「な、なんか今日の切原機嫌悪くない?」
「そっとしといた方がいいよ。」
聞こえてんだよバーカ。
寝てるわけでもねーのに机に伏せてる。たぶん真田副部長みたいに眉間にシワも寄ってる。
俺はやっぱバカだ。後悔しても遅いんだけど。
茜先輩の悲しそうな顔が頭から離れねぇ。
その横で、怒るわけでも慌てるわけでもない、平然とした仁王先輩も。
たぶん、少なくとも茜先輩の前じゃあ言っちゃいけないこと言ったんだよな。
でも俺だってショックだったんだ。仁王先輩だってもっと言い方考えてくれりゃいいのに。
「赤也ー、集合!」
ウダウダ考えてた昼休み。丸井先輩がやってきた。後輩のクラスだってのに、遠慮なんて一切なく教室内にその声は響いた。
先輩の呼び出しだから、めんどくせぇけどすぐ向かった。
丸井先輩だけかと思ったら、後ろにジャッカル先輩もいた。
「…なんスか。」
「ちょっと顔貸せ。コートでいいか?」
「ああ。晴れてるし。」
…何なんだ?
と、一瞬思ったけど、
ああ、たぶん朝のことだろうなと、予想はついた。
丸井先輩は茜先輩と仁王先輩の応援団長だもんな。怒ってるのかな。ジャッカル先輩はその仲裁役ってとこか。
後ろめたい気持ちもあって、怒られる準備を心の中でしながら俺は無言で先輩たちの後をついてった。
ジャッカル先輩の言ってた通り、今日は秋晴れだ。
「よし、と。赤也もここ座れ。」
コートにあるベンチ。俺と丸井先輩はそこに座り、ジャッカル先輩は正面の地面に座った。
なんスかこの陣形。ガチで裁判みたいじゃないっスか。
もしかして丸井先輩マジでキレてる?
「赤也、」
「…はい。」
「見てみろよ。…空が、青いぜ。」
丸井先輩はそう言いながら、空を見上げてぷくーっと緑色のガムを膨らませた。
…って何言ってんのこの人。何かっこつけてんの。空は青いっしょそりゃ。
俺が何も答えなかったら、ジャッカル先輩も乗っかってきた。
「ああ。こんな日にピクニックしたら最高だよな。」
「だな。焼き肉弁当持って。お菓子にケーキとクッキーとアイスと…、」
「アイスは溶けるんじゃねぇか?」
「そっか。じゃあプリンでいいか。バケツプリンな。」
「俺はコーヒーゼリーがいいな。」
「あれ苦くね?」
「生クリームかけりゃいいだろ。」
「そっか。…あ。あの雲、生クリームに見えてきた。食いたい。」
二人は空を見ながらずいぶんほのぼのした会話を続けた。
ほんとは気持ち的にそれどころじゃなかったけど。俺も気になって空を見上げた。
…生クリームっつーよりわたあめじゃねぇ?
わたあめ。わたあめと言えば、俺の携帯に入ってる。
わたあめ持った浴衣姿の茜先輩。
仁王先輩とのツーショット撮ろうと思ったら、仁王先輩が急にしゃがんだから見切れたやつ。やっぱ仁王先輩は隠し撮りとかさせてくれねぇんだなって思った。
また胸が痛くなった。
「赤也、元気出せよ。」
朝のことを思い出して俯いた俺に、丸井先輩はそう言った。
「仁王の言いたかったことは、お前の否定じゃねぇよ。」
ちょっと泣きそうになった。
朝、俺がまっすぐに思ってたことを全否定された気がしたから。
「たぶんあいつも、気持ち的にはお前と一緒だから。」
「…でも、そんな気はないって、」
「それはアレだよ、あいつかっこつけだから。俺もみんなとずっと一緒にいたいナリ〜ピロシさん行かないで〜とかあいつが言ってみ?キモいだろぃ。」
想像したらたしかにキモかった。ていうか丸井先輩の下手くそなモノマネのせいもあるだろうが。
たしかに、仁王先輩はそんなこと言わない。絶対。
ジャッカル先輩も同じこと思ったのか、吹き出して笑った。
「今はとりあえずヒロシの応援しよーぜ。」
「じゃあ、」
「ん?」
「…柳生先輩。彼女サン、どうするつもりなんスかね。」
俺が一番引っ掛かったのはそれだった。
そりゃ俺自身、柳生先輩がいなくなるのは寂しいし、仲良かったくせにちっとも悲しんでなさそうな仁王先輩に腹が立ったってのもあるけど。
だって、仁王先輩は一度経験してるっしょ?相手がどっか行っちゃうの。相当引きずってたっしょ?だから茜先輩ともなかなかうまくいかなかったんでしょ?
今はうまくいってんのかもしれないけど、
もしかしたら俺の言ったことが、また二人をこじらせちまったかも。
でも仁王先輩は、自分がされたことで、どれだけ寂しかったかわかってるはずなのに、
それは教えてあげないんスか?って。そう思ったから。
「それはアレだ…、知らね。」
「知らないんスか。」
「アレだ、ジャッカルが知ってるぜ。」
「おい!俺も知らねぇよ。」
「ま、ヒロシのことだからうまくやるんじゃね?」
「紳士だしな。」
ちっともわかってなさそうな恋愛経験値0の二人(俺もだけど)を見て、
不安だけど、本当に何とかなりそうな気がした。
「俺もお前とおんなじだから。」
「へ?」
「高等部で待ってるぜ。」
そう、前向きな台詞を言ったくせに。
丸井先輩は俯いた。
泣きそうになってるように見えた。
丸井先輩も俺と同じ……、
その意味がわかって、俺も同じように俯いた。
悲しいとかじゃなくて、今度はうれしくて。
「お前ら、俺も忘れんなよ。」
ほぼ同時に、俺と丸井先輩は顔を上げた。
正面にいるジャッカル先輩に、太陽が反射して光ってる。
普段散々、ジャッカル先輩のこと、ハゲとか見た目怖いのに何そのハチ公みたいな性格とかってバカにしてきたけど。
ジャッカル先輩がハゲでよかった。
優しいし笑ってるし光ってるし、
なんか太陽みてぇだもん。
「なに、ジャッカルもいんの?来年。」
「おまっ、さっき泣きながら“お前は残んねーとぶっ飛ばすぞ”っつったの誰だよ!」
「泣いてねーよハゲ。タコ。頭光ってんぞ。」
「…はいはい。俺が悪かった悪かった。」
鬱陶しいときもあるけど。
俺やっぱ、立海でよかった。この人たちと一緒でよかった。
茜先輩に謝らないとな。
仁王先輩は……、まぁいいか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それでは、また再会できた喜びを祝しまして、乾杯。」
弦一郎がそう言うと、みんなコップを交わし合った。
…え、てかなんでこいつが乾杯の音頭とってんの?
今いるのは弦一郎ん家。今日はうちのお母さんが帰ってきたからって、夜ご飯にお隣さん同士食事会を開いたってわけ。
もちろん、あたしと弦一郎はウーロン茶だけど。大人たちは早くも酔っ払い始めた。
いーなぁ、大人って。嫌なことあっても、こうやってすぐ忘れられるんだもん。
「茜、ちょっといいか。」
しばらくして、弦一郎があたしを廊下に呼び出した。会の途中で席を立つなんて、弦一郎らしくない。
「上へ行くぞ。」
そのまま弦一郎の後に続き、あたしも階段を上った。二階、弦一郎の部屋だ。
ずいぶん久しぶりな弦一郎の部屋。あたしの部屋とは違って物が少なくて、本とかもきっちり片付けてある。相変わらずだな。
「これをお前に渡そうと思ってな。」
弦一郎は、机の上から、紙の束をいくつか持ってきた。
それをあたしに差し出す。
「…これって、」
「うむ。塾のパンフレットだ。」
あたしは無言で受け取り、一通り眺めた。
友達から聞いたような名前や、初めてみる名前もあった。全部で4つ。
「他にもあったのだが…、いろいろ調べた結果、その4つに絞った。」
「……。」
「俺が教えても構わんのだが、やはり受験となると正式な塾へ通ったほうが心強いと思ってな。」
「………弦一郎、」
「む?」
「なんでよ、」
なんで何も言わずにこれだけ渡すのよ。
あたしに言うこと、他にもあるでしょう。
全部知ってるんでしょう。おばさんから聞いたでしょう、あたしのこと。
「なんで何も言わないのよ…、」
「茜…、」
「こんなの……、なんで集めてくるの!」
弦一郎から渡されたパンフレットたちを、あたしは床に叩きつけた。
その勢いで、あたし自身も床に崩れる。
ほんとは弦一郎のお節介並な親切だってわかってる。あたしは、わざわざありがとうねって言わなきゃいけないってわかってる。
でも……、
「あたし、いなくなるんだよ。」
強い口調と真逆で、今のあたしは弱い。また弦一郎の前で泣いてしまった。
こないだ、合唱コンから帰った日。お母さんから告げられたことは、再婚するってことと、
来年から、関西で一緒に暮らそうってことだった。
つまり、立海ではなく、関西の高校へ受験。柳生と同じ、外部受験。
もちろん拒否はした。あたしは今でも十分一人で暮らせてるし。弦一郎ん家の助けもある。大丈夫だって。
でもお母さんの答えはNOだった。
今の家も、売るらしい。
ここで無理矢理神奈川に残ったって、家もなければお金もない。
中学3年生。今一人でも暮らせてるというのはあくまで、親の家の中で、親のお金で。
まだまだ子どもなあたしは、親についていくしかないんだ。
「平気な顔してこんなパンフレットなんか渡して…、」
「……。」
「なんで何も言ってくれないの。」
ああ、あたし、今日の赤也と一緒だ。
いなくなるのに、悲しんでくれないことが悲しくて。
引き止めてほしかった。立海に残れって、言ってほしかった。
弦一郎なら、言ってくれると思ってた。
世話好きの、パパだから。
「俺は……、」
「……、」
「どうすることもできん。」
最後の言葉を背に、あたしは部屋を飛び出した。部屋どころか、弦一郎ん家も。
行くあてもなく、ひたすら夜の道を走った。
晴れていた今日は、お月様もきれいなはずだけど。
暗闇に滲んで、ちっとも見えない。光なんて届きやしない。
弦一郎に何も言われなかったことも。
どうすることもできないと、放されたことも。今のあたしには、きつくて。
やっぱりあたしは弦一郎に頼り過ぎてたんだ。信じて頼って、それがあたしの中であまりにも大きかったから。
ほらね。突き放されたら、こんなにもつらいんだ。望むことすべて、崩れ去った感じ。
“どうせいつかみんなバラバラになるんじゃし”
仁王が赤也に言ってたことは、あたしの胸にも刺さった。
“引き止めようとは一切思わんかったし”
赤也も言ってたね。
あたしがいなくなっても、仁王は何も思わないのかな。
“どうすることもできん”
さっきの弦一郎と同じ。
仁王にも、そう言われるんじゃないかって。きっとそうだってわかってるけど。
現実になってしまうことが何より、怖かった。
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