夢の中であたしは高校生になってて。
なぜか立海にいて、今と同じメンバーのテニス部だった。一個下の赤也もなぜか一緒にいた。でも唯一いなかった人がいた。仁王だ。
仁王は、小さい頃からの夢だったとかで世界中を旅しているそうで、今はアメリカにいるというハチャメチャな設定だった。でもなぜかあたしは、あー仁王は自由だしあっちの国のほうが似合うんだよななんて思ってた。そしてテニス部の中であたしと最も親しくなっていたのは弦一郎でも丸井でもなく、部長だった。いつもあたしに笑いかけて大切にしてくれるって、夢の中のあたしは喜んでいた。
「………ちゃん、」
そうそう、そうやって部長は普段が優しいだけじゃなくてあたしを呼ぶときより一層優しい顔をする。
「…茜ちゃん。」
「……ん?」
「おはよう。」
夢か現か、目の前に部長がいる。
ああこれは夢の続きだ。目が覚めて目の前に部長がいるわけがない。
「早く起きないと遅刻するよ?」
「……いてっ…!」
ぼんやりしてたあたしの頭は、
物理的に受けたチョップにより、完全に覚醒した。
「…あれ?……部長?」
「おはよう。早く荷物片付けて教室行かなくちゃ。」
これは夢ではない。もう一度言う、これは夢ではない。
記憶を辿るとあたしは弦一郎に勉強教えてもらってて…、そうだ、弦一郎がなんか先生に呼び出されて怒られに職員室へ向かった、そのあと寝て……、
「な、なんで部長がいるの?!」
「ああ、図書室にたまたま来てね。君が寝過ごしたらいけないと思って待ってたんだよ。」
部長はさっきの夢と変わらず優しい顔で微笑んだ。
まだ寝起きってこともあって、ぼーっとする頭。
部長とは昨日会ったばかりだけど、ずいぶん久しぶりに感じる。
あたしがいつまでもぼーっとしているからか、部長はクスッと笑ってあたしの代わりに、目の前に散らばってるテキスト類を集め始めた。
そしてトントンと、揃えてからあたしに差し出す。
「はい。」
「あ、どうも……、」
あれ?待てよ?
このテキストって……。
あと5分だから急ごうと言って部長は立ち上がった。
その部長に気付かれないように、
手に収まっているテキストに視線を動かした。
バッチリ、真っ正面に塾の名前が書いてある。
やばいやばいやばい…!もしかして、部長気付いた?柳生と同じ塾って、気付かれちゃった…?!
あたしが塾行くなんて不自然だと思うだろうし、そもそもこれはほぼほぼ過去問集だ。立海にそのまま進学するのであれば、まったく必要ないものだ。
もしも、万が一、部長に気付かれようものなら…、
弦一郎に確認→柳に報告→拡散。
やばい…!!
最速ルートでみんなに広まってしまう!
「あ、あのう…、」
二人で図書室を出たあと、あたしは勇気を振り絞って部長に声をかけた。
わからないけど、確証はないけど。
部長なら、心を込めて口止めすれば最悪、柳ルートは回避できる気がする!
「あのですね部長…、か、確認したいことが……、」
「そうだ、茜ちゃん。昨日のことなんだけど。」
あたしの話を遮り部長は話し始めた。
これから話そうとしていたことはあたしにとってとても重要なことで、今後の学校生活にも影響を及ぼす可能性もあることで。
まずは、あたしの話を聞いてほしかったけど。
部長がこれから話すことも、あたしにとってはとてもとても重要なことだったから、口を閉じた。
「仁王とちゃんと仲直りしたよ。」
「…ほ、ほんと?!」
「うん。仁王がたこ焼きをくれたからね。経緯も聞かせてもらったし、赤也も謝ってた。」
そ、そっかー!よかった、ほんとによかった!
あたしがあからさまに喜ぶと、部長もまたにっこり笑った。
君のおかげだよって、付け足して。
あたしの不躾な物言いにもしかしたら怒ってるかもなんて思ったけど。
みんな、仲直りしてくれたんだ。ほんとによかった。しかもたこ焼きがキーマンになるなんて。芥川君と氷帝の会長様々だ。
そしてふと、部長はあたしの塾のこと、気付かなかったんじゃないかって、思った。
だっていつもと何も変わらない。あたしとは対照的に、にっこり余裕たっぷりに微笑む部長。だけど。
「ねぇ、茜ちゃん。」
さっきの夢と違わず、部長の笑顔は優しいんだけど。
やっぱり気付いてるんじゃないかって、そう思うぐらい。
内の見えない笑顔でもあった。
「今日放課後空いてる?」
「えっ?」
「ちょっと付き合ってくれないかな。」
疑問形だけど、窺ってるんだけど、
NOとは言えないこの雰囲気。
微妙な不安心を抱えたまま、
あたしは今日、詳細不明なお付き合いをすることになった。
「おーっす。」
「あ、おはよ。」
「ギリギリじゃん。寝坊?」
部長のさっきの笑顔が頭から離れないまま。席に着くと、隣の丸井に笑われた。
時計を見るとほんとギリギリ。まもなく予鈴が鳴った。
「寝坊じゃないよ、勉強してたの。」
「勉強?なに、今更成績ヤバいことに気付いた?」
「違いますー!」
やっぱりあたしが勉強なんて、丸井にとっては相当おかしなことなんだろう。嘘つけーって、また笑われた。
「そういや今日さ、」
丸井が話し始めたところで先生が教室に入ってきた。
みんな起立して一礼。
着席後の丸井の声は、ヒソヒソ声ながらも少し弾んでた。
「仁王とヒロシも朝来てさ。まぁ全体練習はなくて自主練だけだったけど。」
「えっ、ほんと?!」
「ああ。仁王は今日来るだろうなって思ってたけど、ヒロシも来るとはなー。」
「よかったじゃん!」
「まぁな。ヒロシはどーせ仁王に、お前さんのせいでみんなバラバラじゃって濡れ衣着せられたんだろうけど。いつも以上に気使ってたし。」
「あーそんな光景が目に浮かぶね。」
「久しぶりに3年レギュラーで試合したぜ。」
あとは幸村君だけだなーって、丸井はうれしそうに、待ち遠しそうに言った。
丸井はこうやって、今みたいに楽しそうに想像しながらワクワクするような、そんな表情が似合ってる。
あたしもその丸井の顔を見て、ホッとした。
昨日のあたしは出過ぎた真似をしてしまったかもしれない。何言ってんのって、白けた目を向けられるかもしれないって思った。
でも、丸井は昨日追いかけてきてくれた。今もこんなふうに喜んでる。
それだけでもよかったと、そう思った。
「てかお前もだからな。」
「は?」
HRもそこそこに。先生が退室して一時間目の授業の準備をしようとしたところ。
さっきの弾んだ声とは違ってちょっと怒った感じ?の、丸井の声が耳に届いた。
「勉強なんて今更無意味だから。練習来いよ。」
「ハイハイ。」
わかってんのかよって、ため息混じりの声が聞こえた。
あたしはきっとちゃんとわかろうとしてなかった。
昼休み。あたしはソッコーでご飯を食べ終え、鈴に別れを告げた。
これから向かうのは屋上。今日は仁王とまだしゃべってなかった。
教室の席も前と後ろで離れてるし、朝は割りとよく仁王はこっちの席に来るけど。
今日はあたしは予鈴ギリギリだったから。まだ話せてなかったんだ。
あーなんか、変に緊張するかも。
部長ももう大丈夫みたいなこと言ってたし、丸井も喜んでたし。
きっと仁王も大じょお………、
「わっ!」
「ぶっ!」
自分にいろいろ言い聞かせながら鍵を開け手にかけた屋上への扉。
その瞬間、後ろから驚かされた。
もともと平常時の心拍動ではなかったはずのあたしの心臓。例えるならほん怖スペシャルのクライマックス並みにびっくりした。
「…って、仁王くん!」
「ははっ、びっくりしたじゃろ。」
振り向けばおかしそうに笑う仁王がいた。この扉の向こうにいるはずだったのに。
…なんか、こんな感じで緊張してるところに更におどかされるの、前もあった気がする。
「もーやめてよ、心臓弱いんだから!」
「期待通りのリアクションありがとさん。」
まだおかしそうに笑う仁王は、
今いる場所、あたしの正面から手を伸ばし、扉を開けた。
わずかに左腕と右腕が触れて、
すごく、一気に距離が近くなった。
「どうぞ。」
「…あ、はい。」
今よりずっと近かった、抱きついてしまった昨日を思い出してまた、心臓が速くなって。顔が熱くなる。
それは何とか仁王に悟られないように、先に歩いていつもの位置に座った。
仁王も後からついてきて、あたしの向かい、フェンスにもたれて座る。
そのまましばし無言。
校庭から、昼休みにはしゃぐ生徒たちの声が聞こえてくる。なんとなく、赤也の声もするような気もする。
やっぱり、弦一郎より部長より、仁王に対してが一番緊張してる…のかな。
嫌われたくないって思いが強いからかな。
「にお…、」
「茜…、」
意を決して声をかけたところ、見事に被ってしまった。
これも前にあったようなことだけど、恥ずかしいというか、気まずい。
でも仁王はいつものように笑ってくれた。
部長みたいに内の見えない余裕のある微笑みではなく。
丸井みたいに喜んでるの丸わかりな表情でもなく。
仁王らしい空気感。
「なんじゃ?」
「仁王くんこそ。」
「そっちが言ったら言うぜよ。」
「あたしもそっちの聞いたら言う。」
また二人して笑い合った。
具体的に何か話し合うべきなのかもしれない。
でもあたしは、仁王がきっと最近のこと後悔してて、反省して、今朝練習に行ったんだとよくわかってた。
先輩とのことも、きっと。
「じゃあ俺から。」
「う、うん。」
「後ろ向いて。」
「後ろ?なん…、」
で?と言う前に、仁王に肩を回され強制的に後ろを向かされた。
一体なんなんだ?と思ったときに、
仁王の手があたしの両肩を優しく揉んだ。
「…え、肩もみ?してくれるの?」
「ああ。もちろん無料じゃ。」
普段有料でやってらっしゃるんですか?……じゃなくて、
なんか、肩もみは肩叩きと違って、少しくすぐったい。ぞわぞわする。あたしはそんな得意なほうではない。
でも今はすぐ後ろに仁王がいて、
ドキドキのほうが強いからかな。居心地いいんだ。
「…ありがとう。」
「いーえ。何か今日、よく首回しとったし。ちょっと硬いのう。」
「え、凝ってる?」
「うん。四十肩か?」
んなわけないでしょと、ちょっと大きめに響いたあたしのツッコミに、仁王の笑った声が漏れた。
首回してたのかなぁ。最近予習復習してるからかな。って、そんなんで肩凝りなんてあたしは本当に中学生か。弦一郎や他のテニス部同様、中学生らしさがなくなってきてるの…!?
後ろに仁王を感じて、ドキドキするけどすごく居心地よくて。
教室の後ろから、あたしを見てくれてたんだなーって。
余計うれしかった。
「茜、」
「ん?」
「今日、暇?」
仁王の肩もみが気持ちよすぎてなんだか眠気が出てきたところ。
部長のことを思い出して、少しドキッとした。
「あー…、今日はー…、」
部長と約束があって、なんて言って大丈夫だろうか。
本来なら全然問題ないはず。でも、
ちょっと前に、部長の呼び名云々で一騒動あった。
あのとき仁王は、部長を名前で呼んでほしくないと、そういうニュアンスのことを言ってた。
うーん……、呼び名とはまた違うし、大丈夫か?でももしかしたら………、
「予定入っとるんじゃな。」
「…はっ!」
どう答えようかマゴマゴしていたら、仁王のすべて見透かしたような声が聞こえた。
表情はわかんないけど。怒ってはいないけど拗ねてるような気もした。
言わないほうがいいと、思った。
「…ご、ごめん。」
「まぁ仕方ないぜよ。」
「えっと、今日以外で…、あ、火曜と木曜もちょっと…、」
「じゃあ土曜日。」
はい、おしまい。と仁王は言って、あたしの肩をポンと叩いた。
あたしはありがとうと言いながら振り返り、
つい今しがたの仁王の言葉を繰り返した。
思えばあたしはよく仁王に驚かされるもので、
確かめるために、ときには期待をしながら、仁王の言葉をオウム返しすることが多々ある。
「土曜日?」
「ああ。デートしようってこと。」
今回は返せなかった。チャイムがすぐ鳴ったっていうのもあるし、
また仁王らしく笑った顔を見たからっていうのもある。
その他、うれしかったから。
仁王がうちに来たり、どこかで二人きりになったりは、よくあったけど。
初めての、デート。
合唱コンクールのときにできなかったデート。
もうすでに、緊張の限界かもしれない。
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