火曜日から続いたあたしの熱は、疲労プラスほんとの風邪だったようで、結局木曜まで続いた。念のため金曜も休んで、合計4日間も学校を休んでしまった。
みんなにはあれから会ってない。学校に行ってないからそれはそうなんだけど。
会えなくてよかった、と思ってる自分もいたり、このままだったら余計会いづらくなる、前みたいに話せなくなるって焦ってる自分もいた。
鈴と、丸井からも、大丈夫かーってメールはきたけど。
丸井はこないだのこと、どう思ってるんだろう。あたしは何も聞けなかったし、丸井も体調を窺う他には何も言ってこなかった。
仁王からは特にメールは来なくて、ちょっと待ってた自分が悲しくなった。
でも、約束してた土曜日。今日がその土曜日。体調自体は大丈夫ではあったけど、なんとなく無理そうで、断りのメールを仁王に送った。
そしたら、さっきのメールが返ってきた。
仁王のメールは、あたしはそんなしてないけど、たまにしたとしてもこんなふうな殺風景な内容だ。絵文字もほとんどないし。だからいつも通りな内容なんだけど。
やっぱりメールだと、文字だけだと相手の表情はもちろん雰囲気もわからない。ただ、返事はしてくれたことに、ほんの少しだけ安堵した自分がいた。
あたしはこれまで、丸井や仁王がどう思うか、何て言うのか、それが気になってた。
仁王はわからないけど、丸井は悲しんでくれたり、なかなか言わなかったことを怒るんじゃないかって思ってた。
でもそれはあたしの勘違いだったのかもしれない。
仲良くしてもらってたけど、柳生と比べると過ごした時間も違うし、あたしは女だから仲間意識もまた違うのかもしれない。
むしろ、悲しんでほしい、怒ってほしいっていう、あたしの願望だったんじゃないのか。
今まで悩んでたのも感傷に浸ってたのも昨日泣いたのも、全部あたしの思い上がりだけだったんじゃないのか。
そう思うと、急に気持ちが楽になってきた。相手は別に傷つかない、マジか頑張れよ〜程度で終わるなら、そのほうがいい。
それなら、月曜日からまた普通にできる。隣の席の丸井とも、話せるかわかんないけど後ろのほうの仁王とも。
ーピンポーン
そのとき、家のインターホンが鳴った。下にいたお母さんがバタバタと玄関に向かってるみたいだ。
「茜ー、お友達よー。」
そして下から響いた声。
友達?鈴かな?弦一郎なら弦一郎だって言うだろうし。
…まさかテニス部の人じゃないだろうし。
そんなことを考えながらとりあえず下に降りて行った。
うちは階段の目の前が玄関だ。
その階段の真ん中辺りまで降りたところで、こっちを見てるお母さんと、その向こうにあの赤い髪が見えた。あたしが毎日目にする、見つけやすい髪。
「丸井…?」
「よー久しぶり。ジャッカルも来てるぜ。」
言った通り、丸井のすぐ後ろにはジャッカルもいた。
二人は私服で、今日は一緒に遊んでたんだろうか。
あたしは突然の思ってもみなかった来客に、階段途中で立ち止まったまま。たった4日だけど、会いたかったような、会いたくなかったような、その赤い髪を見つめた。小麦色のスキンヘッドもね。
「お茶持ってくから、茜の部屋に上がってもらいなさい。」
そうお母さんは言うと、キッチンに向かった。
「お邪魔しまーす。」
丸井とジャッカルは続けて玄関に上がると、あたしのすぐ下までやってきた。
あたしは丸井たちが来てビックリっていうのもあるし、なんかまた熱が出てきたような感覚に囚われて、動けなかった。
「ほら、行くぞ。」
丸井は呆然としてたあたしを振り向かせてさっさと上がるようグイグイ押してきた。
それに急かされるようにあたしは少しだけ重い足で残りの階段を上る。
昨日は体調もよくなってたし、暇だからと部屋の掃除をしといて正解だった。いつも以上に片付いてる部屋を見て、今一度変なものは出てないか確認。よし、何も変なものはない。パンツとかも出てない。
「よっこいしょ。」
「あ、プリン買ってきたぜ。」
どうぞ、と言う前に丸井はどかっと座り、それに続いて座ったジャッカルは、手にぶら下げてたコンビニのものらしき袋を差し出した。
どうもと受け取り、中に入ってた計4個のプリンを出して、それぞれの前に置いた。きっと1個余分なのは、丸井が二つ食べるからだろうと思って、丸井の前には2個。
ちょうどそのときお母さんが部屋にやってきて、ごゆっくり〜とお茶を置いていった。
そのお母さんがドアを閉めた音を最後に少し、沈黙ができた。
「…で、体調は大丈夫なのか?」
ジャッカルが口を開いた。やっぱり少し重いこの空気に耐えられなかったんだろう。
「うん、大丈夫。昨日もほんとは大丈夫だったんだけど、念のためにね。」
「最近寒いからな。うちのクラスも何人か休んでるぜ。」
「そーなんだ。」
「つーかまだ鼻声だな。俺もくしゃみが今日けっこう出て…、」
ジャッカルとほんとに他愛ない会話をしてる中。一応丸井も耳は傾けてるんだろうこちらをチラチラ見つつ、早々とプリン1個目を空けた。
2個目もすぐ食べるんだろうなーと思って丸井の手元をぼんやり見てたけど、2個目にはなかなか手をつけない。
あれっと一瞬思ったときに、丸井の声が低く響いた。
「…お前さぁ、」
さっき何だかまた熱が上がってきたかもしれないと感じたままに、少しぼーっとしてたあたしは、丸井が突然発した言葉にどきんと心臓が跳ねた。お前って言うのはもちろんあたしのこと。
そしてこれは、この声は、怒ってる…。そんな口調。
そのまま一気に不満や文句を畳み掛けられるかと思って、あたしはぐっと歯を食いしばった。
でも丸井は、小さな深呼吸をすると、全然予想してなかった言葉を続けた。
「お前、悩んでたんだろ。」
いなくなること悲しませちゃうかなぁとか、あんなときまで言わなくて怒られるかなぁとかばかり考えてて、
でもほんとは特に何も思わないかも、頑張れよぐらいで終わるかもって思い始めて。
いややっぱり怒ってるんだろうなって、そう思い直した矢先。
違った。
「事情はこないだ聞いたからわかったし。よくよく考えて、まぁヒロシのこともあったし言いづらかったんだなってのもわかったよ。けど、」
「……。」
「一つ、言っときたい。」
丸井は食べてない2個目のプリンを、入ってたコンビニの袋に直した。
えっ、食べないの?あの丸井がどうしたの?なんて状況に合わないことを考えながら。
真剣にこっちを見る丸井の質問に、あたしも全部真剣に答えようと思った。
「俺が誰かに言いふらすと思った?仁王にバラすとでも思った?」
「…いや、そんなことは……、」
「できれば相談に、乗りたかった。」
今コーフンしてるだけだから、別に泣いてるわけじゃねーからって、丸井は服の袖で目をこすった。
丸井は、あたしが丸井に言わなかったことに、悲しんでた。
“何かあったら絶対言えよ”
いつかした約束。親友だと言い合った丸井との。
今さら思い出して、しかも破って、傷つけて。
「…ごめん、泣かせて。」
「だから、泣いてないって、」
「じゃあ泣いてくれてありがとう。」
なんでかわかんないけど。丸井のこと好きだけど友達としての好きだし、こんなことしてもドキドキもときめきも何にもないけど。
あたしは丸井の頭を胸に抱きかかえて泣いた。
悲しそうな彼を見るのが嫌なのと、
あたし自身の涙はもう見られたくなくて。
丸井に言わなかったのは、言いたくなかったわけじゃないし信頼してなかったわけでもない。
丸井のこんな顔見るのが嫌だった。
それ以上に、あたしも丸井と離れるのが嫌だったからだ。
泣いてくれてありがとうって、精一杯の気持ちを込めた。
お前なーほんと自己中だよなー俺だぜ傷ついてんのはとか、
いや俺ほんとは腹立ってんだぜー今日はお前に説教するつもりで来たんだからとか、
丸井は今になって不満を言い始めた。
それを聞いてジャッカルは笑いながら、泣くのか文句言うのかどっちかにしろって、突っ込んでた。
思えば丸井とは、ほんの半年かそこらの付き合いだ。
でもその間、うれしいことや楽しいこと、つらいこと、悲しいこと。
いろんな気持ちと一緒に歩いてきた。
今もこんなふうに、ドキドキもしないし丸井だってたぶんまったく意識してない、そんな男女を越えて抱き合える親友。
そんな人に出会うことなんて、これから先ないかもしれない。
ただなんとなくで入学した立海。
面倒ながらも、なんとなくな流れで参加したテニス部。
でも、あたしは丸井に出会えてよかった。
今だ文句を垂れ流す胸元の彼にもう一度伝えた。ありがとうねって。
「…そういや、」
一頻り文句を言い終わったあとで。あたしも丸井も鼻をかんだところ。
かんだティッシュをゴミ箱に投げて外れてジャッカルに入れ直させたところ。
丸井は、さっき袋にしまったプリンをあたしの前に差し出した。
「これ、ほんとは仁王の分でさ。」
えっ…て、思わず声が漏れた。
仁王の分って?今日は確かに仁王と約束してたけど、この二人は知らないはずだし。そもそも断りのメールを入れたから。この二人はそれとは関係なく、来てくれたんだと思ってた。
「さっきまでいたんだよな。」
「そう。でも、やっぱ俺はいいっつって、帰った。」
仁王も、来てくれようとしてたんだ。
でも帰ってしまった。
「仁王とちゃんと話してくれよ、」
頼むからって、なぜか丸井に、お願いされた。
なんで丸井にそんなことお願いされるのよって、こんなときじゃなければ思ってたかもしれない。
でも今はその言葉は、あたしに深く突き刺さった。
「俺が全国決勝で、お前に言ったこと覚えてるか?」
全国の決勝で。もちろん覚えてるよ。
あのとき丸井に、“親友”って言ってもらったんだ。
うれしかった。あたしも同じ気持ちだった。
最後の大会で、マネージャー昇格とともに最高のプレゼントだった。
「あのときとちょっと、考えが変わった。」
「…え!」
「いや、親友ってのはそのまんまだけどよ。あのときは、もしお前が仁王にフラれても、俺はお前の味方するって思ってた。」
「……。」
「仁王や、テニス部から離れても。俺はお前につくってさ。」
そういえば、もしお前がダメになってもって、それでもお前とずっと仲良しでいるって、そう言ってた。
「でも今は違う。俺はお前と、仁王にも、幸せになって欲しいんだよ。」
丸井が言ってくれたことに、うれしい気持ちと締め付けられる気持ちがある。ほんとはずっと前から言ってくれてたんだ。あたしの味方だって。
同時に丸井は、仁王に対してもそう思ってる。あたしと仁王二人の味方でいてくれてる。
仁王はどう思ってるのか、何も思ってないのかもって、そんなふうにごちゃごちゃ気にするより。もうあたしの気持ちも恋も、決着つけるときなんだ。
例え、もう終わってしまうかもしれないことでも。丸井の言葉に、くれた気持ちに強くそう思った。
「そういえばよ、花火はどうなったんだ?」
ふと、ここでジャッカルが口を開いた。
…花火って、何それ?
お互いそう思ったのがわかるように、あたしと丸井は顔を見合わせた。
今は秋も深々、もう少ししたら寒い冬の到来だとお天気ニュースに嫌気がさしていた季節だ。
花火なんて季節外れもいいところ。
「なんの話?」
「いや、夏の合宿で、できなかったろ花火。」
そういえばそうだ。今年の夏、あたしも参加したテニス部夏合宿。
確か、夜は肝試しやら花火やらあるからお楽しみに〜的な話を聞いていた。でも、肝試しはやったけど、花火はやってない。
なぜかと言うと、あたしがお風呂でのぼせて倒れたり、あたしが肝試しで行方不明になったりと。
ほとんどがあたしのせいだったことを思い出した。…いや、肝試しのは丸井と赤也のせいだ。また思い出したら腹立ってきた。
で、いつかまたやろーみたいな話はあったけど……、
「あー、あれか。てかあの花火ってもう捨てたか誰かやっちゃったんじゃねぇの?」
「いや、ずっと俺が持ってる。…つーかお前が俺に大事に保管しとけって渡したんだろ。」
「そーだっけ?」
いやー忘れてたぜわり〜って、いつもの軽い感じで丸井は謝ってたけど。
すぐに、ニカッと笑った。
さっきまでのどんよりした顔じゃなくて。
丸井らしい、あたしの好きな、場合によってはイラっとくるときもある、子どもっぽい笑顔。
「じゃあ来週、みんなでやろうぜ!」
「来週!?どこで?」
「どっか!公園でも河原でも!ジャッカル場所探しといてくれ。」
「また俺かよ…。」
丸井らしい丸井に戻ってうれしさもあり。
夏にできなかった、みんなで花火。
楽しみでもあるような、
もう終わりに近づく切なさもあるような。
“仁王とちゃんと話してくれよ”
今度こそ、丸井との約束を果たさないとと、秘かに心に誓った。
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