仁王の向こう側から聞こえた女の子の声。くるりと振り返る仁王。
「おお、」
「久しぶり!仁王くん何やってんのー?」
どうやら知り合いらしい。ひょっこり、仁王の後ろからあたしも顔を出した。
見たことあるような、ないような。でも可愛い子。背が低くて、目ぱっちりの、童顔。
「何って、お祭りに来たんじゃけど。」
「お祭り?仁王くんがぁ?」
まぁその反応は普通だ。仁王にお祭りなんて似合わない。
あからさまにおかしがって、きゃっきゃっと笑った彼女は、ふと、あたしの方を見た。もちろんバッチリ、目合ったよ。
彼女はおっきな目をぱちくりさせて、あたしと仁王を交互に見た。そして、ニヤーと笑いだした。
「ちょっと仁王くん…、もしかして〜、」
「もしかしてなんじゃ。」
「いつの間によ〜!」
もしかして…?それってやっぱりそーゆう意味よね?
ちょっとちょっと、それは誤解…!恥ずかしいしだいたい、仁王に迷惑なんじゃ…。
あたしは真っ先に否定しようとした。仁王に変に意識されるのだけは嫌だから。嫌われるのだけは絶対に嫌だ。
そう思った直後、そんな必要はなくなった。
「違う。」
ビシッと、それはキッパリと仁王は否定した。
あまりにもはっきりした答えで。もちろん、正しい回答なんだけど、仁王らしくなくて。
だっていつもの仁王なら、さぁな〜とか躱すのに。それぐらいの柔軟なノリは持ってるのに。
それだけ、あたしとの仲を誤解されるのは嫌なのかなって思って…、
少し視界がぼやけた。
「そーなの?」
「…。」
「あー…、そろそろいいのかな〜って思っただけだから。…そんなムキになんないでよー。」
彼女はちょっと苦笑してて、仁王はというと、
珍しくも眉間にシワを寄せて…、不機嫌そうだった。
そんなに嫌?
あたしと、そんなふうな関係に見られるの。
仁王のそばにいるときは、ドキドキが止まらない。いつだって体は正直なんだ。
でも今は、そのドキドキは、痛みに変わった。
あたしの心に、突き刺さる。ズキンズキンと。
仁王がなんでそんなに不機嫌かもわかんなければ、この女の子と仁王の関係もわかんない。
わかるのはただ、あたしの何かが張り裂けそうってことぐらい。
そう思ったら、体は自然と二人に背を向けて、足は走りだしてた。
頭の中では、さっきの女の子が言った言葉がぐるぐる回ってて。
“そろそろいいのかな〜って思っただけだから”
意味ありげなその言葉は、あたしの頭で反芻されてた。だからこれからどこに行こうなんて、考えてなかった。でも、目は、赤を探してた。
そして混んでるお祭り会場でもあの赤は、すぐに見つかった。見つけやすいように、その色なのかと思うぐらい。
「あ!茜先輩!」
赤也の言葉に、イカ丸ごと頬張る丸井と、たぶん丸井の他の食べ物を持たされてるジャッカルが振り返る。
「あれ?茜一人か?仁王は?」
丸井のキョトンとした顔見たら、そんな言葉を聞いたら、ほんとに泣きそうになった。
丸井はもちろん、赤也もジャッカルも、きっとあたしを応援してくれてた。でも、ちょっとだけ、つらくなって、逃げてきちゃったんだ。
「なんか…、」
「なんか?どーした?」
丸井の顔が、急に心配な顔に変わる。信号のように、わかりやすい。すごく心配してくれてるのがわかって、さぁ何でも話せって、そう言ってるような気がした。
だからあたしは、話した。さっきのことを。
丸井も赤也もジャッカルも、もちろんあたしが仁王を好きだってゆうのは知ってただろうけど。あたしの口から話すのは初めてで。ちょっと躊躇ってしまったけど。
三人とも、素直に、優しく、話を聞いてくれた。
「なるほどね。あれっしょ、仁王先輩、照れてたんじゃないっスか?」
「いや、そんな感じじゃなくて、なんか…、ほんと不機嫌そうな、苛立ってそうな…、」
赤也もジャッカルも、うーんって唸ってる。やっぱり仁王がそんなことで不機嫌になるなんて有り得ないらしい。女との噂は慣れたもんらしいし。…っておい。
「その女ってよー…、」
黙ってた丸井が口を開いた。
「ちっちゃくて童顔…、それ、野球部のマネージャーじゃねぇ?3年の。」
野球部の…マネージャー?
「はいはい!あの可愛い人っスね!」
「だったらどうなんだ?関係あるのか?」
ジャッカルのその疑問は当然。そのマネージャーが、仁王となんの関係が?
「や、けっこー前だけど、俺と仁王で帰ってて…、つーか赤也もいたろ。」
「俺?」
「いたいた。そんで、下駄箱かなんかでそいつが仁王に紙渡して、」
「ああ!思い出した!」
赤也は急に叫びだした。なんか思い出したんだ。
「仁王先輩がその紙、見もせずグシャグシャにしたやつっスね!」
渡した紙を見ずにグシャグシャ…?
一瞬、寒気がした。仁王が、女の子から渡されたものをグシャグシャにするなんて。そんな人じゃないはずなのに。
「なんでか知らねーけど、あんとき仁王、相当キレてたんだよな。」
「確かに。俺仁王先輩がキレてんの初めて見たもん。でもあれ、別にラブレターとかじゃなかったっぽいっスよね。」
「ああ。なんか、紙。」
なんか紙って、なんだよ。そこが重要なのに。
「とりあえず、仁王はその女が嫌いなんだって、俺は思ったぜ。」
嫌い…?あれは、仁王があの子を嫌いだから、なの…?
あたしは仁王の何を知ってるとか、そーゆうんじゃないけど。でも、
あれは違う気がした。なんか、違う。
“そろそろいいのかな〜って思っただけだから”
あの言葉が引っ掛かってしまって。仁王がもしあの子を嫌いだとしたら、敵対してるとしたら、何となく成り立たない気がして。
まるで仁王を気遣うかのような言葉だった。
「大丈夫だ!安心しろい!」
「…なにがよ。安心なんて、できるわけ…、」
「だってよ、あいつ、お前のことすげー好きだぜ。」
「…は?」
「あ!俺もそう思うっス!今まで言わなかったけど。」
さっきの仁王を見て、そんな言葉は簡単に信じれなかった。
けど、そのあとに続けられる言葉たちに、あたしは息を呑む。少し期待してしまうには十分だった。
「だいたいお前さ、仁王のどーゆうとこがいいと思ってるわけ?」
「どーゆうとこがって、そりゃ優しくて…、」
「「そこだ!」」
丸井と赤也は同時に叫んだ。あたしだけじゃなく、ジャッカルもビビった。余談だけどジャッカルの持ってるかき氷(たぶん丸井の)、溶けてぽたぽた手にかかってるよ。かわいそうに。
「仁王が優しいなんてあり得ねー!」
「そうっスよ!あんな悪魔!」
いや、それは君。
「てか、女の子に優しいんじゃないの?あたしだけじゃなくてさ。」
「違う違う。別に歴代マネージャーに優しくもなかったよなぁ?」
「そーっスね。ファンの子に対しても愛想ねーし。」
もったいねーって赤也がぶつぶつ言うと、主旨違うだろってジャッカルにつっこまれてた。
「だから、お前に対してあんな優しいのはマジ異常。」
あたしから見た仁王は、それはそれは優しくて。最初は、弦一郎の頼みだから優しくしてくれるのかと思ってた。
でも今は、仁王は別に誰かの頼みでそんなことやるタイプではないと思うし。面倒臭がりだし。
逆に、優しいのはただ、仁王の性格なんだと思った。仁王の、もともと持ってる優しさ。それが今近くにいるあたしに向いてるんだと思った。
でも、違うの?さっきのあの子に対するような仁王が、本来の仁王…?
なんだか混乱してきた。
「結論から言えば、お前ら両想いの可能性、かなり高いぜ。」
そんなはずないそんなはずない。そんなはずない、とは思うけど。
丸井や横で頷く赤也、肯定もしないけど否定もしないジャッカルを見て、
変な自信が湧いてきた。
変な自信?
いや、あたしがそんなふうに舞い上がるのもわけないよ。
そう思ってしまうほど、強く、
あたしの腕が掴まれた。
「…探した、」
ビックリして振り返ると、息を切らせた仁王だった。
前にもこんな仁王、見たことあったな。
「急に消えてどこ行ったんかと…、お、」
そこでようやく、丸井たちの存在に気付いたようだった。あたしより丸井のが目立つのにね。
あたしを探してたってことで、いいんだよね?
「柳生は見つかったんか?」
「ああ、それがよー、仁王、」
丸井はあたしの頭に手を乗せた。グッと、軽く押し込まれる。
そういえば今日の目的は柳生追跡調査だったっけ。すっかり忘れてた。
「こいつ、天才的な迷子で。すーぐどっか消えちまうんだよ。」
こいつ?
って、あたしのこと?
「ああ、知っとる。」
「だから仁王、しっかり捕まえておけよ。」
気付けばまだ、仁王はあたしの腕を掴んでた。丸井の言葉に少しばかり仁王の手に力が入った。
「ああ。了解。」
「そんじゃ、二手に別れてヒロシ探そうぜ。」
「そっスね!早いとこ探しましょ。」
じゃ、シクヨロって、
丸井はあたしを仁王に渡した。
耳元で、がんばれって、囁きながら。
そして三人は去っていった。
まだあたしの腕を掴んだままの仁王を、あたしは見上げる。
「まーったく、お前は。いくつじゃ。」
ククッと笑いながら、あたしの頭を軽く叩いた。さっきまで掴まれてた腕は、まだまだ熱を帯びてて。
あたしの痛かった胸は、不思議なほど落ち着いてた。
嵐の前の…ってやつだね。あとで思えば。
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