枕元で鳴った携帯に、反射として飛び起きて寝ぼけながらも応対すると、こんな言葉が聞こえた。
夜中の2時。寝てないはずない。が、そんなことも気にせずはた迷惑なこの男はべらべらと話し始める。
『てかさぁ、あのフケ顔がよー、また…、』
うちのパパの愚痴から始まり、
『でさでさ、そこでジャッカルが…、』
ジャッカルの不幸話。
『そんであのアホが…、』
赤也の残念な話。
『やーっぱ幸村君は怖いよな。あ、これは柳が言ってたんだぜ。』
そんなどーでもいい話をたぶん30分くらい聞かされた。どーでもいいけど、あたしはずっと笑ったままだった。
『うお!もう3時前じゃねーか!寝ねーと!』
「こらこら待て!」
『は?』
「は?じゃない!あんた何のために電話してきたの?」
こんなどーでもいい話であたしの睡眠時間削られたのだとしたらキレるよ?
『あー…、なんだっけ?』
「おい!」
『うそうそ。お前、明日夜暇だろ?明日っつーか、今日か。』
何故決め付ける。まぁ、暇だけど。
「何かあんの?」
『あるある!それがよ、話すと長くなるんだけど!』
あーまた始まった。30分延長?あたしの瞼は徐々に重くなりつつあった。明日もきっと弦一郎は迎えにくるだろうから。2、3時間しか寝れないじゃないか。うーん、切ってしまおうか。
「あのさ、丸…、」
『なんと!ヒロシに彼女ができたんだよ!』
「えーーー!!?」
8分の7閉じかけてたあたしの目は、8分の9開いた。かっ開いた。
だって信じらんない…!確かに柳生は紳士だし、よく見たらきれいな顔してるからモテるのかもしれないけど…、
でも彼女ができるなんて意外。
『で、その彼女と明日お祭り行くんだって!』
「そーなんだぁ…、ん?てことは?」
『もーちーろーん、俺らも行く。お前も行くだろい?』
電話の向こうでニヤニヤ笑ってるんだろうな、この男は。こんな話大好きそうだし。ちなみに、あたしもこんな話大好き。だから、即答。
「行く!」
『決まりだ!あと、赤也とジャッカルと……、仁王も来るから。』
「…!」
『そーいやあいつ、浴衣好きとか言ってたっけなぁ?』
「…ふ、ふーん。」
プッと、吹き出すような笑い声が聞こえた。そういえば赤也に言ったのは丸井なんだっけ。くそー。
『ま、俺らも浴衣期待してるんで。』
「そ、そーですか。」
『ちゃんと着てこいよ。』
「……気が向いたらね。」
『ははっ。じゃあまた明日な。』
「ば、ばいばい!」
ようやく、騒がしい男からの電話は終わった。名残惜しむ暇もなくいきなり切ったもんだから急に静けさが増した。
浴衣かぁ。去年買ったっけ。押し入れの奥にあるかな。どうしよう。丸井の言ってたことは明らかに、あたしへのアドバイス。俺らもって、フォローも忘れずに。
赤也、弦一郎、丸井。みんなしてお節介すぎるけど。
お節介、すぎるけど……!
結局、押し入れを漁ってたおかげで寝たのは3時半。遅刻決定。
「弦一郎、」
部活も終わり、帰り道。あたしと弦一郎はいつものように帰る。
あの日以来、弦一郎から仁王の話は一切ない。まぁ前から仁王の話はほとんど聞いたことなかったけど。単純に、あんま仲良くないのかなぁって思ってたけど。普段見る限りだとそんなことなさそうなんだよね。部長か仁王を筆頭に弦一郎にいたずらしてるし。
「今日、おばさんいる?」
「…いると思うが?」
弦一郎ははてなな顔をした。
やっぱり言わなきゃダメか。
「…ゆ、」
「湯?」
「……浴衣?」
「浴衣?」
「を、…着せて、頂きたい?」
「何故疑問系なのだ。」
いや、なんとなく恥ずかしいし。それに、丸井に、弦一郎には今日のこと言うなって言われたから。
確かに今日の目的を言えば、断固として反対されるだろう。たるんどるって。
「祭りにでも行くのか?」
「う、うん。まぁ。」
「そうか。母に申し出れば着せてくれるはずだが…、」
「?」
「俺でも着付はできるぞ。」
あたしは口をぽかーんと開けてしまう。自信満々に言ってくれたのはありがたいけど…。こいつ、天然すぎる。
「ありがと。でも一応、おばさんにやってもらうわ。あたしも女だし。」
「そうか?……………………ッ!」
5秒ぐらいしてからようやく弦一郎は気付いたらしく、顔を赤くした。まったく、飽きないやつだよね。
気付くのが遅くなってすまん、デリカシーのないこと言ってすまん、やましい気持ちなど決してないのだ!…という台詞を何度も聞きながら、流しながら、家に着いた。そして浴衣の準備もして、弦一郎の家に。
着いたら、弦一郎のおばさんが張り切って待ってた。おばさんは昔からあたしのことを可愛がってくれてた。真田家には女の子がいないから。こんなむさい息子より、可愛い茜ちゃんみたいな娘が欲しいって。
「茜ちゃん。」
おばさんは、手慣れたように、スルスルとあたしの浴衣を着せてくれる。昔から、よく着せてもらってたっけ。うちのお母さんは不器用だから。
「なんだか、ずいぶんと女らしくなったわね。」
おばさんに会うのは1週間ぶり。たったの1週間で、あたしのどこが変わったわけでもないけど。
「そ、そーですか?」
「なんかね、生き生きしてる。お祭りが楽しみなのかな?」
お祭り、確かにお祭りも楽しみ。
だけど、もっと楽しみなことがある。
「茜ちゃん、おばさんがメイクしてあげる。」
「へ?」
「せっかく浴衣可愛いんだから。もっともっと、可愛くなろう!」
今日一緒に行く人のためにも。そう、おばさんは付け足した。
弦一郎が言った?…そんなわけないよね。
“生き生きしてる”
あたしからなんか、そんな空気が出ちゃってるのかな。
恋してる、オーラ。
10歩歩いて、鏡を確認。さっきから繰り返してる。みんなとの待ち合わせ場所に行く途中。あたしがこんなに鏡を見るなんて、生まれて初めて。
鏡越しに見つめ合うあたしは、いつも通りなんだけど、いつもとは違う。
あたしより可愛い人、きれいな人はいっぱいいる。浴衣だって新しいものじゃない。いつもよりしっかりめのメイクだって、きれいにまとめてある髪だって、おばさんにしてもらった。あたしが何かしたわけじゃない。
でも今日あたしは、世界で一番可愛いって。おばさんは言ってくれた。
好きな人のために、可愛くなろうとしてるから。
そう思って、10歩毎に覗き込む鏡の中の、いつも通りのあたしは、
素敵に見えた。
お祭り会場、神社の少し手前。人でごった返すコンビニが待ち合わせ場所。
待ち合わせ時間5分前。人が多すぎでみんながいるのか、わかんなくて。
キョロキョロしてたら肩を掴まれた。
振り返ったら、ジャッカルだった。
「お、やっぱ上野。」
「ジャッカル!」
「お前かなーって思ったけど、いつもと雰囲気違うから声かけるか迷っちまった。」
「雰囲気…違う?」
ジャッカルだけど。なんか、緊張。いつもと違う自分を見られるのは、相手が誰であっても緊張するもんだね。
「あー、浴衣だから?」
「そっかそっか。」
「似合ってるぜ。」
癒されるジャッカルの笑顔とともに、あたしに勇気が与えられた。
その後ジャッカルと二人で他のみんなを探すと、丸井と赤也はコンビニの中で立ち読みしてた。
「先輩、可愛いっス!」
やっぱり赤也には抱きつかれた。その赤也の向こうに、ニヤっと笑う丸井がいた。
なんとなくムカつくけど、なんとなく“いーじゃん”って言われた気がした。
ジャッカル、赤也、そして丸井。
少しずつ、少しずつみんなから勇気もらって、本命に会う。
「お、仁王先ぱーい!こっちこっち!」
待ち合わせ時間の3分後ぐらい。人混みのその向こうから、いつもの銀髪が見えた。徐々に速くなる心臓。
「仁王先輩遅刻っス!」
「赤也が俺より早く来てるなんて珍しいのう。」
意地悪そうに笑った仁王は、白シャツに紺っぽいパンツで、全然普通の格好なのに、かっこよかった。
仁王から見てあたしは一番遠くにいたけど少し、目が合った気がした。
「そーいや肝心の柳生先輩は?」
「6時半待ち合わせとか言っとったな。」
「まだ時間あんな。んじゃ何か食って時間つぶそーぜ。…ほら、茜行くぞ。」
「は、はいはい!」
慣れない下駄をカランと鳴らし、あたしは丸井の横に走り寄った。
仁王はまだ少し遠くて。恥ずかしさもあってか、なかなか見れず、しゃべることもできなかった。
下駄の、少し赤くなった親指を見つめながら。横にいる丸井から柳生の話を聞きながら。
屋台一軒目。丸井ご希望のわたあめ屋に着いた。
「うまそー!おじさん!わたあめ3つ!」
「3つ?仁王先輩以外の4つっスよ!」
「バーカ!俺が3つ食うんだ。お前らも自分で頼めよ。」
「…お前、その性格何とかしろ…。」
「ジャッカル、今何か言ったか?」
ぎゃあぎゃあと、丸井と哀れジャッカルの抗争が始まった。
はぁ、と軽くため息をつきながら、わたあめ屋さんの向かいにあるヨーヨー屋さんを見つけた。
わたあめを待ちつつ、フラフラとそこに近づくと、色とりどりのヨーヨーがプカプカ、小さなプールに浮かんでた。
昔よく、ヨーヨーをお父さんに取ってもらったっけ。
「ヨーヨー欲しいんか?」
グルッと勢い良く振り返ったら、思った以上に距離が近くて持っていたわたあめを落としそうになった、仁王がいた。
「はいよ。」
わたあめを差し出された。仁王の周りを見渡しても知らない人ばかり。丸井たちはいなくて。
ああ、気利かせてくれてるんだなーと思いつつ、心臓はバクバク。恥ずかしさにまた俯いてしまった。とりあえず、わたあめだけは受け取って。
「よく親にねだらんかった?ヨーヨー。」
「う、うん。」
「昔住んでた家の近くのお祭りでも売っとって。ヨーヨー自分一人で取れるようになったら一人前、みたいに思っとったのう。」
そういえば仁王は方言があるから、生まれは違うとこなんだった。
確か……南のほう?
あたしがボーッとしてると、仁王はいつの間にかお店のおじさんに釣り針をもらってた。
すると、あっという間に二個同時にヨーヨーを釣り上げた。
赤と白のヨーヨー。紅白だ。
「あげる。」
仁王は、赤のヨーヨーをあたしにくれた。
二者択一。前もあった。アイスもらったときだ。あのときはどっちがいいか聞かれたけど、今日は赤を迷わずくれた。
「茜は赤って感じ。」
「そ、そお?」
「ああ。明るいし。それに…、」
仁王はあたしの髪に手を添えた。よく見たら落ちかけてた髪飾り。仁王は器用に直してくれた。
「今日の浴衣にぴったりじゃろ。だからこれ取った。」
俺は白シャツじゃから白。うれしそうにパンパンとヨーヨーをついた。
似合うとか、可愛いとか、そんな誉め言葉をもらったわけじゃないけど。
あたしのために取ってくれたのがうれしくて。
あたしにぴったりな色を選んでくれたのがうれしくて。
ヨーヨーをギュッと握り締めてたら笑われた。
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