部長が初めて打ち明けてくれた気持ち。うれしいのと、苦しいのと、あたしにもあるいろんな気持ちで胸がいっぱいだった。
そして今朝のこと、気付いてた部長に半分驚きとやっぱりそうだよねって納得の気持ちがあった。
そのときに耳に届いた、赤也の声。
声のするほうを向くと、赤也がコートに入って来てて、
そのすぐ後ろには丸井とジャッカル、さらに後ろに、柳生と…、仁王がいた。
部長もあたしと同時に気付いて、示し合わせたわけじゃないけど、ほんとに二人同時に立ち上がった。
「やぁ、みんな。部活終わって帰るところかい?」
「そうっス!でも柳生先輩はなかなか部活来れねぇし、せっかくだからまだやりたくてここに来たんスよ!真田副部長は柳先輩と用事あるらしくていないから丁度良くって、」
ねっ?て、後ろの4人に向かって赤也は言った。やけに口数多く感じる。
でも後ろの4人は揃ってなぜか無反応。
ああそういえば、このコートは立海の皆さんご用達だったのか。前に、帰り道みんなでどっかまたテニスしに行くって言ってたこともあったな。でも確か弦一郎は参加してなかった。なんか、寄り道は違反だとかどーとか。今日はそのうるさい弦一郎がいないし、柳生もいるからってことなのか。
さっきの部長の話のことで、あたしの頭は少しふわふわしてた。告白も、気付いてた部長に驚かされたのも、これから仁王にどうやって伝えようかって考えたことも。たくさんあり過ぎて、頭抜けてた。現実味がなかった。
だから今が、あまり良くない状況だと気付くのに、少し時間がかかった。
なんだか赤也がえらいしゃべるなと感じたのは、後ろの4人が口を開かなかったからなのに。
そして今さらに気付いたきっかけは、丸井の言葉だった。
「なに、二人でテニスでもしてたの?」
少しぶっきらぼうに丸井は聞いてきた。
そうだ、あたしは今朝丸井から、部長を待ってること、あたしのことも待ってること、聞いたばかりだったんだ。
「ああ、俺が無理矢理付き合わせたんだ。」
「幸村君が?」
「うん。最近テニスしてないからリハビリも兼ねて、でもいきなり部活というのもキツいからね。」
ふーん、そっかって、納得いってるんだかいってないんだか、丸井は答えた。
あたしは多分部長の横で、そうそうそうなんですよ部長のリハビリがてらね〜、なんて顔してた。部長がフォローみたいな感じで話してくれたのに感謝しつつ、
丸井の表情を見て、あー丸井に悪いことしてしまったと、今さら後悔して。何も言えなかった。
そして丸井にだけじゃない。
あたしはその後方にいらっしゃる、めちゃくちゃ不機嫌な顔であらせられる彼が視界に入ってしまって。
後悔先に立たずだけども、激しく後悔した。
「あ、そんじゃあ幸村部長も一緒にやりません?」
「そうだ、幸村君も久しぶりなんだから軽くやろうぜ。茜、お前もだ。」
「えっ!あたしも!?」
「お〜いいっスね!ダブルスで交代してやりましょうよ!」
「ムリムリムリ!さっきやったばっかで体力が……、」
「ダメだ。お前は部活サボり過ぎの罰だ。」
「うっ…、」
「よし、じゃあ管理室行って照明つけてもらおうぜ、ジャッカルが。」
「俺かよ!」
丸井にパシられるジャッカルなんて久しぶりだなーなんて思いながら、
さっき以上にこれは無理だろと思った。
だって、ジャッカルはまだしも丸井とか赤也なんて、絶対あたしに手加減なんてしてくれない!むしろ取れそうで取れない球をあちこち打ちそう。柳生だって、なんか速いビームとかでよく相手を走らせるし。おまけに、
ダブルスで仁王とペアなんかなったらもう、気まずい。なんかやっぱり怒ってるのか何も言わず黙ってるし。
やっぱ仁王に言うべきだったかなー……、
「待って、ジャッカル。」
結局、丸井の押し付けに負けたジャッカルが、管理室のほうへ走って行こうとしたとき。
部長がジャッカルを止めた。
俺は見てるだけにするよ、とか。
先にペア決めておこうか、とか。
そんなこと言うかなって思った。
「その前に、みんなに話がある。」
「え、話?」
「茜ちゃん、」
部長は、まるであたしをみんなの前に押し出すかのように、背中にそっと触れた。
話って話って…、部長のなんか話じゃなくて、あたしのこと?
外部受験するって?今ここで言えって?
「茜が?話?」
「あ!もしかして、二人付き合うことになったんスか!?」
もしすぐ横にいたら、あたしは赤也を3発は殴ってただろう。だって空気読めないにも程がある…!あたしが仁王を好きだって知ってるくせに、昨日もそれで仁王にケンカ売ってたくせに!
あたしの願いが届いたのか、とりあえずは丸井とジャッカルが、赤也の頭を叩いてくれた。しのびない。
そんな、のん気なことを考えながらあたしは、今どうすればいいのか、そもそもこの状況もはっきり飲み込めてない、そう思った。
そういや部長に、誰にも言わないでなんて言ってもないし。さっき部長は、早く仁王に言いなよなんてアドバイスくれたから。なかなか言えないこれからも言えそうもないあたしの、文字通り背中を押してくれたんだろう。
ただ……、
あたしが気持ちも何も言えずにいた本命の人がいる。言ったら悲しませるかもって不安だった人もいる。
そう思ったら、あたしは何も言葉にできず、どう言ったらいいのかわからず、黙り込んだ。
どれくらいかはわからないけど、みんなもその間、急かさず何も言わずにいた。視線だけが刺さる。
「ここで言わないと、いつか他の誰かから知らされるよ。」
それでいいの?って、部長はあたしに強く伝えた。
いいわけない。他の人から、噂から知られるより、あたしの口から言うべきなんだ。そんなことはずっと前からわかってる。
丸井や赤也やジャッカルは、何だ何だ?って、顔を見合わせて気になってる。柳生は、もうとうに気付いてたんだろう、何も言わず視線を下に落としてる。
仁王は……、
「じゃあ、俺から言うよ。」
仁王は、さっきまでの不機嫌な顔とは違って。
いつか見たような、なんの感情もなさそうに無表情だった。
いや、無表情に見えただけだ。
視線を動かすと仁王は、ポケットに入れてないほうの手を、硬く握ってるのがわかった。
それが、さっきからどこか頭の中ふわふわしてたあたしの胸を、今になって痛く締め付けた。
「茜ちゃんは、」
「…やめて部長。」
「来年、」
「言わないで。」
「違う高校に進学するよ。」
突き飛ばしてでも部長を止めなかったのは、もう限界をわかってたからかもしれない。
弱々しい声しか出なかったのは、もうスッキリしたいと思ってたからかもしれない。
こんな伝え方で、相手がどう思うかなんて全然、考えられなかった。
「……ジョーダン、だよな。」
しばらく続いた沈黙のあと、重たい空気に耐え切れなくなったのか、ジャッカルが口を開いた。こういう状況で知らん顔できない優しいやつなんだ。
「本当だよ。」
信じられないのか、嘘だったほうがよかったのか、そんな意味が込められてる気がして、あたしは頷きも首を振ることもできなかった。代わりに部長が答えた。
ジャッカルも、あたしがいなくなることを寂しいと思ってくれるのかな。
「…えーっと、茜先輩も医学部?…え、でも頭全然良くないっスよね?……え?」
こんなときですら失礼極まりない赤也だけど、その混乱したような話しぶりと上ずった声に、
赤也も寂しがってくれるのかなって思った。
「医学部ではないけど、今柳生と同じ塾に通ってるよ。なぁ柳生。」
「…ええ。」
知ってたんだろ?って、付け足すように部長は柳生に言った。
柳生もあたしと一緒で来年立海にいない。
いなくなる寂しい気持ちも、なかなかみんなに言えない気持ちも、きっとよくわかってくれてたんだろう。誰にも言わなかったみたいだ。
「じゃあどうしてっスか?なんで、他のとこ行くんスか!?」
ようやく頭の整理が終わったんだろう、赤也は、らしくあたしを問い詰めた。
もうここまできたらあたし自身が説明せざるを得ない。
ジャッカルも赤也も、信じられないって顔してる。
丸井は?
…丸井の顔は見れない。
仁王は?
……仁王の顔はもっと見れない。
ただ地面をみつめながら、あたしはこれまでの話をした。
「…えっと、要は、家庭の事情というやつで…、」
いつもだったらきっと理解できないよくわかんないことに対して、
丸井は声を大きく上げる。さぁ早く言え訳を話せって。
でも何も言わない。あたしは目も合わせない。
今何を考えてるだろう。柳生のこともあってからのことだから、やっぱり悲しませちゃったかな。
それとも、こんなときになってまで言わなかったから、怒ってるかな。
仁王はどうだろう。
いつか思った、仁王は、あたしがいなくなるとしても何も思わないんじゃないかってこと。何か思ったとしても、何もしないって考えるんじゃないかってこと。今まさにそうなんじゃないか。
仁王は……、
“デートしようってこと”
たった数時間前の、屋上での会話を思い出した。なかなか叶わなかった、したかった仁王とのデート。
もうその土曜日はこないかもしれない。
あの仁王のいつもの笑った顔が頭に浮かんで、
あたしはボロボロ、涙が零れた。
何をどんな言葉でみんなに話したのか頭にはまったく残ってなくて。涙がどんどん多くなって、もう声を出すのも難しかった。
でもこれまでの経緯の説明はできたと思う。一息置いたところで、部長がハンカチをくれたから。背中もさすってくれた。辛かった苦しかった思いがあったとはいえ、あたしはまるで小さな子どもだ。
涙が少し落ち着いて、深呼吸をした。
「…ごめんね。」
今のあたしの気持ちは、この言葉に詰まっていると思う。また涙が少し零れた。
それが止まらなくなる前に。あたしはその場を離れた。
赤也が、茜先輩って、小さく呼んだのが後ろで聞こえたけど、足は止めなかった。止まっても、何も話せないって思ったから。
街灯やお店の明かりが眩しい。まだ目に残ってる涙のせいで、キラキラ揺らいで見える。
「上野さん。」
一人とぼとぼ歩いてると、後ろからあたしを呼ぶ声がした。
振り返ったら、ぼやけながらも柳生だとわかった。
「もう暗いので一人では危険です。ご自宅まで送りますよ。」
せっかく赤也は、柳生がいるからってあのコートに行ったのに、その本人がここにいていいのだろうか。
そう思いながらハンカチで目をこすって柳生の顔を見た。
ふと、これは仁王なんじゃないか。仁王だったら……、なんて思った。
でもその思いは、柳生にあっさり崩される。
「残念ながら、私は正真正銘柳生比呂士です。」
「…わかってるよ。こっち来ていいの?」
「ええ。黙っていたことを仁王君に責められる前に逃げてきました。」
ずいぶん正直だわね。相変わらず仁王は柳生に一番強気、というか本音で甘えることができるんだろうか。
柳生が誰にも仁王にも言わなかったことは、何となくわかってたけど。
仁王は別に柳生を責めない気がした。
「でも、」
「?」
「スッキリはしたんじゃないですか。」
そうだね。ずいぶんスッキリしたよ。もっと早く自分でそれぞれに伝えればって、思いはあるけど。
でももう戻れないし。あたしがいなくなるのは決まってしまったことだし。
これでいいんだ。
しばらくして家の近くまで来たから、もうここで大丈夫と柳生にお礼を言った。ここからでも弦一郎の部屋の明かりが見えて、弦一郎にも今日のこと報告したほうがいいのかな、でもややこしくなるかもしれないし役に立たないだろうし、
あたしがまた泣いてしまうかもしれないって頭を過ぎって、そのまま家に帰ることにした。
「じゃ、ありがとね。」
「いえいえ。私も助かったので。」
「…あー、でも仁王は別に柳生を責めたりは……、」
「いえ、それだけではありません。」
「え?」
「私は…、仁王君の顔を、見れませんでした。」
さっきから、あのコートにいたときからあたしを送ってくれたこの道のりもずっと柳生は、いつも通りのクールな表情だった。会話の中でときどき笑ったりはしてたけど、全然いつもと変わらない落ち着いた雰囲気で。
でもその柳生は今、悲しそうな、やるせない表情だった。
見れないって、なんで?
と思ったけど、なんとなくだけどわかった。
柳生もあたしと同じ立場。
赤也は柳生のことに対しての仁王を平然としてるって言ってたし、あたしも特に何も思ってなさそうな仁王にちょっと驚いたけど。
柳生が仁王に話したとき、
さっきのあたしが感じたように、
同じように胸が締め付けられたのかもしれない。
「まぁ、彼は根は優しい人ですから。」
「…うん。」
「もう受け止めてくれていると思いますよ。」
柳生のその言葉は、経験者談だからかすごく納得はいったけど。
ただ今のあたしを慰めるだけ、そんなふうにも聞こえた。
家に帰ったら身体中すごくだるくて。
あーテニスしたし、部長とのこと、そのあとのことで疲れてるんだろうなって思ったけど。
ほんとにその夜中に熱が出て、
結局あのままみんなに会わないまま、数日学校を休まざるを得なくなった。
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