52 麦茶の呪い

朝の話。



「おーっす。」

「おう。」



ジャッカルと早くに待ち合わせて、コートでちょっと練習。

今日は決勝だから。勝っても負けても、今日で中学での試合は最後。もちろん俺は高校でもレギュラー入るつもりだけど。



「ブン太、食わねぇのか?」



ジャッカルが不思議そうな顔して俺を見る。

俺は食べようと買ってきたケーキを前に、なんかぼーっとしてた。

いや、やっぱり今日で中学最後って思うと、なんか感慨深いもんがあんじゃん。三年間、あっとゆー間だったし。いろいろきつかったりつらかったこともあったけど、なんだかんだ楽しかった。



「今日で最後だな。」



ふと、隣のジャッカルが呟いた。

やばいって。この展開はやばい。ちょっとうるっときちまった。



「最初お前と組んだときはどーなることかと思ったけどな。今思うと……、」



今思うと、なんだよ。

こいつ、俺のこと、泣かせる気?



「ジャッカル。」



膝の上に置いてあったケーキを、横にどけた。今はケーキなんか食ってる場合じゃねぇ。



「こないだは、サンキュな。」



こないだ。全国初戦での出来事。

茜が事故ったって聞いて、取り乱した俺を宥めてくれた。ホッとした俺を笑ってくれた。



「…あー、」



すぐにジャッカルは何のことかわかったみたいで。さすがだ、相棒。



「お前さ、」

「ん?」

「…いい男だなーと思ってよ。」



ジャッカルのいきなり気持ち悪い発言に硬直する。なんだよ、いい男だなって。やたら気持ち悪いぞ。つーか恥ずかしい。



「勘違いすんなよ。上野のことだからな。」



あーなんだ、茜のことか。茜のことね。

茜のこと?



「友達のためにあれだけ熱くなれんのはすげーよ。」



そんなに熱かったか?俺。何だかまた恥ずかしくなってきた。しかもあいつくだらねーケガしかしてねーし。俺の心配損だったし。



「俺が事故ったときも頼むぜ。」



太陽がジャッカルの頭の後ろにあるせいで、こいつの頭が輝いて見えた。にこって、茜の言う“癒し系な笑顔”。どこが癒されんだっての。ただホッとするだけじゃん。ジャッカルといると落ち着くだけじゃん。

ジャッカルに頼めば何でもやってくれるから。こいつほど頼りになるやつはいない。困ったとき、マジでへこんだとき、イライラしてるとき、そういえばジャッカルといるだけでまるで毒を抜かれたかのように落ち着いた。

そんかわり、八つ当たりもいっぱいした。三年間、もしかしたら影でこいつが泣いたことや俺を恨んだこともいっぱいあるかもしれない。



「ジャッカル、」

「ん?」

「お前はいいパートナーを持ったな。」



自分で言うな、と、いつも通りのツッコミが返ってきたけど。本当にいいパートナーだぞ。

ジャッカルのために、相棒のために、俺は今日、全力で走るからよ。

全国最強のダブルスを今日、誕生させようぜ。





「……るい、」

「……。」

「丸井ってば。」



茜が俺を覗き込む。いけねー、ぼーっとしてた。



「お、おう。」

「麦茶、飲む?」

「……お、おう。」



茜は俺に麦茶をくれた。相変わらずこいつの麦茶はうまいんだけど。

ごくんって、喉をうまく通らない。



「ほら、オーエン!」

「…は?」

「声出して応援!…しよーよ。」



茜は俺の右腕を掴んでブンブン振った。よく俺がこいつにやるやつ。ああ、意外と気分に反して腕振るの、よくねーな。いつもやっちゃってるけど。



「……めん。」

「え、」



小さすぎた俺の声は、こいつの耳には届かなかったみたいで。いや、聞こえないふりしたのかもだけど。

目の前で闘ってる最後の仲間、幸村君を見て、それは聞こえなくてよかったと思った。



試合は完全に幸村君のペース。やっぱな、バケモンだ幸村君は。ブランクあるくせに、なんにも感じさせない。不安とか焦りとか、なんにも。

だからだ。やたら放心してる、俺。応援する気力もねー。



「どうしたらあんな走れるんだろうな。」

「部長?」

「……も。」



あんなに走ったら疲れるじゃん。試合中バテバテになんじゃん。でもロードワークとか走り込みとか嫌いな俺は、結局いつも任せる。チャンス狙いの表舞台好き。後ろなんか振り向きもしなかった。

今日こそは頑張って走ったけどさ、結局疲れちまった。



「俺、」

「うん。」

「高校ではめちゃくちゃ走る。」



茜は、いい目標できたじゃんって、また俺の腕掴んで振った。
今度は、悪い気しなかった。

中学のとき走らなかった分だけ。追いかけられなかった分だけ。後回しにしてた分だけ。

後ろで、やっと呼吸が整ってきた相棒に届くといいけど。



「明日は筋肉痛かもな。」



パサッと、俺の頭にタオルがかかった。

何かと振り向けば、ジャッカルだった。ジャッカルが俺の頭にタオルをかけたんだった。



「俺より走ったろ。体力ねぇくせによ。」



にやっと笑った顔見て、また泣きそうになった。

俺走れなかったのに。頑張ったけど、結局任せちまったのに。



「うるせぇよ。ジャッカルのくせに。」

「おー怖っ。」

「俺の天才的体力をなめんな。」

「はいはい。」



ジャッカルが呆れたように笑うと、隣にいた茜もまた一緒に笑った。



「幸村君、勝てよ!」



途切れそうな願いごと。明らかオーバーペースで肺にまだ重みを感じる中、必死で叫んだ。
今の俺の全希望。頼んだぜ、部長。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





部長はあっという間に相手を追い詰めてた。あたしはボールを目で必死で追うのが精一杯。部長が今繰り出した技とか、とにかくすごいんだろうけど、それを冷静に理解するのは難しすぎた。

やっぱり部長はすごいんだ。格が違う。



「危ないな。」



あたしの思いを否定するように。いつの間にか柳が私の隣にいた。

確か赤也の手当てと、あと青学の幼なじみの具合を見に行ってたけど、戻ってきたんだ。



「最後まで持つか、どうか。」



何が?体力がってこと?今部長は絶好調じゃん。勝てそうじゃん。

柳が何を言いたいのかわからず、聞き返すこともできず、あたしは部長を見る。

部長の肩が、わずかに上下している。



「ゲーム、1―4!」



審判の声が響いた。

なに、青学の子がゲームとったの?まさか。



「ゲーム、2―4!」



コートチェンジのとき、ベンチの前を部長が横切った。そのときの部長の顔には、今まで見たことないほどに、汗が滲んでた。

だけど表情は変わらない。あたしがタオルを渡すと、ありがとうといつもの顔で笑った。



「幸村、」



タオルをベンチに置き、再びコートへ戻ろうとした部長を、弦一郎は呼び止めた。



「俺はまだ、お前に勝ったことはない。」



何を言いだすかと思えば、思い出話?最後だから?

いや、何か意図があるはず。弦一郎はいつだって回りくどいけど、無駄な話はしない。



「ああ。そうだね。」

「蓮二もだ。」



部長が柳のほうを見ると、柳はこくんと頷いた。



「まだまだお前を倒したい奴は山ほどいる。」



弦一郎の言葉を聞くと、部長はベンチにいるメンバー、一人一人の顔を見ていった。ああ、ここにいる全員、部長に勝ったことがないんだ。

部長は順に赤也、柳生、丸井、ジャッカルを見た(丸井だけは、俺はゲームとったぜと反論したけど)。そして少し視線を上げて、上のほうの観客席も見上げた。

思わずその視線を辿ると、仁王がいた。どこに行ったかと思えばあんなところから見てたの。

仁王の周りを目を凝らしてみても、あの人はいなかった。ただそれだけで、こんな緊迫した中、ホッとする自分がいた。



「…あきらめの悪いやつらだな。」



クスッと笑った瞬間、部長は、足がふらついた。一番近くにいた柳が咄嗟に手を出し、支える。



「部長…!」



あたしと赤也の声がはもった。こんなときぐらいしか大声を出せない、自分が悔しかった。



「足がついていかないのだろう。」



柳が呟いた。

そうだ、柳が言うまで忘れてた。部長は、まだ完全に治りきってないってこと。



「体力の消耗も余計に早い。汗も随分かいてるな。しっかりと水分を摂ったほうがいい。」



そこまでいつもの柳節で言い切ると、あたしを見た。開かない目は、あたしに何かを求めてる。

何かって?
決まってる。あたしはマネージャーでしょう。



「部長。」



あたしはコップ一杯、なみなみと注いだ麦茶を渡した。



「元気の出る呪い、かけといた。大好きなテニスが、いっぱいできるように。」



言ったあとでしまったと思った。“呪い”ってなんだよ。普通“おまじない”でしょ。

でも何だか部長を見たら、“呪い”のほうがいい気がしたんだ。

王者として負けられない重圧をしぶとく、図太く、受け止めてきて、それでも直向きにテニスをする立海には、“勝てますように”のおまじないなんかじゃあなくて、

“いつまでもテニスができますように”っていうある意味呪いのほうが、きっと合ってる。



「…あはははっ!」



部長は、一瞬目を丸くしたと思うと、突然お腹を抱えて笑いだした。や、やっぱり呪いはまずかったか!?



「ごめんごめん、思い出し笑い。」

「…え、お、思い出し笑い?」



部長はごくごくと麦茶を飲み干した。

そして笑顔であたしにコップを返す。ついでに物凄く接近してきた。距離は、50cmないぐらい。息が弾む部長の体から、熱気も感じ取れた。

一瞬、部長は仁王のほうを見た気がした。上のほうには仁王しかいないから、きっとそうだ。

でもあたしは今度は視線を辿れなかった。目の前の部長に、身体中が心臓になったみたいだ。



「忘れてた。…いや、忘れようとしてた。」

「え?」

「なんでテニスをするのかってこと。」



もう何年、心を押し殺してきたんだろう─…そう、部長は呟いた。

次に囁かれたこと、バカにでかい心臓の音を擦り抜けて耳に届いた言葉を、

あたしは一生忘れない。

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