48 最終戦に向けて

「清々しくて気持ち悪いぐらいくそ暑い。」



あたしは流れ出る汗をタオルで拭う。もう夕方だというのに。今年は本当に暑い。

でもそんな文句ばかりも言ってられない。明日は、全国決勝。

うちはトントン拍子に勝ち進み、見事決勝進出が決まった。

…トントン拍子ではないか。4回戦目なんかちょっとした流血事件だったもんね。…大丈夫。赤也ならかわいいから大丈夫。



「茜、」



振り返ると、弦一郎だった。

こんな暑い日はなるべく近寄りたくない。熱気漂うオッサンには。

あたしが一歩下がると、弦一郎は一歩近づいた。再び一歩下がると、不思議そうな顔をしてまた近づいた。めんどくさいやつだな。



「で、なに。」

「幸村を知らないか?」



キョロキョロと周りを見渡すけど、部長が見当たらない。そういえば、さっきから見てない。でも部長はいつもフラフラしてる。神出鬼没というか。噂をしてるとすぐ現れるというか。



「いないね。」

「明日の件で話し合いたいことがあったのだが…。」



弦一郎がもどかしそうにそう言うもんだから、捜してあげたくなった。

うちの学校は広いから、知らない場所にでも行かれたらアウトだけど。仮にも練習中。きっと近くにいる。

あたしは仕事をほっぱらかし、部長捜索にとりかかった。





―パコーン…



どこからか、きれいなボールを打つ音が聞こえてきた。

その音を辿ってみると、意外にも早く見つかった。部長だった。

体育館裏の誰もいない駐車場。壁打ちをしていた。

さすが、部長はフォームがきれいだ。他のみんなももちろんだけど、部長はまた特別。一打一打、柔らかいのに芯がある。そして力強い。



そう思った次の瞬間。

少し横に逸れた打球。
部長は追い付くことなく、ラケットを落とし、

自分も崩れ落ちた。



やばい。
あたしは思った。部長の体調がよくない。そう感じた。もしかしたら発作か何か出たのかも。

そこまでが一瞬にして頭を駆け巡り、あたしは部長のもとへ行こうとした。

でも捕まれた右腕。
振り返ると、やっぱり弦一郎だった。

あたしは近頃、弦一郎の言いたいことがわかんない。けど、この時ばかりはわかった。

“行くな”
そう言ってる。



―ガン!



部長は自分のラケットを投げつけた。

信じられない。弦一郎のそんな顔。だって部長は誰よりも誇りが高い。



「………っ…だよ、」



かすかに部長の声が聞こえてきた。

部長はしゃがみ込んで、俯いている。あたしや弦一郎の位置からだと、まるっきり後ろ姿で表情はまったく見えない。



「……何で動かないんだよ。」



次ははっきりと聞こえた。
弦一郎の、息を呑む声も聞こえた。

部長は立ち上がって、今度は投げつけてあったラケットを掴んだ。



「……離すなよ。やっとまた、握れるようになったんじゃないか…。」



部長は、ラケットを、自分の体に包み込んだ。

儀式みたいで、神聖で、祈るようで、
必死に、想いを伝えているようだった。



「……他に何も、いらないのに。」



ぽつりぽつりと零れる声は、震えていた。

部長が…、泣いてる。



「今、テニスができれば……っ、」



あたしはもう、部長を直視できないでいた。足元に目を向ける。

灰色のコンクリートにぽたぽたと、しずくのあと。





「何故、“今”なんだ……?」



弦一郎が小さく、とても小さく呟いたその言葉を最後に、あたしは涙が止まらなかった。

両手で覆っても、涙は溢れるばかり。

気付かれちゃいけないと、あたしはその場を逃げ出した。帽子を深く被り、唇を噛み締める弦一郎を残して。

部室に駆け込んだ。
机の上にあった誰の物かわかんないタオルを顔にぎゅうっと、押しつける。ああ、この香りは丸井。お菓子の匂いがするもん。

呼吸が乱れて、でも息を吸うのもつらくて苦しくて。

外から聞こえるみんなの声と、周りの声援に、さらに涙が止まらなかった。



「……うっ…うっ……!」



やっぱり、部長の体調はよくなかったんだ。だから、今までも試合に出なかったんだ。

“俺はもう病院には行かないよ”
あれは部長の決意だったんだ。
青学戦に向けての。

たった一つの試合への。



“俺もすぐに復帰するし”

“そしたら今度こそ、立海、優勝だ”



部長―……



あたしは部長のために、何かできることがあるだろうか。
あんなに苦しんでいる仲間のために。
あたしにできることはあるんだろうか。

…何も、きっと何もない。
ひどくちっぽけな自分が憎らしかった。



その後、部長は何事もなかったかのように現れた。弦一郎も。

あの後二人で何か話したんだろうか。弦一郎には聞けなかった。

あたしは、泣いて目を腫らしてしまって。丸井にえらく心配されたけど、鼻が痛かったで突き通した。ちょっと無理あるけど。



「柳。」

「何だ。」

「明日って、部長出るよね?」

「ああ。当然だろう。」



即答した柳に感謝した。

あたしがちゃんとしたマネージャーなら、ここは部長を止めるべきかもしれない。

でも、そんなの無理だ。

あんなに熱い、強い、想いを。

あたしは、否定したくない。



まぁあたしはマネージャー(仮)なので。
みんなを応援することしか、できないんだ。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「柳生、」

「はい?」

「今日一緒に帰らんか?」



珍しい、仁王君から誘ってくるとは。何となくですが意図は読めたので、二つ返事でOKを出した。



「〜♪〜♪」



帰り道、仁王君は隣で口笛を吹いてました。このメロディはどこか聞き覚えのあるもの。



「合唱コンクールの曲ですか?」

「ああ。最近練習しとらんから忘れそうになる。」



そういえば、その曲の伴奏は上野さんだと聞きました。結局はいろいろと繋がりがあるんですね。

部活を引退しても。



「俺、」

「はい。」

「明日試合、絶対勝つぜよ。」

「そうでなければ困りますね。」



私の分まで頑張ってください、とは言えませんでした。彼のことだから、そんなことを言ってしまえば責任を感じてしまう。

今は少し緊張しつつ、ただ勝ちたいという意欲を持つ程度がちょうど良い。



「けっこうダブルスも楽しかったのう。」

「そうですね。」

「入れ替わりもおもろかったし。」

「面倒臭かったですが。」

「……。」

「何か?」



仁王君は不満げに私を見ました。まぁ、面倒ですが相手を騙しきったときは非常に優越感に浸れましたね。



「俺、ちょっとお前さんに嫉妬してた。」



俺にないもん持っとる、と、仁王君は苦笑いした。いや、照れ笑いでしょうね。



「それは憧れです。」



そう言うと、かもな、と、また苦笑いした。

明日、頑張ってください。

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