76 曇り空色の心

今日は朝からどんよりした空模様。今にも雨が降るんじゃないかってぐらい。昨日は晴れてたのに。この時期の雨は気温をぐーっと下げる。ただでさえ最近朝晩冷え込むから、余計冬が近づいてきている気がする。来て欲しくない冬がね。

どんより曇った今日の空みたいに、あたしの心もどんよりしていた。
昨日のことばかり考えちゃって。なんていうか、床に転げ回りたくなる。

仁王に抱きついたことはもちろん、そのあとみんなにえらそーに諭してしまったこと。

ただ、あれはあたしの心底素直な気持ち。最近みんなどーしたのよって。バラバラじゃんって。こないだは仁王と赤也がケンカみたいなことするし、部長は練習来てないせいかみんなと距離を置いてる感じもしたし。丸井は、まぁ普段通りだけど、そういえば前より元気がなくなったような、ワガママも減ったような気もする。
そりゃ3年は引退したから前みたいにいつも一緒ってわけにはいかないんだろうけど……。



「はぁ〜……。」



深く深く、ため息をついた。
みんなのことにも、あたしに残された時間も少ないことにも、焦りと苛立ちが募った。



そしてもう一つ。あたしには、昨日のみんなに対して後ろめたさがあった。

えらそーに言ったあたしにも、気まずいままの人がいる。
あたしこそ、バラバラにしてしまってる。



「ウォッホン!」



頬杖つきながらボーッと天井を見上げると、あたしへ向けられたであろう咳払いが響いた。そう、さっきのデカいため息のせい。その咳払いの主は、図書委員。

時刻は7時30分。あたしは図書室でべんきょーしている。

…あたしが朝っぱらから図書室で勉強してるなんてらしくないって、丸井や赤也には言われそうだけど。
そう思いながら手元のテキストを恨めしく見つめた。

そうですこれは塾の予習です。
あたしは初めての塾なわけなんだけど、なんと塾とはまず授業の予習をすることから始まり授業後は復習するということが必要最低条件、らしい(柳生談)。

今まで学校の授業でさえほとんどやってこなかったというのに、塾の難しいテキストなんてできるか!



「はぁ〜〜あ!」

「ウォッホン!!」



もはやあたしのよりはるかにデカい音を発している図書委員め。ため息ぐらいさせてよ!悩みの時期なのよ!



ーガラッ



後ろの方で、扉が開いた音がした。

あたし以外にも何人か、勉強してる人や本を読んでる人はいた。こんな朝から図書室って、君たち成長期の中学生ならもっとたくさん寝たほうがいいよなんて思ってたけど。



「茜?」



呼ばれた声に振り向いた。その、中学生らしからぬ厳めしい顔を見て、急に心臓が速くなった。

もちろん、仁王に対してなるようなやつじゃなくて、
単に今はちょっと、会いたくなかった人だったから。



「げ、弦一郎…、」

「なんだ、その“げ”とは。」



いや、そういう意味のげではないよ。単に弦一郎の名前を噛んだだけだ。
久しぶりだったから。

弦一郎はあたしの横を通り過ぎると、先ほどから喉の調子が良くなさそうだった図書委員に本を返却していた。

そっか、弦一郎はたまにここで本借りたりするんだっけ。中学生なら朝は寝たほうがいいよなんて、この弦一郎には絶対当てはまらない。むしろ朝早く目が覚めちゃう中高年タイプだし。



「何をしている?」



あたしがあれこれ考えているうちに、サクッと本を返し終えた弦一郎は、あたしの目の前にやってきた。



「あー…、塾の予習をね。」

「ほう。感心だな。英語をやっているのか。」

「…弦一郎こそ、朝練は?」

「今日は赤也たち2年が来週の試合のミーティングをやるため休みだ。先程、自主練のみやってきた。」



今だに弦一郎は、毎日のように朝練も通常の練習も参加してる。さすがに試合は出てないけど。
厳しいしうるさいし邪魔臭いけど…正直助かるって、昨日丸井が漏らしてた。

図書室だから、いつもよりずっと小声で話す弦一郎は、静かに、あたしの向かいの席に座った。



「何かわからないことはないか?」

「えっ、」

「まだ時間はある。塾の講師には敵わんが、テキストの予習レベルであれば俺でも教えられるぞ。」



そう言って、弦一郎はあたしの手元にあったテキスト数冊を奪い取った。真剣に、すでにあたしが予習を終えている部分を見直している。ほんと、お節介。でも……、



「…ありがとう。」



教えてくれること、あたしのために真剣になってくれること、だけじゃなくて。
普通に、話しかけてくれて。

あたしは昨日、みんなバラバラだと思った。どうしたのって思った。
いつものみんなに戻って欲しかった。

あの、夏の日のみんなに。
でもそれは、あたしにも言えることだった。

あたしは少し前に弦一郎に八つ当たりして、結局そのまま避けてた。このままどうなっちゃうんだろうと思いつつも、弦一郎だから、幼なじみだから、別に大丈夫だよって、簡単に思ってた。でも時間が経てば経つほどどうにもできなくなってる自分がいて。

だから昨日みんなに言ったことは、あたし自身に対して言いたかったことでもあるんだ。



「礼には及ばん。…ここ、早速間違えているぞ。」

「え、どこよ。」

「ここの文法だ。この場合は……、」



なんか、弦一郎のカテキョなんて久しぶりだな。前までは迷惑この上ないと思ってたけど。

今、この状況。
頼もしくてすっごく安心する。勉強も、みんなのことでモヤモヤしてたことも。全部、吹っ飛ぶ気がする。

心なしか優しく教えてくれる弦一郎も、もしかしたらちょっと気まずい思いがあるかもしれない。

それでも、当たり前のようにこうやって面倒見てくれる。見返りを求めず自分の時間を割いてくれる。

やっぱり弦一郎は、あたしの大事なパパなんだ。





「何度言ったらわかるんだ!ここはこうじゃない!」

「うるさいなぁ…てゆうかこの部分、弦一郎の訳でほんとにあってんの?なんか日本語変なんだけど。古臭いんだけど。」

「むっ、俺は中間期末考査で満点を取るほどの実力者だぞ!」

「言っとくけどこれは塾の受験用テキストですからね。レベルが高いんだからね。」

「な、何だと…!」



安心したのも束の間。
数分後には、いつも通り弦一郎の怒声が飛び、憎たらしく反抗するあたしがいた。

ある意味、昔からちっとも変わってないことを喜ぶべきなのか。二人とも進歩がないとも言うけど。

ていうかあたしがため息ついただけで不愉快そうに咳払いしてた図書委員も、周りで勉強や読書をしている生徒たちも。みんなしてこっちをチラチラ見つつ、オロオロしてる。
弦一郎が怖いからか、口を出さないのねまったく……、



―ピンポンパンポーン



『3年A組真田君。校内にいたら職員室まで来てください。』



やいのやいの、口ゲンカを続けていたけど、突然、弦一郎へ呼び出しの校内放送があった。

やれやれ、やっと一息休憩できるわーと思いつつ、
弦一郎、もしかして先生に怒られるんじゃない?って思ったら、
ニヤニヤが止まらない。



「む、何だその顔は。」

「別にー?早く行きなさいよ、怒られに。」

「誤解しているようだが、俺はお前と違って怒られるような疚しいことなど何も……、」

「いってらっしゃーい!」



まだまだ反論したそうな弦一郎の言葉を遮り、あたしは笑顔で送り出した。弦一郎さんはとっても不服そうな顔してたけど。

さて、うるさい弦一郎もいなくなったし、けっこう勉強もしたことだし。
時計を見ると8時過ぎ。これから15分寝て、教室に向かうとしよう。

そして教室で仁王と会ったら…。
昨日えらそうに言ってごめんって、でもあたしの素直な気持ちだって、伝えたいな。伝えれるかな。

そんなことを考えながら机に伏せた。
弦一郎との仲も修復できて、さっきまでのどんよりした心が少し、晴れてきてる。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「真田、おはよう。」

「ああ、幸村。おはよう。」



朝、少し早く学校に着いた。本当は最近、わざと予鈴ギリギリに来てる。
見たくないものがあるから。

でも今日は早くに目が覚めた。時計を見ながら、ああ、習慣ていうのは忘れた頃にまた体が思い出すんだなと思った。
天気も悪くて気分もどんよりして、体調も良くない。学校に行きたくないと思い出さないうちに、さっさと家を出た。

家を出るとき母さんに、練習はしないわよね?って聞かれた。すごく心配そうにね。もちろんって笑顔で返した。
俺はしばらくテニスができないんだから。

時間もあるから本でも借りようと思ったら、ちょうど前を歩く真田を見つけた。



「図書室にいたのかい?」

「ああ。本の返却と、茜に勉強を教えていてな。」



勉強?あの、茜ちゃんが?
って、そう意外に思ってしまうのは、彼女にとても失礼かな。

俺が不思議に思っているのがわかったのか。真田は、いやあいつは英語が苦手で、とか、ようやく勉強に目覚めてな、とか、しどろもどろに話した。

勉強、ねぇ。
まだ図書室にいるのかな。真田がいなくなって寝てるかもしれないね。



「そういえば真田、さっき呼び出されてただろ?」

「あ、ああ、これから向かうところで…、」

「テニス部元副部長ともあろう者が呼び出しなんて、ずいぶんとたるんでるなぁ。元部長として情けないよ。」

「いや…!違う!そういう呼び出しではないのだ!」

「早く行きなよ。」

「ぐっ…、」



まぁおそらく、先生からの頼み事とかだろう。真田は先生からの信頼も厚いから、半ば先生と同じような業務もやってる。

それは置いといて。
逸る気持ちを抑えつつ、図書室に入った。
この今日の空みたいなどんよりした心を、彼女なら晴らせてくれるかもって。

入ってすぐ、奥のほうだけど見つけた。茜ちゃん。確かにさっきまでは勉強してたんだろうけど、予想通り机に突っ伏して寝てる。

気付かれないようにこっそり、茜ちゃんの真ん前の席に座った。
これで茜ちゃんが起きたらきっと、俺の期待そのものにすごく驚いてくれるだろう。寝顔も見たかったけど、伏してるから見えない。だから寝起きに驚いてくれるだけでいい。

そう、少しワクワクしながら、目の前のテキストを手に取って見た。ほんとに真田の言う通り、勉強していたみたいだな。

パラパラと、そのテキストの中身を見ながら昨日のことを考えた。

茜ちゃんを怒らせた、というより悲しませた。
仁王を挑発したせいか。それとも単に仲間で揉めて欲しくなかったからか。
きっと、そのどちらもだと思う。



仲間、か。
俺はしばらくテニス部に顔を出していない。見学だけでもしたらどうだと真田には言われたけど。練習を見ていたら、きっとやりたくなる。何でテニスができないんだって、もどかしくなる。みんなが楽しそうにしていたら、孤独感を感じる。そんないろんな思いが、俺を苛立たせた。

そして仁王に突っかかったのは、茜ちゃんのことに関する劣等感があったからだと思う。飄々として、のらりくらりやって。そうやっていつでも優位に立ってる。

でも俺は、誰もきっと本人すらも気付いてないけど、仁王に救われたことがある。あの、入院していたときのことだ。
そのときの思いが邪魔で複雑にする。
だから余計に苛立った。俺は何もかもうまくいかないね。



ふと時計を見ると、8時15分。そろそろ起こしたほうがいいかな。
昨日のことも、謝りたい。悲しませてごめんって。



「……え?」



茜ちゃんを起こそうと少し席を立った。そのとき、ずっと視界に入っていたのに気付かなかったこと。それに気付いた。

茜ちゃんの前にあるテキスト類。自分で買ったものかなって、ぼんやり思っていたんだけど。
その表紙には、聞いたことのある塾の名前が入っていた。柳生が通っている塾だ。

そしてもう一度中身を見た。
公立高校の、過去問ばかり載っている。
俺の頭にはすぐ、一つの答えが浮かんだ。



「……立海から、いなくなるのかい?」



茜ちゃん。
早く起きて俺の勘違いだって言ってくれよ。
あと数ヶ月なんて、悪い冗談はやめてさ。

俺、まだ君に伝えてないんだ。

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