰まった、苦しそうな吐息が聞こえてきて。

気づいてしまった。余計涙が溢れ出た。



「……先に言っとく、」

「…うん?」

「泣いとらんから。」



その震えた声と、鼻をすすった音と、時々詰まる呼吸で。
説得力ないですよ、仁王くん。

比べるのも、思い起こすのもおかしいけど。
仁王は元カノ先輩のときも、こうして苦しんだ。
今回、あたしもこうやって苦しめてる。

あたしだけが一人になるから、つらいって、たぶん思ってた。告白したときも案外あっさり、離れても頑張って行こうね〜ってなってたから。
仁王のこと、ちゃんと考えてなかった。



「…あー、中学入って初めて泣いた。」

「泣いてんじゃん!」

「もー我慢できんかった。お前もボロボロ泣くし。ちゅうか映画観てたときからやばかった。」

「えっ、映画が原因!?」

「いやいや、なんか、涙腺がな。着々と準備しとった。」



そう言って体を少し離し、ゴシゴシと仁王は目をこすった。目が赤い。
恥ずかしがってる顔や、仁王の言う情けない顔はいつも見せてもらえないけど。

仁王の初めての涙を見たのに、仁王らしい独特な言い回しとか、苦しそうだったのにすぐこういう空気感になって。
あたしはさっきまで大泣きだったのに、笑ってしまった。
それを見て仁王も笑った。



「えーっと、もう一つ言っときたいんじゃが、」

「?」

「俺、今日は我慢するぜよ。」



今日は我慢?何を我慢?
たった今、その我慢ができなくて泣いてたのに。もう泣かないってこと?

あたしが不思議そうにしてると、仁王はおかしそうに笑った。



「いや、何でもない。」

「え、なに?気になる。」

「まぁまぁ。それよりお互い吐き出せてよかったぜよ。なんかスッキリした気分じゃのう。」

「うん、あたしも。ありがとうね。」

「いや、こちらこそ。じゃあそろそろカレー食べるか。」

「…あ、そうだった、カレー。」



そのとき、部屋の壁に掛けられてる時計から、メロディが流れた。

二人同時に見上げた。時刻はちょうど0時00分。
12月4日が始まった。



「仁王くん!」

「…おっと、」



あたしは仁王に抱きついた。いつもは仁王の胸の辺りに収まって包み込まれるけど、
今回はあたしが仁王を包み込んだ。

仁王はカレーを口に入れようとしててちょっとビックリしたみたいだったけど、すぐスプーンを置いてあたしの背中に手を回した。



「お誕生日おめでとう!」

「ああ、ありがとう。」



なかなかカレーは食べられなくて、ついには冷めちゃった。

でも、おいしいと感じるぐらい。
やっぱり二人でいると、胸がいっぱいになる。
改めて大好きだと、思った。



あたしはさっき、現実味がなかったと思ったけど。それは孤独感と、
そもそもはあたし自身が現実から逃げてたからだ。
映画館に入るときからずっと、携帯は電源オフにしてた。その前から着信やメールがあったのもわかってた。
そしてそれは、仁王も同じだった。

あたしたちはやっぱり、子どもだった。



カレーを食べたあと、仁王もお風呂に入って、もう遅いし寝ようと二人で横になった。すごく大きなベッドで、こんな広々寝れるのは初めて。

…そういえば、あたしは覚悟をしてここに来たんだけど。
仁王は、いいのかな。普通にお布団も被って寝る体制だけども。



「…ねぇ、仁王くん。」

「ん?」

「そのー…あのー…、」

「?」

「……い、いいのかなーって?」

「ん、何が?」



しなくていいの?なんて聞けない…!あたしは初めてなのに、そんな余裕ぶったえらそうなこと…!

あたしがその次の言葉を繋げずに口ごもってると、仁王は一瞬声は出さずに、「あっ」て口を開いた。
そしてすぐに、おかしそうに笑った。



「ああ。今日は我慢じゃから。」

「……あ、我慢って!」



そのことか。てっきり泣くことかと思ったけど。
そう考えると恥ずかしい!一人で勘違いして、いいの?とか聞いちゃって…。

そんな焦ったあたしも丸わかりだったんだろう。仁王はまた笑うと、お布団の中で、あたしの手を握った。



「ケジメみたいなもんじゃ。」

「ケジメ?」

「うん。今回は無傷で家に返すって。」



無傷て。そんな、仁王となら傷になんてならないのに。

でもその気持ちもうれしくて、ありがとうと伝えた。

それから二人、眠りにつく直前までたくさん話をした。ここはほんとに二人きりで、誰にも邪魔されないし他に何も考えたくなくて。いろんな話を。



翌朝。早朝。目覚ましもセットしてないのに、二人揃って始発前に目を覚ました。

そしてまだ暗い駅前の階段で、始発を待った。
その間、仁王が突然、B組の合唱曲を鼻歌で歌い出した。指揮者仁王、伴奏あたしのあの曲。



「その曲、…あーなんか今、きたわ。」

「何が?」

「なんか、すごい懐かしいってぐわ〜ってきた。合唱コンはついこないだだけど。」

「あーわかる。たまにあるのう、そういう感覚。当時を思い出す感じ。」

「そうそう。なんかそのときの空気とかふわっとした思い出みたいなのが蘇るの。懐かしい〜ってなるの。」

「ははっ。」



ほんとについこないだなのに。
あたしも一緒に歌ったら、懐かしい気持ちと勇気も出てきた。仁王と一緒に頑張った曲だからかな。

これから、この直後にきっと待ち受けてることに対して。
あたしたちは現実に帰る。



同時に、昨日の仁王の言葉を思い出した。一緒にいたかったって。
離れるのは距離だけじゃないことを予感させるような、そんなどうしようもない気持ちになった。

いつか、この曲で、仁王を懐かしむときがきてしまうんだろうか。

|
[戻る]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -