先を行く仁王を止めた。たこ焼き屋が少し先に見えたから。
ここはその手前の、噴水前。
「焼きそばあるし、たこ焼きはあとでいいよ。」
「そうか?」
「うん。ここで座って食べる。」
あたしがそう言うと、仁王は噴水の縁に座った。あたしもそのちょっと横に。
さっき買ったばかりであろう焼きそばは、まだ器もあったかい。屋台の焼きそばはおいしいって法則はあるけど、文化祭のものはどうなんだろう。フルコースなんか出しちゃうこの文化祭なら、焼きそばもすごいのかも。
別に食べたかったわけじゃないのに。
そう卑屈になりそうな心を、どうにか押さえつけたかった。
フタを開けると一瞬、湯気みたいなものが出た。
「…あのな、」
あたしが焼きそばを頬張ろうとしたところで、仁王は口を開いた。
「…なに?」
何か、話が始まるんだろう。あたしはお箸を器に戻した。
ゴクリと唾を飲み、少し構えた。
「……焼きそばうまいか?」
「…や、まだ食べてないから。」
そうか、と仁王は呟いた。
…なんだこのやりとり。
気まずいのはわかるよ。仁王的には、うわー見つかっちまった〜ぐらい思ってるんだと思う。
あたしはきっとさっきから沈んだ顔してるし、実際へこんでる。
たぶん仁王は、あたしがさっきの人が誰だか知ってるって、わかってる。
「いただきまーす…。」
小さく呟きながら、あたしはようやく焼きそばを食べた。
仁王はあの人と来てたのか、うちらと来ない理由があの人だったのか、さよならしたはずなのに何で一緒だったのか、もしかしてまた戻ったのか。
わからないことばっかだけど。
この答えを仁王から聞いていいんだろうか。
単純に、悪い答えなら聞きたくない。それは当然。
でもね、それだけじゃない。
「……っ、」
やばい、涙出そう。
目に溜まってきた。このままだとこぼれる。仁王のほうも見れない。
「…氷帝ってすごいじゃろ。」
「……。」
「セットもメニューも派手なんばっかじゃ。」
「…うん。」
「試合の応援もすごくてのう。見たことあるか?」
「……うん。」
仁王は気づいてるかな。あたしが泣きそうなの。
うまく返事ができそうもなくて、うんとしか言えない。
ずっと下向いて、夢中で焼きそばを食べてるふりをした。味なんてわからないのに。
気づいてるのか気づいてないのか、仁王は構わず話を続けた。
「ちょっと渡さなきゃならんかった物があっての、」
「…。」
「まぁ…、卒業式に渡せんかった色紙…みたいなもんなんじゃが、」
「……。」
「渡す約束を前からしとって……、」
仁王らしくない、言い訳を並べるもんだから、
ついにあたしの目から涙がボタボタ落ちた。焼きそばに。
その話が嘘かほんとかはどうでもいい。…どうでもよくはないけど。
言い訳臭いのも、嫌だとか納得いってないとかじゃない。
「お前の気持ち、考えてなかったな。ごめん。」
そう言って仁王は、あたしの頭を撫でた。俯きっぱなしのあたしの目から、さらに涙はこぼれ落ちた。
視界にはぼんやり焼きそばが映るだけ。あたしはたこ焼きが食べたかった、でもあの人がくれた焼きそばを食べてる、
それを考えると、今の仁王の言葉に重なって、余計に涙が止まらない。
あたしは仁王が好きだ。仁王もそのことに気づいてるだろう。
仁王も、もしかしたら……、
「これからは何があっても、茜のこと一番に考えるから。」
優しすぎる、あったかすぎる言葉に、あたしは涙が止まらなかった。頬張り続けた焼きそばが外に出そうだったけど、一生懸命飲み込んだ。
うれしくて、ドキドキして、仁王がすべてのあたしには、今一番欲しかった言葉。
それでも、どこか幸せになりきれないこの気持ち。
頭の隅に引っ掛かる、あのこと。
あたしはもう5ヶ月も経てば、いなくなる。
こうやって、仁王のそばにいれなくなる。
「…仁王く…ん。」
「うん。」
「…っあたしね…、」
「うん。」
「仁王くん…っ、」
その先は言えなかった。
言う前にあたしは、仁王に抱きついた。
細身だけどしっかりしたその胸に。
自分でも何してんだろうって思う。大事なこと、伝えてないのに。好きってこともまだ。来年から立海にいないってこともまだ。
あたしは何も伝えてない。
伝えられなくてもどかしいとか、ほんとは言いたくないとか、いろんなことでいっぱいになって、でもそういう思いもすべて仁王に届けたくて、
仁王の胸に飛び込んだ。
「あーあ、焼きそば。」
仁王は軽く笑いながらそう言った。
下を見ると、あたしの焼きそばが落ちてた。この焼きそばが憎らしかったわけじゃないよ、それだけ必死だったの。
そして仁王は、両手でぎゅっと、あたしを抱きしめた。
こうやって抱き合うのは初めて。
頭撫でられたり、寄せられたり、おでこにチューはあったけど。
仁王の体温がそのまま体に伝わってくる。
「茜、」
「…ん?」
「さっきの…あれは、ほんとに気にせんでいいんじゃけどな、」
仁王は少し体を離し、あたしの顔を覗き込んだ。
いっぱい泣いた顔なんて見られたくないけど、あまりに仁王の顔が真剣だから。
あたしも目を逸らせなかった。
「それとは別に、何かあったか?」
鋭いんだ、仁王は。あたしの恋心を見抜いただけじゃなく。
ついこないだの話。あたしが、仁王ファンに何かされるんじゃないかって、心配してた。
ただでさえテニス部マネージャーみたいなポジションだったあたし。他の部員とも仲が良くて、クラスでは仁王や丸井との距離も近い。
もともと仁王の心配の種でもあるんだろう。それについては今のところ問題はないけど。
でももし、些細だけど仁王が感じれるほどの、あたしに異変があるなら。
答えは一つだ。
「……何もないよ。」
そう言って仁王にまた抱きついた。
せっかく仁王がチャンスをくれたというのに。あたしはダメだ。
嘘をついてまで、逃げた。
「ならいいんじゃが。」
再びあたしをぎゅっとした仁王は、少し納得いってないような声。きっとそれだけ心配してるってことなんだろう。
うれしいけど、苦しい。
仁王と抱き合うこの時間がずっと、続けばいいのに。
「おい、そこの二人。」
しばし浸っていた夢時間もつかの間。
突然響いた声に、あたしも仁王も体を離した。
「げ。」
相手の顔を見るやいなや、仁王は小さく、でもはっきり漏らした。
あたしもその人へ目を向ける。
「お前…仁王か。」
「どうも。」
「来てたのか。」
「お前さんとこの部員に招待されたんでのう。」
「フン、ジローのやつだな。…それよりお前、ここで何をやってる。」
どうやら仁王の知り合いらしかった。おまけに今、ジローって言った?
あたしは思わず例のたこ焼き券をポケットから出した。
ジロー。あの、キラキラ芥川くんの知り合いなんだ。
部員?ってことは、この人もテニス部?
「何って、愛の語らいじゃけど。」
「よくもまぁ、公衆の面前でそんなことができるな。」
「二人の世界ってやつじゃ。周りは見えんからの。」
「何言ってやがる。ここは文化祭の会場だ。地域の住民やガキもいる。氷帝の品位を下げるような不純行為は慎め。」
なんか…、なんか氷帝ってすごい。学校の品位とかまで考えちゃうんだ。意識高いなおい。
しかも不純行為って。歴とした純愛なんですけど。
ていうかこの人見たことある。
そうだ、さっき見たプログラム。学長より先に自己紹介してた、生徒会長だ…!
「とにかく、これ以降は家に帰ってからやれ。」
「…はいはい。」
仁王はこの生徒会長が苦手なんだろうか、素直に従おうと、立ち上がった。
あたしもつられて慌てて立ち上がると、持っていた例のたこ焼き券を落としてしまった。
ふわりふわりとその紙は、あろうことか生徒会長のお足元へ着地。
「…ん?これは…、」
「あ、す、すいません!」
別に謝る必要はなかったけど。
何となく威圧感のあるこの人の前で、つい謝ってしまった。
「ジローのやつ、忍足に許可も取らず勝手に作りやがったな。」
「へ?」
「まぁいい。おい、樺地!」
生徒会長が呼ぶと、のっそりどこからか現れた…、
でかっ!何この人、制服着てるけど中学生?
「ウス。」
「たこ焼き2パック持ってこい。」
「ウス。」
生徒会長の言葉を受けて、かばじはたこ焼き屋のほうへ消えた。
かばじって、彼は何者なんだろう。この人の執事か何か?
「おい、女。」
「は、はい!」
「見る目がねぇとは言わねぇが、自分のことは自分自身で責任を持て。」
「…はい?」
「それから仁王。」
「……。」
「好きな女を泣かせるなんざ男として失格だ。テニスでばかりじゃなく、恋愛でも相手の内を“読む”努力をするんだな。」
生徒会長がそこまで言うと、仁王はハァーっとため息をついた。
そして小さく、わかっとる、と呟いた。
あたしが泣いてたせいだろうか。うちらの、わずかなワンシーンしか見てないはずの生徒会長は、きっとあたしと仁王両方に的確なアドバイスをした。
それだけでこの人が、すごい人なんだとわかった。
仁王が苦手そうなのもわかる。
…ていうか好きな女って、はっきり言わないでよ会長。まだ微妙なラインなんだから!
そう思っていると、すでにさっきのかばじが戻ってきてて、両手にたこ焼きを持ってた。
「土産に取っとけ。」
そう誇らしげにうちらに渡すと、かばじを引き連れ、去っていった。
まだ立ったままのあたしと仁王。正直、ちょっと唖然としたんだろう。会長いわく不純行為を見られ、諭され、
さっきまでのどんよりした気持ちや、泣いたり抱きついたり高ぶった気持ちがなんだか落ち着いて。
隣にいる仁王の、いつもの空気。
ホッと、安らぐ空気。
いつの間にかあたしの大好きな空気に包まれていた。
「みんなのとこ、合流するか?」
苦笑のような、ちょっぴり気恥ずかしそうに笑った仁王。
ひとまず気持ちが落ち着いたところで、二人で丸井たちのもとへ向かった。
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