テニス部の部室にて。あの全国大会のあと、あたしは一応テニス部に入部したわけだけど。
といってもやることは前と変わらない。もう寒いから夏ほど麦茶の出番はないけど一応作るのと、ボール拾いとコート整備と、素振りや筋トレの回数管理。赤也なんかはたまにごまかすからね、しっかりと。あと定期的に部室掃除をする。他の雑務はもう後輩が全部やってるけど、まぁたまには部室掃除でもしようかなって思って、今朝は部室にやってきた。秋になってからはサボってばかりだったから、お詫びも込めてね。そう、昨日の夜丸井にはメールしたのよ。今まですまんねって。
そしていざ、部室に入ったら。ああ、部室には入って真っ正面に、ホワイトボードがあるんだけど。試合の戦術とか練習メニューとか書いてあるやつ。いまだに柳がよく書いてる。
なんとそれが全部消されてて、今現在違うことが書かれてる。
『仁王と茜、カップル成立!おめでと〜』
そのデカデカと書かれた文字の周りには、これでもかというぐらいのハートマークやらLOVEやら、きっと似顔絵だろうけど全然似てない、あたしと仁王らしき人物が手を繋いでる絵が書いてあった。しかも『仁王が好き』『俺も』って台詞付き。
ついでに、いつ撮ったんだか、あたしと仁王のツーショット写真まで貼られてた。
…いや、これはツーショットじゃない。あたしは浴衣姿でたぶん夏祭りのだけど、仁王は制服で……あ、この仁王はたぶん合唱コンのときの仁王だ。髪の毛の長さとか。あのとき毎日のように指揮者の仁王を凝視してたから覚えてる。違いがわかるなんて、あたしも恋する乙女だなーなんて。
…え、てことは合成写真?めちゃくちゃ自然なんですけど。てかえ、そこまでする?
「ちょっと丸井ッ!」
部室には誰もいなくて、というかもうみんな練習を始めてて。急いでコートに行った。
容疑者はもう限られてるし、絶対耳に届くだろうデカい声であたしは叫んだ。
「おう、茜!部室掃除シクヨロ!」
「シクヨロじゃないよ!なによあれ…っ、」
「ホワイトボードは消すなよー!」
あたしが怒ってるのも何で怒ってるのかも、きっと丸わかりだったんだろう。丸井は、ニヤニヤ笑いながら手を振って答えた。
「茜先ぱーい!かわいいっしょ、その写真!」
別の方向から、赤也も手を振って叫んだ。
そうだ、そういえば夏祭りの浴衣写真、あいつは確かに写真撮ってた!あのバカ也め!
「このバカものど……ッ、」
「二人一緒の写真がなかったため合成させてもらったぞ。」
あのバカ二人に文字通りバカものどもめがと叫ぼうとしたとき、
横から涼しげなイイ声がしてビックリした。もう普通に寒いし、こいつの声とその内容はゾッとするだけだ。
「うわっ、柳!」
「なかなかの出来栄えだと自負している。」
「ちょっと!勝手に合成ってしょーぞー権侵害!」
「ほう、お前が肖像権という言葉を知っているとはな。だが安心してほしい、お前も焼き増しが欲しいなら無料で請け負うぞ。」
相変わらずマイペースな柳の言葉に、ちょっと欲しいかも、と思った自分が悔しい。
その隙に、そそくさと柳も練習に戻ってしまった。くそー、もっと文句言ってやりたかったのに。
興奮気味ながらコートが見渡せるここから、仁王を探した。今日は朝練も行くって言ってたけど。ぱっと見いない。
今日はやっぱり来なかったのかな。それとも、あのホワイトボードの文字を見て、怒ってどっか行っちゃったとか?うーん、仁王があれ見てどんな反応するのか全然、想像つかないわ。
「おはよう。」
仁王を探してて背後は完全に無警戒だった。
振り返ったら、部長がいた。
「部長!」
「やぁ。久しぶりに来たよ。見学だけどね。」
ほんとに、このコートで部長を見るのは久しぶりだった。
あの花火のとき、部長から大変な話を聞いた。来年、手術のためにアメリカに行くって。
きっとその大きな決意をしたから、残り少ない立海大附属中での練習に顔を出したんだろう。
「おっ!幸村君!」
あたしが叫んでもニヤニヤ笑うだけだったのに。部長がいるとわかった途端、丸井は練習放棄してこっちにやってきた。一緒に練習してたジャッカルも。
「やぁ。しばらく顔を出してなくてすまなかったね。」
「いやいや、…でももうここでの練習はできねーんだな幸村君。」
「そうだね。とりあえず手術まではおとなしくしてるつもりだよ。」
「それは寂しいな。」
「なぁ。あ、でも来年からはまた一緒だもんな!」
ほんとに寂しそうにジャッカルは残念がった。丸井も寂しそうだけど、きっと来年からまた同じテニス部として全国制覇目指すために頑張ろうって、もう決意してるんだろう。
…こういうの見てると、やっぱりうれしさもあるけどやっぱり辛さもあるな。部長はしばらくいなくなるけどまたみんなと一緒だし。
でもあたしは……。
「あ、そうそう、茜、」
「ん?」
「先に言っとくけど、アレ言い出したのは俺だけど、仁王も書いてたからな。」
ちょっとしんみりしたところでとんでもない話を聞いた。
あの、ホワイトボードの下世話な書き込み……仁王も!?
「ちなみにあの似顔絵を書いたのは俺だ。似てるだろ?」
えらい誇らしげだけど全然似てないよ下手くそだよジャッカル…なんて思ってる場合じゃない。
仁王が書いたって…絶対そんなことしそうにないタイプなのに!どうしちゃったの!
…いや別に事実だから、別に構わないけど。
でもやっぱり恥ずかしいというかなんというか…。
って、じゃあなんで仁王はここにいないの?
そのあたしの疑問点も、今日の丸井には丸わかりだったらしく、
さっき以上にニヤニヤ顔で告げられた。
「教室にも書いとかんと…って言ってたぜ?」
丸井からはほんのり、クランベリーの匂いがした。そうだったね、クランベリーの丸井は感じ悪いんだった。
あたしは教室へ駆け出した。
なんて書いてあるかな、同じようなことかな、いやー恥ずかしいなぁ、テニス部はまだしもクラスはなぁ、仁王ファンもけっこういるしなー、そう思いながら教室のドアを開けると。
…黒板には何も書かれてなかった。
代わりにあたしの席に人影。
「…寝てる?」
誰もいない教室で、ジャージ姿の仁王はあたしの席に突っ伏して寝てた。
足音物音をたてないように、静かに隣の丸井の席に、あたしは座った。
わざわざ朝練のために早起きしたんだろうに、教室で寝るなんて。黒板にも書こうと思ってきたら眠くなってってことなのかな。まったく…。
伏せてるから顔は見れない。いつか見た寝顔も一瞬だったし、残念だなーと思ってたら、
仁王の左手元に、何やら写真を見つけた。
あの、柳が不法に合成したっていう写真だった。
“お前も焼き増しが欲しいなら”
柳が言ってたけど、お前もって。
仁王ももらってたってことね。
こんな合成写真なんか欲しがるなんて。
「…んー…、」
見つめてたのはほんの数秒。むくっと起き上がった。やっぱり仁王はそうそう、隙を見せることなんてないんだな。
「お、おはよ。」
「…ああ、茜…はよ、」
うーんと大きく伸びと欠伸をしながら、仁王はあたしを見た。手にはあの写真が握られてる。
うちら、付き合うことになったんだよね。あれから初対面。昨日ちょっと電話はしたけど。
……あれ、やだな。なんでこんな心臓バクバクいってるんだろ。目の前の仁王はまだ寝ぼけてるのか、目をゴシゴシこすってボケっとしてるだけなのに。告白したとき並みに心臓速いよあたし。緊張してるよ。
「……あれ、茜、朝練は?」
それはあたしの台詞だ。あたしよりはるかに部活に出る意義のある彼こそ、あれ朝練は?である。
「仁王くんがここでも…落書きするって丸井に聞いて、」
「んー…ああ。しようと、思ったんじゃけど、」
「?」
「クラスだと、またなんか、クラスは大丈夫じゃろうけど、他の………いや、何でもない。」
まだ寝ぼけてるんだろう、所々欠伸をしつつ、よくわからないことを仁王はつぶやいた。
よくわからないけど、たぶん仁王が言いたいことはわかった。
ようはあたしのためにってことね。
「…あ、これ、」
仁王はあたしに、握ってた写真を見せた。写真っていうか、材質は紙ベースなんだけどね。
「参謀にもらったんじゃ。」
「…あー、合成、なんだよねこれ。」
「よく出来とるよな。合唱コンの舞台上しか、俺の正面写真が撮れなかったらしい。」
「へー…。うん、普通にいい写真。」
なぁって、仁王は笑った。
合唱コンの舞台上しかって、いつからあの変態参謀はこの写真を用意してたんだか。
でも、仁王がうれしそうに笑うから、あたしもこのツーショット(偽)写真が、やっぱり欲しくなった。
あとで柳に…でも柳に頼み事とかやだな。
「撮るか、写真。」
あたしの心を見透かしたように。仁王は、ガサガサポケットから携帯を出した。
「よいしょ。」
「…えっ、」
そして椅子を引きずって、あたしの椅子(丸井の席だけど)に、ピッタリくっつけた。
え、今撮るの?夕方じゃないから脂は乗ってないけど髪の毛ちゃんとセットしたいんだけど…なんて戸惑ってたら。
ごく自然に肩へ回された腕に、またドキドキして、声が出なくなった。
耳元をかすめる息とか、匂いとかで顔が熱くなって、動けなくなった。
そして向けられた内側カメラ。
「撮るぜよ。」
「う、うん!」
「はい、チーズ。」
「ち、ち、チーズ!」
たぶん顔赤いだろうけど。せめて半目にならないように。ほんの少しでもかわいく写るように。精一杯、笑った。一応、入るかわかんないけどピースも。
ーパシャ
二人しかいない教室で、携帯カメラの音は高々と響いた。
その音が耳に入るほんとに直前。
左のほっぺたに、柔らかいものを感じた。……え?
「お、うまく撮れたのう。」
「…に、仁王くん?…今、」
「ん?…ほれ、見てみんしゃい。」
うれしそうに、いや、若干イタズラっぽく、仁王は笑いながら、その撮れたばかりの写真を見せてきた。
そこには、満面の笑みのあたしと、
そのほっぺたにチューする仁王の横顔があった。
「うわぁ!ちょっと…!」
「ははっ、茜顔赤いぜよ。かわいいなぁ。」
「恥ずかしい!誰にも見せちゃダメだからね!」
「んー…うん。」
なんだその間は…!誰かに見せる気か?テニス部か!?
彼氏彼女なのに、なんだか弱味を握られたみたい。でも…、
仁王がうれしそうにしてるから。さっそくあたしにも送ってくれたから。まぁ、よしとしよう。
「…仁王くん。」
「ん?」
「あたしの携帯でも撮りたい。」
仁王は一瞬、え、今送ったじゃろみたいな顔したけど。
すぐにフッと笑って、再びあたしの肩に腕を回した。
そしてあたしの携帯を受け取って、さっきと同じように正面に、セットした。
きっとあたしの考え、というか策略がバレてるわと、思った。そう思わせるような顔の仁王だったから。
でも、あたしからもしたいって思ったから。何も言わずその策略に乗ってくれるんだろうと思った。
ーパシャ
さっきと同じような音が鳴って、さっきと似たような写真が出来上がると思った。
違う点といえば、今度はあたしが仁王のほっぺたにチューすること。
そんなこと、誰にもしたことない。小さい頃ならあるかもしれないけど。子どもから大人になりかけの今、この行為はとても重くて、きっと生涯忘れることのない体験になるだろう。
そんな素敵な経験を、したかった。今、この仁王と。
でも、あたしの思惑は少し、いやかなり外れた。
そんなこと初めてだったから、意を決して、たぶん顔は赤いままで、あたしは目を瞑って吸い寄せられるように仁王のほっぺためがけて、くっついた。
感じたのは違う感触だった。初めての感触。
ほっぺたすら経験したことなかったのに触れた途端身体中が熱くなったのは、
きっと人間の本能だ。
目は開けられなかった。だってあたしと仁王が今何をしてるのか、わかっちゃったから。
ドキドキして、開けたら心臓がどうにかなりそうで、あたしは必死で目を瞑ってた。
回されてたのは右腕だけだったのに、いつの間にか、左腕もあたしの背中に回されてて、少し強く、引き寄せられた。
…苦しい。呼吸が出来なくて、じゃなくて。どんどん速くなる心臓に、胸が苦しい。
もう限界……。
そう思ったら、仁王がようやく離れた。でも体はくっついたまま、あたしに回された腕もそのまま。ほっぺとほっぺが触れ合って、耳元で仁王の少し弾んだ呼吸がした。
ようやく、あたしの目が開いた。さっきまでの暗闇では、たった今してることばかり考えてて、どこにいるのかはすっかり頭になかった。でも開けたら、仁王の肩越しにいつもと何も変わらない教室があった。
忘れてた。あたしは初めてのことで体がほとんど硬直してて。両手は思わず、仁王のジャージを掴んでただけ。改めて、その大きな背中に手を回した。
そしたらさらに、仁王の腕に力がこもった。
「…茜、」
耳元でささやいた仁王の声。耳元だから余計に、だろうけど、ゾクゾクした。くすぐったさもあるけど、それ以上の、何か。
「…もう一回、していい?」
まだ心臓が速くて、声が震えそうだった。というか、出そうもなかったから。あたしは仁王の胸の中で、深く頷いた。
そしたら耳元で、表情はわからないけど、少し笑ったような吐息が聞こえた。
仁王の顔が真ん前に移動する前に、またあたしは目を固く瞑る。
さっきの写真、ちゃんと撮れてたかな。仁王だから、それはきっとうまくやるんだろうけど。
しばらくは自分で見返すことは出来ないかもしれない。恥ずかしくて。
でもきっと、生涯忘れることのない、思い出になるんだろう。
そう思いながらまた、仁王とキスをした。
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