目を細めながら重い足取りで、自動ドアを通り抜けた。
何度だめだと思ったことか。白い部屋に閉じ込められよくわからない治療を受け。
でも俺はあきらめなかった。成し遂げたい夢があったから。
きっと叶うと思った。絶対叶えてやると思った。
だから俺は闘ったんだ。勝つために。
『なかなか経過は良好だよ。』
『本当ですか!?』
『うん。まだまだリハビリは必要だけどね、きっとすぐ今まで通りになる。』
『じゃあ…!』
『ただ―……、』
そこから先は聞く気にならなかった。
―ドカッ!
近くに捨ててあったゴミ袋を蹴りあげた。そんなマナー違反なこと、生まれて初めてやったけど。
目の前に広がるオレンジ。
この色がやたら俺を苛立たせたんだ。
『あー、日が暮れちまう。も少し粘れよ太陽!』
『なに無理言ってんだよ。』
『いーじゃないっスか、二人とも目よくて。俺最近視力落ちたからマジ見づらいっス。』
『それは切原君がゲームをやりすぎだからでしょう。』
『あー!ほら!赤也!ボール向こう飛んでった!』
『自分で取りに行ってくださいよ!』
きれいなはずの夕日が、俺たちには邪魔だった。
たった一つのボールを追いかける、俺たちには。
『少なくとも半年、激しいテニス、例えば試合なんかはやっちゃだめだよ。』
俺の頭の中では、さっき医者に言われたことがぐるぐると回ってた。
正直、一番最初に病気のことを聞いたときより落ち込んでる。
俺は治った。またテニスができる。全国に出れる。みんなと優勝してやるんだ。
一度持った希望は、空に消えていった。
確かにね、ちょっとうまくいかない体には気付いてた。
でも経過は良好だって言ったじゃないか。それに普通に打てるんだよ。こないだの合宿だって、誰にも負けなかった。…本当はテニス禁止されてたから医者には言えなかったけど。
全国。負けは許されない。
俺は試合に出たい。でも、それでもし、みんなの足を引っ張ることになったら―……。
今も十分、足を引っ張ってるのに。みんなに何て言おう。
学校へは帰りづらい。
俺がそんな弱気なこと思ってるなんて、きっと蓮二ですら想像ついてないと思うよ。
どーしようかなー…。
頭に浮かんだのは、あの笑顔だった。
俺は携帯で電話をかけ始めた。
一番上に発信履歴があって、ちょっと笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「幸村君、帰ってこねーな。」
部活終了後、部室に集まる中呟いたのは、丸井君。
確か、今日は検査日。終わり次第こちらに戻ってくると、幸村君は言っていました。
「そーいや、茜先輩もいないっスよね。」
「へ?」
「なんかさっき抜け出して、帰ってきてないっス。」
「ばっ…!お前そーゆうことは早く言え!」
慌てた丸井君は、がさがさとまだ着替えていなかった自分の制服のポケットから携帯を出した。おそらく上野さんに電話をするつもりなんでしょう。
「…出ねーな。」
「どっか遊びにいったんじゃないっスか?そーいや副部長もいないし。」
切原君の発言に、ギロリと丸井君は睨むと携帯を机に置き、はぁーとため息をついて漸く着替え始めました。
私や、隣の仁王君はもうほとんど着替え終わっているというのに。
―バタン…
仁王君が静かにロッカーの扉を閉めたときでした。私の視界の右隅からコロコロと、転がる物が出てきて。
野球のボール―…。
「何スか、これ?」
ひょいっと、切原君がそのボールを持ち上げました。
その野球のボールは、凄く古びた感じの。使い古したもの。
「俺のじゃ。」
それはそれは素早く、仁王君は切原君からボールを奪い取りました。
そんな不自然な行動。私はすぐに察しがつきましたが、
他の皆さんは、少々びっくりしているようで。
帰ってこない幸村君。
いなくなった上野さん。
一緒かどうか、真田君もいない。
そして苛立った様子の丸井君に。
不自然な仁王君。
すべてに訳が分からないといった顔の切原君。
どことなく、不穏な、空気。
全国を控えたこんなときに。
「では、私は帰ります。きっと今日は幸村君はこないでしょう。」
私の言葉に、皆さんが一瞬、我に返ったような顔をした。
きっと誰もが、嫌な空気を感じてたはず。
「あ、仁王君。」
「…?」
「ダブルスの打ち合わせをしたいので、準備ができているのでしたら一緒に帰りたいのですが。」
「…了解。」
素直に、仁王君はバッグを持ち上げた。そのまま私を置き去りに、部室の扉の前まで歩いていくと、
「また明日な。」
空気を悪くしてしまったこと、切原君たちに謝るかのようにずいぶんと小さな声で出ていった。続いて私も皆さんに挨拶をし、部室を後にしました。
残された皆さんは、おそらくよくわからない状況でしょう。ですが、
私の前を歩くこの人。さっきの野球ボールをポーンポーンと上に投げて遊んでいる彼。
仁王君自身が一番、どうしたらいいのか、わかっていない。
「仁王君。」
「んー?」
「そろそろそのボール、捨てたらどうですか。」
私のいきなりの攻撃に、仁王君は思わずボールを落としそうでした。
「仁王君は野球部ではないのですよ。」
「そんなん知っとる。」
「昔そんなふうに私のゴルフボール、捨てたの誰でしたっけ。」
グッと、ばつが悪そうな顔。
たまに、本当にたまに、仁王君に口で勝てるときがある。
私は知っていました。今、仁王君が持っているそのボールが、仁王君にとって大切な思い出の品であることを。
「今日、まったく練習に身が入っていませんでしたよ。」
「…はっ、すべてお見通し?さすが、彼女がいる男は違うねぇ。」
ククッと笑った仁王君は、再びボールを投げ始めた。
私の彼女は、仁王君に取り持ってもらったといっても過言ではありません。
私もおそらくは真田君並みに不器用。だから、うまくこなせない場面では、仁王君が協力をしてくれた。
ここ最近、仁王君は彼女を作らない。去年は何人かの方と、短い期間に付き合っていたという話は耳にしたが。
自身に彼女を求めないせいか、私に協力しているときはずいぶんと楽しそうで。
寂しそうでもありました。
「なぁ、柳生。」
仁王君は今までより一層、深い深いため息をつきました。本当に、寿命が縮まるぐらい。
「女がうらやましい。」
突拍子もない仁王君の言葉に、私はしばし唖然としました。
「すぐ笑って怒って、泣いて。くっついてきていっぱい甘えるくせに、気まぐれに消える。素直というか…、」
俺もそーなりたい。
呟いた仁王君の、それは本心でしょうか。
「人によるんじゃないですか。」
「そうだねぇ。」
声だけの空笑い。仁王君を縛り付ける思い出。
でもなぜか、私には、仁王君がそこまで後ろ向きに見えない。
過去にしがみつくのが似合わないのはもとより、ここ最近の仁王君は変わった。あのとき、別れたときの仁王君とは比べものにならないほど明るく、そして優しくなった。
「私は今の仁王君の気持ちを大事にしてほしいです。」
私の言葉に、仁王君はポケットから携帯を取り出した。
実は先ほどから、仁王君は左手でボールを投げつつ片方の手で携帯をチェックしていた。
部活終了直後、カタカタと誰かに電信文書をうっていた。その返信の確認でしょう。
相手は……、決まってますね。
「まだ間に合うかのう。」
「仁王君は焦りすぎなだけです。ゆっくり進めばいいんですよ。」
そして仁王君は、おそらく今日初めて、笑った。
内容は知りませんが、
返信、早くくるといいですね。
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