50 つながり

「弦一郎っ…!」



あたしの叫んだ声は歓声にかき消された。

あんなに痛々しい足で、あれ以上試合を続行できるとは思えなかった。あたしは無意識のうちに立ち上がる。駆け寄らなければ、と咄嗟に思ったんだろう。

けれどもそれは体の勢いだけを前へ。肝心の足が動かなかった。
あたしが足を痛めているというわけではないのに。

周りを見ても、誰も何も言わない。ただ、立ち尽くすだけ。
でもどこか悔しそうな、力のこもった目だった。さっきまで笑いながら話していた丸井でさえ。



「止めれるわけねーよな。」



丸井がぼそっと呟いた。

そうなんだ、誰もがきっとそう思ってるんだ。

あんなに足が腫れ上がっても、最強のライバル相手に息が上がっていても、
弦一郎は引かない。一歩も。真っ向勝負を捨てない。

真っ直ぐに、ネットを隔てた向こうにいる相手から目を逸らさない弦一郎からは、負けないという強い気持ちが伝わってきた。それが余計に不安と安心を感じさせた。



「弦一郎ーッ!!」



あれだけ騒がしかった会場なのに、なぜかあたしの声が、谺して聞こえた。

あたしか、それとも立海のベンチか、弦一郎は一瞬こっちを見た。



「がんばれ。」



肝心な言葉が小さくなった。お前、それ名前よりでかい声で叫ぶべきじゃね?って、いつもの丸井ならつっこんでるだろう。

ただ、真っ向勝負を捨てられないぐらいプライドの高いあいつが、あたしなんかの“がんばれ”を聞いてどう思うだろうとか、

本当は、もうやめてほしいとか、

いろんな感情が邪魔をして、大きな声で応援できなかったのは確かだ。



「負けねーって。あいつは。」



丸井が、あたしの頭に手を乗せてきた。いつもみたく乱暴にぐしゃぐしゃにするんじゃなくて。

そんなに優しく撫でられると、余計に泣きそうになるじゃない。



「お前の部活日記にも書いてあったろ?」

「…なんだっけ。」

「自分で書いたこと忘れんなよ。」



丸井は、まだ手に持っていたあたしの日記、弦一郎の最後のページを見せた。



「“あきらめることを知らない頑固者で困る”って。」



そうだった。弦一郎はいつでもそうだった。テニスに限ったことじゃない。何でもかんでも、途中で投げ出すことを知らない超人レベルの頑固者。



「ま、俺らんとこにも似たようなこと書いてあるけどな。」



丸井は“絶対負けを認めないワガママ”、赤也は“勝つまでやめない”、などなど、いかにみんなが負けず嫌いかを書いたんだった。だってほんとにそーなんだもん。

再びコートを見やると、弦一郎は足の痛みをものともせず、何事もないかのように試合を続けてた。

成し遂げたいという強い気持ちは、体の痛みすら忘れさせるんだろうか。

代わりに、あたしの足首が痛かった。こないだ挫いたせいだとは思えないほどに。

幼なじみのくせに、毎日のように家を行き来してたくせに、結局はあたしがテニス部に出入りするまで弦一郎は、遠い存在だった。

テニスに夢中になってるときの顔や、あんな汗だくにふらふらになりながらも決して引かない姿なんて見たことなかった。弦一郎は負けず嫌いだからなんとなくなイメージはあったけど。あくまであたしの想像の範囲だった。

ただの、ほんとにただの幼なじみでしかなかった。弦一郎はあたしの理解者だったってのにね。

でも今日この日、弦一郎が全身全霊をかけて闘うこの場に居合わせることができて。
やっと繋がったような気がするよ。

さっき、丸井に親友って言われてうれしかったのと同じくらい。
弦一郎と幼なじみでうれしいよ。





「おつかれ。」



試合後、会場をでた水のみ場に弦一郎は座ってた。タオルすら持ち出すのを忘れてたみたいで、あたしは弦一郎の頭にタオルを放り投げた。



「…何をしている。」

「は?」

「早く会場へ戻れ。」



マネージャーだろう。そう、力なくあたしを叱った。

なんだかな、いつもの暑苦しい勢いがなければ気持ち悪いだけじゃん。



「ほっとけないでしょ。」

「構うな。お前の仕事は皆の試合を見守ることだ。」



まぁ、それしかできないからねあたしは。

でも…、



「パパのお世話するのが娘の仕事だし。」



そう適当に繕ったけど、本当は弦一郎の傍を離れたくなかった。もう赤也と柳の試合が始まってるけど。だって、

弦一郎は勝ったのに。最強の宿敵に勝てたのに。

なんでそんな顔してるの?

あたしはまだまだ、弦一郎の理解者になりきれてない証拠だね。



「お前は…、」



そう、弦一郎はあたしに呼び掛けると黙り込んでしまった。

お前は何よ。何なのよ。気になるじゃない。あたしは最近弦一郎の言いたいことがわかんないんだからはっきり言ってくれないと…。

でも催促はできなくて、あたしは黙ったまま弦一郎の隣に座った。



お前は、なんだろ。相変わらず黙りこくった弦一郎を横目に、前もそんな感じの弦一郎がいたなーと思った。

あのときは、なんだっけ。ああそうだ、お前は仁王に恋をしてるのか?だっけ。

丸井や赤也には否定方向で示したけど、弦一郎には頷いちゃったんだった。

何言われるかなーって思ったけど、…なんだっけ。味方だぞとか言われたんだっけ。弦一郎なんかに味方してもらっても役立たないと思ったけど。

でもなんか、意味有りげだったな。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「行かないのかい?」



別に真田を探してたわけでも茜ちゃんを追ってきたわけでもなかった。ただ部員が試合中なのに続けざまに会場を後にするからね、気になって。

そしたら二人を見つめるもう一人の部員がいた。



「や、二人の邪魔したら悪いじゃろ。」



じゃあ何で仁王はここに来たのかな。そして何で立ち去らないのかな。



「次試合だろ?」

「ああ。」

「蓮二たちが負けることはないから、仁王で優勝決めるんだよ。」

「わかっとる。」



そう不機嫌そうに答えると、二人に背を向けて会場に戻っていった。

なんで仁王が不機嫌なのかは、俺にだってわかるよ。詐欺師なのにね、そんなに感情を出しちゃダメだろ?

茜ちゃんが仁王をまだ好きなのは確かだと思うよ。振り向いてくれなくても。
でも、きっとそれ以上だろうね、あの二人の繋がりは強い。

茜ちゃんが仁王に恋をして、それはさらに強くなった気がする。

それがおもしろくないんだろ?
いつまでも過去に振り回されて、思うように動けない自分も。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





そんなふうに仁王と部長があたしたちを見ていたなんて知るはずもなく。
まもなくあたしと弦一郎は、会場に戻った。
結局、なんの話かは聞けないまま。

赤也と柳の試合は、もう終わるところだった。…ごめん、赤也!

相手選手が負傷したとかで(てかあたしには赤也も負傷してるように見えるけど)、これで立海は優勝に王手をかけた。
次は、仁王の試合。



隣には弦一郎。丸井たちはあたしより少し前で試合を見守る形だった。

そうやって、仁王の中学最後の試合が始まるところだった。



「わー、間に合ってよかったー!」



後ろのほうで声がして、振り返ると、

違う学校の制服を着た女の子が息を切らして立ってた。

あたしと同じく、振り返った弦一郎。その弦一郎の呼吸がふと止まった。



「あ!」



その女の子はあたしたち、というより弦一郎を見て、にこっと笑った。可愛らしい笑顔。



「久しぶりー!真田。」



弦一郎の知り合い?と、思う間もなく、弦一郎は立ち上がり、ぺこっと軽く会釈した。

誰だろう…?弦一郎がそんなふうに挨拶するってことは、先輩かな?OGとか?



「真田の試合は終わったの?」

「はい。」

「勝った?」

「当然でしょう。」

「あははー、さすが!」



その先輩らしき人は、弦一郎の隣に座った。

ちょっと待って。さっきこの人、間に合った、…って言ったよね。もう立海の試合は始まって、しかももしかしたら最後かもしれないS2の試合。

仁王の試合に、間に合ったってこと…、



「勝てるかな、雅。」



先輩が呟いた名前、絶対に聞き間違えじゃない。
あたしが呼べない。仁王の特別な、名前。まさか。まさか。まさか…。

あたしは先輩と、仁王の顔を見比べる。先輩は、仁王を真っ直ぐに見つめてて、仁王は…、

たぶん試合に集中してて、気付いていない。
気付いていない、でも…、



「相手強いの?」

「ええ。だが、あいつは負けないでしょう。」

「…雅は、ああ見えて自分に自信がないから。心配だな。」



その先輩は、いかにも仁王をよく知ってるという口振りだった。

あたしから見た仁王は、自信家で、強気で、100%の負けず嫌い。

あたしの知らない仁王を知っているというのだろうか。



「成長しましたよ、仁王は。」



弦一郎は、その先輩の言葉を否定するかのように、もしかしたら安心させるためにか、そう言い切った。



「そっか。そーだよねー…。」



軽く先輩も笑うと、再び仁王一直線に、視線を試合に戻した。



“前のやつが忘れられん”



この人が、仁王の、好きだった人…?
あたしの頭の中では、ごく自然と浮かび上がった。

次に頭を過ったのは、なぜその人がここにいるのかということ。

高校は別のところに行ったって聞いた。別れは仁王にとってつらいものだったこともわかってる。
じゃあなんで?なんでここに?
仁王が呼んだの?

あたしは、好きな人の最後の試合にも拘らず。

目の前が霞む。ただ左右を行き交う黄色いボールを、あたしは見つめていた。

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