ここ、仁王の家。
“愛の逃避行でもせんか?”
どういう意味か、はっきりとは言われなかったけど、薄っすらわかった。
仁王はちょっと下準備って言って、ここまで連れてきた。そして家の前であたしは仁王を待ってる。
さすがに夜遅くに異性のお家にお邪魔するわけにもいかないし。というか、仁王自身も、親には内緒ってことなんだろう。
つまりはこれからあたしたちは、親にバレたらまずいことをする。まだ子どもなあたしたちにはダメなことを。
あたしが、仁王を巻き込んだんだ。
仁王に片思いした数ヶ月間のうちに、あたしはちょっとは大人になったと思ったけど。
全然、そんなことはなかった。錯覚だったと痛感する。
「お待たせ。」
しばらくして、仁王は出てきた。制服は着替えて私服で、ラケバの代わりに大きめな鞄と、あたしがさっきあげたマフラーを巻いてた。
そしてその大きめな鞄を開けてあたしに見せた。
洋服が入ってる。
「姉貴に女物の服借りた。」
「えっ!」
「茜よりちょっと姉貴のほうが大きいんじゃけど。まぁ大丈夫じゃろ。」
よく見るとほんとに女物だった。そしてちょっと、大人っぽい服。
「制服だと目立つじゃろ。あっちに公園あるから、トイレで着替えんしゃい。」
「う、うん。」
薄っすらわかった、そんな気がしてたけど。
これはほんとにほんとに、“愛の逃避行”?
どこに?うちらはどこに行くの?
「まさはるー。」
頭の上から、女の人の声がした。
思わず見上げて、体が硬直した。
2階の窓から顔を出して、逆光ではっきり見えないとはいえ、美人そうだとわかる女性。年齢的には高校生か大学生ぐらいの。
このきれいな人は……、仁王のお姉さん!?
同じく仁王も見上げてて、小さなため息が聞こえた。
「なんじゃ、デカい声出すな。」
「これあげる。」
「は?」
そう言って、そのきれいな人は、仁王めがけて何やら物体を投げた。
仁王はそれを軽々片手でキャッチして、暗がりの中、まじまじと見つめた。
見るとそれは黒の……財布?
「誕生日プレゼント。ちょっとだけど餞別も入ってるから。」
「…あー、ほんとにちょっとじゃな。」
「危ないことだけはすんじゃないよ。」
「あー。」
じゃ、行くかって、仁王はもらった財布を鞄にしまうと歩き出した。
…え、え、いいの?お姉さんらしき人にバレちゃったよ?大丈夫なの?
そのお姉さんらしき人はまだこっちを、というかあたしを見てたから、思わず深いお辞儀をした。
そしたらその人は、軽く笑って手を2、3回振ってくれた。
逆光だったしはっきり顔は見えなかったけど、あの笑った顔は、仁王にそっくりだと感じた。
「仁王くん、大丈夫なの?」
「ああ。姉貴もしょっちゅう夜抜け出しとるし。」
それはもうお姉さんがそれなりな年齢だからなんじゃ…。
でもなんか、うれしかった。新鮮だった。ほんの少しだけど仁王の、家族への接し方を見れて。あたしに対してやテニス部内で見せる感じとは全然違って。
ああ、仁王も大人びてるけど、あたしと同い年なんだなって、思った。
…それにしてもやっぱりあれはお姉さんだったわけだけど。きれいだったなぁ。あんな人が身近にいて、よくもあたしなんか好きになったもんだよ。元カノ先輩もきれいな人だったし。ていうか、なんであたしのこと好きになったのか、聞いてなかった。なんかちょっと怖いな、聞くの。
そのあと、すぐ近くにあった公園のトイレであたしは着替えた。
……ていうか、ジーパンがきつい…!裾は長いのに太ももパンパンだよこれ。お姉さん、大きいっていうかめちゃくちゃスタイルいいんじゃない?さっきは全身は見えなかったけど。上もなんか、ピッタリサイズというか胸のラインがあらわというか…。
まぁとりあえず元から着てたコートもあるし、体型はこれで隠れるだろう。
「お待たせー。」
「おう。…やっぱ裾長かったかのう。」
「ご、ごめん、あたし足短くて…。」
「いや。切るか裾。」
「ええ!?ダメダメ!借り物なのに!」
「…ちゅうかスカートにすればよかった。」
「え?…あ、でも、あたし靴そのままだから。パンツのほうが合うから。」
「や、そうじゃなくて。」
「?」
裁断はなんとか阻止して。さぁようやく出発じゃって、公園を後にした。
…え、どこに?って、思った。こんな時間に、中学生が外をウロウロしてていいわけがない。まぁ一応中学生であることは隠すつもりだろうけど。
仁王は携帯をカチカチ、操作して。駅に行くぜよって、あたしの手を引いた。
すごくドキドキする。仁王といるから、っていうのもあるけど。こんな夜遅くに、二人で。どこへ行くんだろう、何をするんだろうって。ワクワク感もあったし、一方で、後ろめたさもあった。いけないことをしてるって。
だから今は、明日のことなんかは考えないようにした。
仁王に連れて行かれたのは言った通り駅で、ささっと切符を買って、改札を通り抜けた。駅員さんに見つかったらまずいかなって思ったけど、運よく、他の乗客に対応中で、何なく電車に乗れた。
今日は金曜日。車内は仕事帰りらしきスーツの人や、お酒を飲んだ後なのか顔を赤くした人、楽しそうに会話してる大学生ぐらいのカップルなんかもいた。
あたしは後ろめたさもあってキョロキョロしてたけど、誰もあたしたちのほうは見てなかった。溶け込めてるのかな。仁王は見た目大人っぽいし。それとも周りの他人のことなんて、みんな興味ないんだろうか。
「降りるぜよ。」
しばらくして、仁王に手を引かれて降りた。その駅は、あたしはほとんど来たことがない。駅ビルで栄えてるところで、歓楽街もある。
駅を出て少し行くと、辺りはなんだか昼間みたいに明るかった。空は真っ暗な夜のはずなのに、建ち並ぶお店のせいで昼のように明るい道を、二人で歩いた。
行き交う人たちも多い。酔っ払ってるのかはしゃいでる集団や、携帯で電話してる人、待ち合わせしてる人、たくさんいた。
ここでも誰もあたしたちを見てない。こんなに人がいるのに、二人っきりみたいだ。
と、しばらく歩いて気づいた。
そう、ここは歓楽街。居酒屋やカラオケ屋はもちろん、怪しげな店、というか派手派手しい飲み屋なのか何なのか疑問な店がある、そんな場所だった。
…もしかして、これから行くところって。
“いずれはやりますよね”
“近いうち手出すだろぃ”
“大人の仲間入りかぁ”
下世話三強の言葉が頭を過った。
余談だが四天王になるとそこに柳が加わる。
わざわざ最寄り駅ではないところにきて、ぐるっと一周して帰るわけがない。そしてこんな時間にカップルが行くところというと。
そのほとんどが駅からちょっと行ったところだったり、郊外やなぜかだだっ広い田舎にあったり。大抵が派手またはメルヘンチックな外観でモニュメントとかも付いてたりして、
何も知らない小さい頃、わーかわいいーあそこ泊まってみたいーと発言して親を苦笑いさせたのはあたしだけじゃないはず。
「に、仁王くん、」
「ん?」
「これから、どちらへ……、」
「んーと、…あ、あそこ。」
仁王が指差した先にあったのは。
とても煌びやかな看板の、
「……CINEMA…って、映画館?」
「そう。レイトショー観るぜよ。」
…な、なーんだ!あはは、ちょっと勘違いしてた!そっかそっかー!
ホッとしたような。でも少し残念なような。
…残念ってなんだよ。中学生は行っちゃいけないところなんだから。何期待してんのよ。いや別に期待ってわけじゃないけど。
すでに仁王はネットでチケットを買ってたらしく、スムーズに映画館内に入れた。
聞くと、どうやらたまに一人でレイトショーを観にきてるらしい。家からだいぶ離れてるけど、チャリで。
あたしたちがこれから観る映画は、そう、子どもから大人まで泣けちゃう国民的ネコ型ロボットアニメの3Dのアレ。
あーよかった。3Dメガネのおかげで感動して泣いてるところはバレなそうだ。この映画、予告編見ただけでうるっときちゃったもんなー。
観てる間中、手をずっと握ってた。
なんだかこの席というか雰囲気は、合唱コンのときを思い出す。あのとき、緊張したあたしの手を包んでてくれてたなぁ。
映画の内容とは関係なく。あたしはなぜか泣けてきた。
この仁王とも、あと数ヶ月で離れ離れになる。それが嫌だと思うことは、残された時間を幸せに過ごしたいと思うことは、いけないことなんだろうか。そりゃ勉強はするべきだけど。そもそもどうしてそうなったのか。
あたしが子どもだからそう思うの?大人なら大丈夫なの?
この映画の主人公は今はダメダメな子どもだけど。大人になって、きっと立派な大人になって、夢見た人と生涯を共にすることになる。あたしはどうなんだろう。
早く大人になりたい。こんな悩みもきっとなくなる大人になりたいと、ふと思った。
「あー、やっぱ感動したねー。」
「そうじゃなー。名シーンをこれでもかってぐらい詰めとったな。」
仁王はさすがに泣いてなかったみたいだけど。言った通り、名シーンばかりの内容だった。
映画館を出て、ふと、近くにあった時計が目に入った。
今の時間、今駅に向かえば、終電には間に合いそう。
「…このあと、」
どーする、って、そういう意味合いで、たぶん仁王はつぶやいた。
愛の逃避行とは言ったものの、きっと仁王はあたしよりずっと現実を理解できる人だから。
ギリギリ、その現実に帰ることができるリミットまできっと、時間を延ばしてくれてたんだ。
「まぁ、終電過ぎても歩けん距離じゃないし。金あるからタクシーも使えるぜよ。」
「……。」
「もうちょっとブラブラするか?ただ、この辺危なそうじゃからもっと駅の方に……、」
「…あそこ、行きたい。」
あたしは指差した。
とても煌びやかな外観のそこを。
「…え。」
「寒いし帰りたくないし歩けない。」
「あーいや、あそこは…、」
「行こう。」
「え、」
今度はあたしが手を引いて歩いた。
行ってはいけないところ、きっと上位にランクインされる場所だ。
「茜、ちょっと、」
その建物の前で、仁王は止まってあたしを強く引き止めた。
怒ってるか、呆れてるか。わからない。顔は見れない。
「ここはまずい。」
「大丈夫だよ、仁王くん大人に見えるし。」
「そういう問題じゃないぜよ。こんなとこ入ったら、」
「わかってるよ。行こう。」
あたしが力いっぱい引くと、仁王の体が動いた。意地でも動かないこともできるはずなのに。あまりにあたしが聞かないから。
きっと困ってるだろうな。
でも、あたしの足は止まらなかった。
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