63 君の視線あたし行き

合唱コンクールは順調に進んでいった。まずは1年から。テニス部でちょこちょこと会話したことある子たちもいたりいなかったり。

始まってからしばらくは仁王はあたしの手を握っててくれた。あったかくて大きくて、ドキドキするけど心地よくて。休憩時間がきちゃって離れたときは、寂しくて。

みんなの歌は一応、聴いてはいたけど。ぼんやりしながら今までのことを思い返していた。思えば、つい数ヵ月前まで仁王と会話したことなかったのになぁ、と。逆隣の丸井もだけど。

うまく話せるまでもどかしかった。話せるようになってもまた話せなくなったこともあった。仁王が指揮者に、あたしが伴奏に。うれしい楽しいだけじゃなくて、険悪なムードのときもあった。

部活では、いつも仁王を目で追っていた。試合では声が枯れるまで応援した。負けて、泣いて、また新たなテニス部のスタートを切った。

仁王と例の先輩の関係にやきもきしたり、優しいのか冷たいのかわかんなくなるときもあったり。

ほんとに濃ーい、数ヵ月だった。

あたしの、この恋に最終的なゴールがあるかはわかんないけど。どちらかというと、終わらせたくない気持ちが強かった。ハッピーエンドであっても、バッドエンドであっても。

なんで今こんなこと考えてんのか、自分でもおかしかったけど。
理由は、朝──。



「茜。おばさんが帰宅したというのは本当か?」



途中の休み時間。廊下のちょっぴり豪華なベンチで鈴や丸井としゃべっていると、弦一郎がやってきてそう尋ねられた。ドキッと心臓が跳ね上がる。



「お、情報早いね。柳?」

「そんなはずはないだろう。俺が独自に情報を入手した。」



この情報社会に完全乗り遅れ気味のくせに、いち早くキャッチしたから得意気みたいですね。どうせ弦一郎のおばさんがうちのお母さんから直接、帰ってくるとかの連絡をもらったんだろう。



「へー、茜ん家ようやく帰ってきたんだ?」

「まぁ、すぐあっち戻ると思うけど。」

「いや、わかんないぜ。久々に娘に会えたんだから、離れたくないかも…、」

「んなわけないって。」



いやにはっきり否定したあたしに、丸井も鈴も不思議そうな顔をした。

そりゃそうだよね。たった一人の家族、母親が何ヵ月かぶりに帰ってきたんだから。普通は「茜!」「お母さん…!」って感動のご対面果たしてると思うよね。

自分でも異常だとは思う。でも別にお母さんが嫌いなわけじゃないんだ。ただ何となく。



「…近い内、またうちで食事会でも開くだろう。」

「あーそうだね。」

「おばさんによろしく伝えておいてくれ。」



はいよ、とあたしが返すと弦一郎は去っていった。もしかしたら弦一郎は、おばさんから何か聞いてるのかもしれない。

どうしよう、不安が。嫌な予感が的中しそうだよ。



「…真田君って、ほんとに茜が好きなんだね。」



あたしの頭の中とまったくかけ離れてて、ずいぶんと真剣な顔をして鈴が言うもんだから、一瞬ぽかんとしてしまった。



「…は?」

「や、だって、茜のことはぜーんぶわかってますって顔してた。」



まぁ確かにさっきのあたしの考えてることはわかっちゃってたかもしれないけど。てゆうかいつもどや顔だし。間違っててもしたり顔だし。



「それはやっぱ、ほら、娘だしさ。」

「いーや。それ以上に絶対、あるよ。」



何がよ。やめてよ。気持ちわ…じゃなくて。

弦一郎とあたしは全然そんな関係じゃないんだから。あたしは弦一郎のこと幼なじみ兼パパとしか思ってないし。弦一郎もあたしのこと幼なじみ兼たるんだ娘としか思ってないし。

何よりも、嫌だ。



「そんなわけねーだろぃ。」



あたしが答えに詰まってると、丸井が口を挟んだ。



「真田が恋なんてギャグにもなんねぇし。」

「…でも、」

「だいたい、こいつを女どころかヒトとして見てるかも疑問だぜ?せいぜいペットだろ。」



な?と丸井はあたしの肩を叩きながら笑って言った。

感謝した。自分の大事なものが崩れるかもしれなかったから(ペットの件は異議あり)。

弦一郎は幼なじみ。それ以外ないもん。
嫌な理由はただ一つ。弦一郎が嫌いなわけでも男として魅力的じゃないわけでもない。

幼なじみを終わらせたくないから。
そして鈴も友達、それ以外ない。
あたしは、変わるのが嫌なんだ。



「ブン太の言う通りだな。」



横から気配もなく、落ち着いた声だけが耳に届いた。この白々しいまでの落ち着き払った声は、柳。
忍び足で近寄ってあなた、ちょっと不審者。



「人の恋路をあれこれ詮索するのは趣味ではないが、」

「「「うそつけ。」」」

「俺のデータは正しい。」



なんで柳がここへ来たのかと言うと、もうすぐ休み時間も終わるのに3年B組の三名が席に着いてないんじゃと、とあるB組生徒から捜索願いが出たらしい。

時間も時間なだけあり、鈴も柳の話にはすんなり理解を示し(どんだけ信頼寄せてんだ)、あたしたち三人は席に戻っていった。

帰り際、丸井が柳に、助かったぜと耳打ちしたのが僅かながら聞こえた。





「次始まったらうちら、袖にスタンバイだね。」



鈴から小声で伝わってきた。

まったく、さっきはずいぶん神妙な顔してたくせに、柳に否定された途端いつものように戻って。

気持ちはわからなくもないけど。あたしももし、仁王に幼なじみがいて、雅治〜とか呼ばれてたら胸中穏やかじゃないだろう。でも弦一郎とあたしだからね。相手考えなさいよと。

でもね、鈴の今持ってる嫉妬心。よーくわかるよ。



「そろそろだな。」

「うん。行かなきゃ…って、あれ?」



丸井の声かけに、席を立つとき隣の仁王を見るとそれはもうぐっすり。寝てた。



「仁王くん仁王くん、起きてっ。」

「…ん?」



ん?じゃないよ、ん?じゃ!寝起き色気あるとかやめてよ!…ではなくて、

確かに暗闇、心地よいミュージック。さっきお昼ご飯も食べたしで眠気がくるのはわかるけど…!

もうすぐ出番だというのにこの緊張感のなさ。さすが大物。



「んー……と。あ、出番かの。」



大きく伸びをすると、まだ寝呆けてんだか、イマイチ今の状況を把握してない様子。

丸井たち含め、周りの生徒はもうみんな袖に移動してしまった。あたしたちも急がないとやばい。



「そーだよ。早く行こう。うちら以外みんなスタンバイ行っちゃったよ。」

「おー、すまん。」

「まったく…。よくこんな直前まで寝れるよねぇ。」

「ははっ、お前が隣でよかったの。このまま寝過ごすとこじゃった。」

「恐ろしいこと言わないでよっ。」



ほんとに図太いというかなんていうか。
でもそんな相変わらずの仁王を見て、心の底からホッとする気持ちが湧いてきた。

さっきの鈴の話もそうだけど、お母さんのこと。今日帰ったら話があるって言ってた。それはあたしにとって、きっと聞きたくない話だろうと、そんな予感があった。

あたしは何があっても──。



「おーい。大丈夫か?」



一瞬ボーっとしてしまったあたしの顔を、仁王が覗き込んだ。ちょっと近いよ!と心の中で叫びつつ。
たぶんあたしが緊張してるんだと思って、心配してくれたんだろう。



「大丈夫!早く行こう!」

「おう。」



まさか緊張感丸ごとぶっ飛んでいたとは言えまい。変に突っ込んでくれない仁王に感謝した。

まもなく、待ちに待ったあたしと仁王の舞台が幕を開ける。…みんないるけどね。



“いっぱい練習してきたんじゃし”



そうだよ。いっぱいしたもんね。一人ではもちろん。二人でも。みんなとも。



“ピアノと、俺だけ見てりゃいい”



言われなくても仁王のことは、いつも目で追っちゃうんだよ。だからあとはピアノだけ。

弦一郎のクラスが終わり、うちらのB組が舞台に上がる。
弦一郎の意外ときれいなふとましい歌声に、鈴はまだ興奮冷めやらぬよう。

そしてみんなに遅れてあたしと仁王が袖から定位置に歩いていく。
ちょっとずつまた緊張が戻ってきて。

先にピアノにたどり着いたあたしは、自分の足の震えを落ち着かせるように、仁王の後ろ姿をじっと見つめた。
もう秋だから、衣替えも終わったうちの学校はみんなブレザー着用。夏の頃には見えていた腕も、今は手しか見えない。テニスやってるのに色白な仁王がうらやましく思ったっけ。

仁王が指揮者の位置に着いたところであたしは椅子に座った。さぁ始まるといったとき、仁王と目を合わせると、何か、口を動かした。口パク?何だろう?

若干離れていることもあり、あたしにはさっぱりで。ちょっとしかめるような顔をすると、仁王はフッと笑った。
いつものあの微笑み。一気に緊張は和らぐ。

何なんだ?と思いつつも、始まった。3年B組の合唱。
3年最後のみんなの歌だ。

演奏中はずっと、仁王とピアノを見てた。きっと仁王もあたしを見てくれてた。

いつだって仁王を目で追うあたしと違って、仁王は普段あたしをじっと見つめることはない。

でも今だけはあたしを見てる。
あたしと通じ合ってる。

舞台を下りれば、またあたしだけが仁王を追う日が続くかもしれないけど。

ずっと続けばいいのにと、願うばかりだった。

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