84 あたしの片思い〈前編〉

「に、仁王…くん、」

「早かったじゃろ。」



こんなとこではなく、家にいるのか、もしくは休みの日だしどこか出かけてるのか、そう思ってて。だから勇気を振り絞って呼んだわけなんだけど。

早かった、なんて言ってるけど、たぶんすぐ近くまでは来てたんだ。



「ちょっとあっちの方、散歩せんか?」

「う、うん!」



仁王はあたしの近くまで下りてくると、今みんながいるところとは逆方向を指差した。
そして人一人分ぐらいの間を空けて、あたしと仁王はゆっくり歩き出した。



「花火、楽しいか?」

「あ、うん。…手持ちはまだやってないけど。」

「持っとるのに、それ、」

「…あー、これは、やろうと思ったら部長に呼ばれて…、」



ハッと、思った。また部長と二人でなんかしてたってわかったら、また仁王は機嫌悪くなるんじゃないかって。これからのことを考えるとそれは非常にまずいから。

でも仁王は、今回はそうはならなかった。あたしの予想外なことを話し始めたんだ。



「話、聞いたんか?」

「え?」

「アメリカ行くって。」



部長はこれからみんなに話すって言ってた。だから仁王もその場にいなくていいのかなって、さっき一瞬思ったんだけど。

そんな心配はいらなかったみたいで、もうすでに知ってたんだ。



「うん、…ビックリした。」

「そうじゃな。」

「仁王くんも聞いてたんだ?」

「ああ。火曜か水曜かに電話きて、話してくれた。」



話してくれたなんて、なんか仁王らしくない言葉だった。
もしかしたら仁王も、直接、他のみんなに言う前に個人的に言われたことが、意外だったのかもしれない。

でもあたしにはそんな意外には思えなかった。それはこないだ、部長から仁王への感謝の気持ちを聞いたからかも。



「だから今日はあんま来たくなくてのう。」

「え、なんで?」

「今日みんなに話すって言っとったから。また赤也に、なんで黙ってたんスか〜て責められたくないし。」

「あはは、そっか、確かに言うかも。」



うんざり、でも、前みたいな険悪な感じとは違って、ちょっと面倒な後輩に困るって、そんな感じで仁王は言った。
その責められたくないっていうのも、こないだの柳生みたいで、やっぱり似てるなぁと笑ってしまった。

そんなあたしを仁王はちょっと見て、同じように笑ってくれた。



少し歩いて気づいた。
こっち方面は、あの場所だった。もう目の前だ。



「あそこ、また上がらんか?」



仁王はその場所を指差した。そこは、夏のお祭りのときに来た場所。
二人で花火を見た橋だった。

あのときは花火大会。今日はみんなで花火。状況も似てる。
あのときのことが思い出される。
告白したわけではなかったけど、仁王に、しばらく彼女はいらない、前の人が忘れられないと正直な気持ちを告げられたんだ。

今日はあのときと違って、ほんとにあたしのほんとの気持ちを伝える。

今こんなこと思い出してもしょうがないのに。ダメな結果を思ってちゃ、願いは叶わないのに。
さっき部長に聞いたばかりの法則とやらの話を、しっかり頭で反芻した。あの日のことは思い出すな、思い出すなって、自分に言い聞かせた。



「よっ…と。」



土手を上がり橋のところまで来て、また先に仁王が上に飛び乗った。
続けてあたしも。

今日は浴衣じゃないからすんなり座れた、けど。

それでも仁王は、優しくあたしの肩を支えてくれた。



「あ、ありがと。」

「いーえ。前落ちそうになったからのう。」



そーでした。危なかったんだよな、あのとき。
仁王が抱きとめてくれて、うれしかったし、
好きって気持ちがもっと膨らんでいった。

ほぼ同時だと思う。二人で空を見上げた。
今日は花火も何もないけど、朝から晴れてて今も星がきれいだ。



「この辺、ビルとかマンション少ないから空が広いね。星がきれい。」

「ああ。花火はないけど、なかなかじゃな。」



ほんとにそう。あのきれいな花火はないけど、澄んだ空に星がきれいで、
隣に仁王もいて、あたしにとっては最高のロケーションだ。

変なの。あのときのことは思い出さないようにって、そうしたいんだけど。やっぱり思い出しちゃって。

でも、苦しい気持ちにはならない。むしろ穏やかな気持ち。
仁王との思い出は、そのときは辛かったり苦しかったりすることも多かったけど。
時間をおいて今は、全部かけがえのないものに感じるからだ。



今なら言えそう。あたしの気持ち。
かっこよく感動するような名台詞は言えなさそうだけど。
素直な言葉を出したい。



「…茜、」



仁王のに、まで出かかってた。さぁ言うぞと一瞬気構えて間を置いたせいかもしれない。

先に仁王が口を開いた。



「ほんとに、違う高校行くのか?」



ああそういえば、仁王とはこの話はちゃんとしてなかった。こないだみんなの前で説明したとき、仁王もいたけど。改めて話してはなかったんだ。



「…うん。」



あたしが小さく呟くと仁王は、そっか、って同じように小さく呟いた。

あたしは自分から言い出せなかった。そのあとも、丸井にみたいに改めて話してなかった。

仁王の声が少し弱々しくて、今さらそれを後悔した。



「…ごめん、自分から、なかなか言えなくて、」

「いや。ちょっと前から様子がおかしいときは、あったからのう。」

「そう…だったのかな、」

「うん。そう気づいとっても何もできんかった。ごめんな。」



仁王の言葉に鼻の奥が痛くなった。
ごめんなんて仁王は言わなくていいのに。あたしが悪いのに。

なんでいつもいつもこんなに優しいんだろう。



「あのよ、柳生のときの、赤也が来たときの話じゃけど、」



ちょっと前。柳生の受験を知った赤也がうちのクラスに来て、ギャーギャー騒いでたときのことだと、すぐわかった。



「あのときも言ったけど、俺は、柳生も幸村も、茜も、」

「うん…。」

「行く道が決まっとるんならそうすべきで、引き止める気はなくて、」

「……。」

「ずっとみんな一緒なんて無理じゃき。その、俺の考えっちゅうか意見は、変わっとらん。」



わかってたよ、仁王がそう思うってことは。

あたしが言えなかったのは、仁王がそう思ってることを、改めて自分自身に向けられることが嫌だったから。

でも不思議と、悲しい気持ちにはならなかった。ほんとはわかってたってことでもあるし、
それでもあたしは仁王が好きだからだ。



「…はずなのに、」



さっきまで空か、せいぜい真っ正面の向こうへまっすぐに伸びてる川を見てた仁王だけど。

急に、下を向いた。
向きすぎて、顔がまったく見えない。サラサラの銀髪と、ほんの少し耳が見えるぐらい。

いつか見た夕日にさらされる銀髪もきれいだったけど、
暗い夜でも映える今も、すごくきれいだ。



「茜と、離れたくない。」



下を向いてるせいなのか、仁王の声が小さ過ぎたのか、
聞き取るのも、その意味を理解するのも少し時間がかかった。戸惑った。

あたしは、仁王はあたしがいなくても何も思わないって思ってた。そうさっきの言葉でも確信した。

なのに、今の言葉は?
今のは……?



「ただのワガママだって、わかっとるよ。受験も応援したいし。」

「……。」

「でも…、嫌だって思った。仕方ないって、どんなに自分に言い聞かせようとしても、どうしても嫌なんじゃ。」

「…仁王、」

「何も言わずにただ応援なんてできんと思った。」



事情はわかっとるし困らせるつもりもないんじゃけど、そう最後に加えた。



“もう受け止めてくれていると思いますよ”



柳生はそう言ってた。あたしもそう思った。きっと仁王も自分でそう思ってたと思う。
あたしの、ようは家庭の事情も考慮してくれて、困らせるつもりもなくて。引き止めるなんて、そんなこともできなくて。

さっきまで穏やかだった気持ちが急に変わった。あたしの胸を痛くした。
でもそれは悲しみじゃなかった。苦しいけど違う。

仁王の言葉が、その気持ちが、締め付けた。



「…あのね、あたしね、」



初めは苦手だった。というか、苦手だと思ってた。テニス部自体そうだったし、その中でも仁王は特にって。

しゃべったことはなかったけど、飄々としてて、なんか顔だけじゃなくて雰囲気とか仕草とか、かっこよくて女子に人気で。そんな中でも浮かれない、むしろ素っ気ない、クールな感じで。

でも少しして、興味が出てきた。あの、丸井にパシられて買ってきたケーキを食べるところを見つかったときからだ。そのとき彼は思ったより優しい人なんだってわかった。

そのあとも、ところどころで優しかった。テニス部楽しいなって思い始めた頃、マネージャー(仮)って名前をつけたのも仁王だ。部長と初対面のとき、あたしを一人ぼっちにしなかったのも仁王。

肝試しで行方不明になったあたしを必死で探してくれた。お祭りのあと気まずくなったとき歩み寄ってくれた。全国の大事な初戦の勝利ボールをくれた。合唱コンのピアノも励まして頑張ったって言ってくれた。なくなっちゃったオルゴールのネジも雨の中探してくれた。ファンに嫌がらせさせられないか心配してくれた。文化祭で元カノ先輩と遭遇したときこれからはあたしのこと一番に考えるって言ってくれた。あたしが閉じ込められたとき大事なやつって言ってくれた。



そして今、離れたくないって、
ほんとの気持ちを伝えてくれた。

だからあたしはね、



「……仁王が、好きなんだ。」



関東大会決勝で負けた日、屋上で初めて気づいた気持ち。



「ずっと、大好きで…、」



苦しいこともあったし、傷つくこともあった。
元カノ先輩がまだ忘れられないんだってわかってからも、



「ずっと、気持ち変わらなくて…、」



優しいのにたまに怒ったり不機嫌になったり、何考えてるかわからなかったり。
楽しいばかりではなかったけど、



「どんどん、好きって気持ちが大きくなって…、」



来年いなくなるから、もう意味ない恋のはずなのに。



「……仁王と離れたくないよ。」



言った。あたしは言い切った。ずっと抱えてた気持ち、全部全部言い切った。

その後でよかった。
溜まってた涙がたくさん零れ落ちて、膝に置いてたあたしの手を濡らした。

もう今の季節の夜は寒い。いつの間にか冷たくなった手に、涙があったかい。
あたしの涙はとてもあったかかった。

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