72 悩み人

「えーっと、…ここの3階か。」



駅前の新しめなビルの前。あたしはパンフレットを握り締め立ち止まった。
弦一郎からもらった塾のパンフレット。その一つから選んで今日、下見に来たところだ。
ビルの入り口にはポスターがあり、「○○高校合格7名!」とか、有名高校と賢そうな人の名前がズラズラ並んでた。(もちろん相当賢いんだろうけど)

あたしは正直成績もよくないし、そんないい高校目指すつもりはない。無理。ていうかそもそも関西の高校って、…どこがあるの?関西の高校なんて1校も知らない。あ、自分で調べなきゃなのか。……今から?やばくない?

そんなことをうだうだ考えながらビルの前に立ち尽くしたまま。最近は日も短くなりすでに辺りは暗くなりつつあった。



「どうかしましたか?」



後ろから聞こえた声に、体が思い切り振り返る。



「や、柳生!」

「こんばんは。」

「…え、もしかして、ここに…、」

「ええ、通っています。」



ちょっとちょっと、柳生と一緒の塾!?弦一郎あたしの成績見くびってんじゃない?柳生レベルの塾なんか通えるわけないじゃん!

でも柳生は特進なんだっけ。じゃああんま関係ないのかな。…いやでも柳生と一緒なんて……、



「上野さんもこちらに通っているのですか?」

「い、いや!…ちょっと下見というか…、」

「そうですか。」



柳生は眼鏡をくいっと上げると、あたしを通り越しエレベーターのボタンを押した。



「ここの塾はお勧めです。自身のレベルにあった授業を受けられる。」

「ふーん。」

「上野さんでもぴったりなカリキュラムで勉強できますよ。」



おいそれ嫌味か。そりゃー医学部目指してる柳生がいるんだもん、この塾かなり良さそう。



「それより上野さん…、」



柳生はそこまで言って口をつぐんだ。表情からして、それより後はなんとなくわかった。
「何故塾に?」──だろう。

聞かれたら、なんて答えよう。成績が悪いから、勉強に目覚めたから、なんて通じるだろうか。

立海はほとんどがそのまま附属高校へ進学する。学年でも成績上位者の中にはさらに上の高校を目指す人もいる。逆に附属に進学できない人もたまにいる。でもそれはよっぽどだ。出席日数が足りないとか、中間期末考査を受けてないとか、そんな話。
成績がよくもなく、普通に学校生活送ってるあたしは、どう見ても内部組だ。

そんなあたしが塾。勉強に熱心なわけでもないし、今さら入塾という時期でもある。不自然に見えるだろう。
柳生はあたしの誤魔化しを、本当だと思ってくれるだろうか。



そう思いながら柳生の目を見て、確信する。柳生を騙すのは無理。人の心の中を見抜くかのような鋭い目をしてる。…眼鏡が反射してよくは見えないけど。
さすが仁王と似てるだけある。

まだ弦一郎しか知らない現状で、あたし自身も納得いってない心情で、誰にも言いたくない。

この柳生にも、鈴にも丸井にも、……仁王にも。



でも柳生は、その鋭い目を一瞬床に落とすと、あたしの思っていた言葉と違う言葉で繋げた。



「よかったら、塾へご案内しますよ。」



すでに下に到着したエレベーター。柳生は、上へのボタンを押したまま、中に入らない。レディファーストってやつですか。



「さぁ、どうぞ。」



ニコッと笑いながら右手をエレベーターの方へ。
早く乗りたまえ、なんてことを言われるわけでもなく、もたもたしてるあたしにイライラした素振りや不思議そうな顔すら見せず。ただ微笑んでた。

どうも、と小さくつぶやきあたしはエレベーターに乗った。



3階に着くまでの間、柳生とは特に会話はなかったけど。
その空気から、柳生はきっと、何を話さなくともすべて“読む”人なんだな、と思った。計算や論理で答えを導き出す柳とは、また違った感じ。

そういえば、夏の全国大会のときもそうだったっけ…、
そんなことを考えながら、塾の受付へと柳生にエスコートされた。





「いかがでした?」



塾からの帰り道。説明やら見学やらで、なんやかんや柳生と一緒になった。
女性が一人夜道を歩くのは危険でしょうからって、家まで送ってくれてる。



「…まぁ、塾って感じだわ。」

「それはそうでしょうね。」



あたしの言葉に柳生は、ククッと笑った。

何度も思うけど、やっぱり似てるのよね。
仁王が真似してるからなのか、それとも似てる柳生だから真似を始めたのか。だとしたら元祖は柳生?

二人の出会いのエピソードとか、あたしは知らないけど。ちょっと気になる。



「ねぇ、一個聞いていい?」



今までたいして仲も良くなかったけど、
なぜか会話も途切れることなく、あたしの家まで着いたところ。
聞いてみたくて、聞いていいのかわかんなくて。

でも聞いちゃう。
あたしの気持ち、きっと一番わかるのは、この柳生だから。



「彼女、どんな反応だった?」



初めて進路について話したとき。
そう加えた。

あたしはまだ誰にも自分の口から言ってない。弦一郎にはおばさんから伝わったわけだし、柳生だって今日たまたま会っただけで、気づいてるのかわかんない。
でもこの先言わなくちゃいけない。自分の口で。みんなに。

ただ言うのはきっと簡単だ。これこれこういうわけで〜って、特に複雑な説明でもなければ難しい話でもない。
だってもう、決まってることだから。事情を話す、というよりは、結論を話す、に近い。

それでもあたしは当分言えないだろう。



「それはお察しつくのではないですか?」



また笑った。今度は自嘲気味に。

また仁王に似てる。大変なことでも、つらいことでも、ただ笑う。そんな顔。
それが余計に、あたしは苦しかった。



「…ごめん、変なこと聞いて。」

「いえいえ。…ではまた。」

「うん。じゃあね。」



結局彼女の反応は聞けなかった。これ以上聞けなかった。

柳生が仁王と似てるから。
あんなふうに笑うときは、触れてほしくないときなんだ。

柳生の後ろ姿を少しだけ見送って、家に入った。

きっと柳生の言った通り、あたしでも想像つくほど、
柳生にも彼女にもつらい瞬間だったに違いない。

これから、どーしよう。





「ほら、地図。」



次の日の朝。あたしの机の上に、丸井がひょいっと紙切れを放った。



「なにこれ。」

「氷帝までの地図。」

「ひょうてい?」



…って何だっけ。
あれ、デジャヴだ。



「お前なぁ、こないだ説明したろ?」

「あー…、食べ放題の文化祭?」

「そーいうとこは覚えてんだな。もう来週だぞ。」



確か、丸井のファンの子がフリーパスくれるとかで、タダで飲み食いできるんだっけ。

地図の端のほうに、住所が書いてある。



「え、東京?」

「何食えんのかなー?キャビアとかフォアグラとか出てきたりして!」

「遠いなぁ…。迎えはないの?」

「フカヒレスープとか!でもそんなんじゃ腹膨れねぇし、ステーキがっつり食わねーと!」

「金持ち学校なんだよね?…なんだっけ、あの部長さ…、」

「やーっぱでも今の季節はマツタケだな!あーマツタケご飯食いてぇ!」

「全国大会でヘリ乗ってたじゃん、あれで迎えに……、」

「食後のデザートはケーキ十人前食うぞー!」



十人前ってあんた、糖代謝の限界超えるぞ。

ああダメだ。今の丸井に話は通じない。すごい妄想してる食べ物だけですごい妄想してるよこの人。妄想だけですごい幸せそうな顔してるし。すごいわ。



「何騒いどるんじゃ。」



妄想丸ちゃんの騒ぎが気になったのか、仁王が後ろからやってきた。



「丸井の妄想がひどい。」

「ん?…ああ、氷帝の文化祭か。」



仁王はあたしが持っていた紙切れを覗き込むと、すぐに理解したようだった。



「氷帝ってけっこう遠くない?」

「んー、1〜2時間はかかるじゃろな。」

「やっぱりー…。」

「ははっ、頑張ってきんしゃい。」



面倒臭そうなあたしを笑った仁王。

…あれ、今なんて……、



「え!仁王行かねーの?」



妄想からようやく帰ってきた丸井の言葉は、あたしも聞きたかった言葉だ。

頑張ってきんしゃい、なんて、まるで他人事。
というか、いってらっしゃいと同義語だ。



「ああ、間に合えば合流するが。」

「間に合えばってなんだよ、予定あんの?」

「そんなとこじゃ。」



含みのある答えを聞いたところで、先生が教室に入ってきた。仁王もそれ以上何も言わず、席に戻った。

予定って何だろう。気になる。

ていうか、仁王が行かないならあたしも……、



「行くのやめよーかなって思ってんだろぃ。」

「ギクリ。」

「お前はダメだ。強制参加だ。」



フフンと笑った丸井は、さっきまでの妄想はどこへやら、なんだか探偵みたいだ。
いつの間にか丸井も鋭くなっちゃってさぁ。



「赤也がどーーしてもお前連れていきたいってよ。」



赤也が?
そう言えばあれ以来話してなかったな。

元気、かな。



「行くだろ?」



ニヤッと笑った丸井に、
あたしはため息をつきつつ頷いた。

赤也には甘いらしい、あたしは。

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