部長、柳と別れてから家に帰り、一呼吸おこうと思ったけど我慢できずに玄関で靴を履いたまま、メールを開いた。
きていたメールは3通。
一通目…
From:柳
部活は終了した。お前もまもなく精市と合流する頃だろう。弦一郎が心配する。連絡だけはするように。とは言ってもお前のことだ。忘れる確率96%。俺から伝えておこう。
なにこの自己完結型メール。送る必要あんの?久々にイラッとするわー。
続きまして…
From:丸井ぶんた
おまえアイス
一言。ただの催促。これまた送る必要ないだろ。おまけに丸井からは着信も入ってた。どーせ電話もアイスのことだ。
まったくもってテニス部にはろくな連中がいない。着信残り7件はすべて弦一郎。着拒してやろうか。
そして最後の楽しみ(?)としてとっておいたメール。仁王からの。ドキドキ、ドキドキ。昨日の今日でどんなメールなのか。今日朝会ったときのあの反応。…どんなメールなのか。
緊張しながら見てみた、けど。
From:仁王雅治
今日もおつかれサン(`.∀´)ノ
まぁ確かにこの顔文字は仁王に似てるけど。
…別に送る必要なくない?
何回見なおしても、一生懸命スクロールしてみても、この一言プラス顔文字だけ。いったい何を意図して送ったのか。
いろいろ考えてみたけど思いつかなかった。
ううん、一つだけしか思いつかなかった。この意味不明な意味無しメール。
“普通にしようか”
そう言われた気がした。あくまでも気がするだけ。
だから明日どんなふうに会話できるか、まだわかんないけど。
とりあえず、あたしの返事も簡潔に。送った。
そうして迎えた翌日。
「ちくしょー…弦一郎のやつ。」
昨日、結局弦一郎からの連絡を一括無視したあたしは、当然今朝弦一郎に叱られた。
きっと他のみんななら制裁とかいって殴られるんだろうけど、あたしに対してはそうはいかないらしく。代わりに罰として、部室掃除をさせられることになった。
真夏の部室は本当に暑い。扇風機があるとはいえ、温い風じゃ追い付かない。
しかもあたしは、こう見えて几帳面。一度やり始めたら、気になるところは隅々までやらなきゃ気が済まない。きれいに整頓されてる部室のわりには床が食べこぼしで汚れてたりするし。…犯人はわかってる。
たぶん3往復目。バケツの水を替えにいく。
―ジャ──…
バケツに水を注ぎながら、しゃがみ込んでバシャバシャ遊ぶ。外の水道だけあってバケツの水も温い。汗ばかりが出る。
コートから少し離れてるからよく見えないけど、丸井の真っ赤な頭だけは確認できた。
今日は朝から弦一郎に叱られて掃除を始めたから、まだ他の人とはしゃべってない。もちろん仁王とも。
普通にすればいいんだよ、うん。別になにがあったってわけじゃないし。よくよく考えてみればあたしは告白したわけじゃないんだし。…失恋はしたけど。
部長とも話してない。今日は普通に朝から練習に加わってて。…結局昨日はなんだったんだろ。ただご飯食べただけ。
…だけ?
違う。えらいことがあったんだった。
“そんなやつ忘れろよ”
なんか、なんかすごいかっこいいこと言われた。最初部長は励ましてくれないかと思ったけど。よくよく考えてみれば、あたしにとって一番必要な言葉、かもしれない。
忘れる。すごく難しいことだ。そりゃ一日や二日では無理だろうけど。仁王は、無理なんだろうか。別れて5ヶ月、今もまだ仁王の心の中にいるその人のこと、これからも忘れられないんだろうか。
たとえ忘れたとして、その先あたしに向かうことはあるんだろうか。
「はぁー……。」
深い深い、ため息をつき、頭をうなだれる。わずかに髪が水に触れた。まぁ、いいや。
「髪、濡れとる。」
頭の上で声が響いた。独特の空気も感じて。あたしの左肩らへんに熱気も感じた。
まさか、と思った。もしかして、と思った。急速に速くなる心臓が痛かった。けどあたしは勢いよく頭を上げる。
入れ違いにストンと、水道に背を向けてしゃがみ込んだ。
…―仁王。
一瞬、あたしの左目と仁王の左目が交差した。けど、あたしは思わず逸らす。ああ、なにやってんだバカバカ。
そうは思っても体が硬直してしまって、動けず声もでない。
「……。」
「……。」
沈黙。気まずい雰囲気。嫌なのに、こんな空気は。昨日、普通にするって決めたじゃないか。今まで通りする、したいってあたしの心は決まってるのに。
もどかしく、言葉がでない。
汗か、さっき髪に触れた水か、あたしの頬っぺたに水滴が伝う。
「…っ、昨日は、」
ようやく、仁王が口を開いた。吃った。あの仁王が。
驚いたのと、もしかして仁王もあたしと同じこと考えてるんじゃないかって、思ったら。
急に心がこう…パァーって、明るくなっていくように感じた。
「何で途中で帰ったんじゃ?心配しとったよ、ブンちゃんとか。」
でも相変わらずあたしたちは目を合わせなかった。あたしはバケツから溢れる水を、仁王は校庭を見つめてる。
入れ違いにしゃがんでるあたしたちは、他から見れば変な光景。
「あ…、えと、部長に呼ばれて…、」
「…幸村?」
「そ、そうそう。なんか、今から会えないかって…、」
「…ふーん。」
そのまま仁王は黙った。あたしはというと、なんだか、仁王と初めて話した頃のことを思い出した。そーいやあたし、最初の頃噛んでばっかだったなーって。苦手だったからかうまくしゃべれなくて。やっと普通に話せるようになったというのに、また戻っちゃったなって。おかしくて少し笑った。
そしたら仁王がこっちを見たのがわかった。合わせるように、あたしも仁王を見る。
「なんで笑っとる?」
「え?いや、別に。」
「たるんどる。」
仁王は怒ったフリをしながら、立ち上がり蛇口をひねった。バケツから溢れた水が止まる。
「あ、ごめん。」
「お水は大切にしんしゃい。」
「はーい。」
「エコじゃエコ。」
フッと笑いながら今度は、あたしと同じ向きにしゃがみ込んだ。
「まだ掃除終わらんの?」
「もーちょっと、かな。」
「真田が幸村に扱かれて大変なんよ、こっち。」
「え?なんで?あいつなんかしたの?」
「お前に掃除やらせとるからやろ。」
「あらー。ざまみろ、弦一郎。」
あたしがそう言うと仁王も笑った。しばらく、二人で笑い合う。
ああよかった。普通だ。普通になってきた。
もうそれがうれしくて、うれしくて。
やっぱり、あたしは仁王が好きなんだなって。実感した。
「さて、そろそろ戻るかの。」
仁王が立ち上がるのを見て、あたしも立ち上がった。
仁王の手はそのままバケツに伸び、水が目一杯入った重いバケツを軽々と、持ち上げた。
「あ、いいよ、あたしの仕事だし…!」
「重くて持てんじゃろ。」
「でも練習戻らないと…、」
まだ続けようとしたあたしに、仁王はくるりと背を向けた。部室の方に、歩きだす。
「たまにはかっこいいことさせてほしいんじゃって。」
小さく言い放った。
たまには?何を言ってるんだ。
いつもいつも、あたしにはかっこいいことばかりじゃないか。いつもいつも、あたしのことドキドキさせてばかりじゃないか。
きっとこないだ青学に負けたときのことや、お祭りでのことで、仁王は自分がかっこ悪いって、思ってるんだろう。
後ろから見た仁王は、太陽を浴びる銀髪がとてもきれいで。細身なのにたくましい肩や背中が男らしくて。
相変わらず、あたしの心を鷲掴みにしたままだった。
「レギュラー集合!」
練習終わり間際、部長の集合をかける声に、レギュラー陣が集まる。あたしは他の部員のお手伝い。でもちょっと、なんの話が気になって、そっちのほうに耳を傾ける。
でもそんな必要はなかった。
「…何スか?これ。」
赤也の低い声が一瞬、聞こえた。
「何で幸村部長がメンバーに入ってないんスか?」
次の声は大きくはっきりと、耳に届いた。
メンバーに、入ってない…?メンバーって試合の?
他の部員もみんな、レギュラーのほうに注目する。
「俺はしばらく出ない。」
「しばらくってどういうことっスか?てか控えにも入ってないじゃないっスか。」
赤也の声が少し強ばってる。嫌な予感が彼の頭を駆け巡ってるんだろう。
でもそれは違うって言いたかった。昨日あたしは聞いた。部長の口から。
でも、それならメンバーに、控えにすら入ってない理由がわかんない。
「幸村部長、もしかして…、」
「ちげーよ赤也。」
段々と張り上がりそうな赤也の声を抑えるかのように、丸井の声が響いた。
「幸村君いなくても一回戦や二回戦ぐらい勝てって。決勝の、おそらく青学戦まで余裕でいけって。そーゆうことだろい?柳。」
最終的な決定権は部長ではあるけど、大方の戦略は柳が練る。誰がシングルスかダブルスか、柳がまずは構成を考える。
だからだろう、丸井は柳に促した。
「ああ。そうだ。」
いつもは一つ聞いたら二倍も三倍も余計な知識をくっつけて返してくる柳が、たった二言。
それだけで、どーゆうことか。気付いた人もいたんじゃないだろうか。
“聞くな”
あの柳が、そう言ってる気がする。
「そー…なんスか。」
「そうだよ。赤也、初戦は柳生とダブルスだ。もっと早くボールに追い付くように走り込みしようか。」
「ぅげ!」
「返事は?」
「…へーい。」
赤也は、ちょっと納得したのか、もしかしたらまだ納得いってないのかわかんないけど。
すぐに普通に戻った。
「…俺仁王とかよ。」
「公式戦では初めてじゃな。」
丸井と仁王?確かに、練習ではあんま見たことない組み合わせ。本人たちもビックリしてる。
「ブンちゃん俺前衛でええ?」
「ダメだ。俺前、お前後ろ。」
「…死ぬ。」
何となく、二人が気まずそうにというか照れてる(?)ような感じがして笑ってしまった。
今回はちょっと異色の組み合わせなのかな。
柳や部長の真意はわかんないけど。
赤也たちもみんな練習を再開したから、あたしも元に戻った。
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