39 涙

家に着いて、下駄を脱ぐ。ようやく解放された足は、マメができてた。さっきまではなんともなかったのに、急に痛くなりだした。

その足で廊下を歩くと、なんだか変な感触がした。柔らかい地面を歩いてるよう。

部屋に着いて、浴衣着たまんま、前のめりにベッドに飛び込む。



「ふー……。」



深い深いため息。なんかどっと疲れた。浴衣も下駄も慣れないメイクも。
それと、いろいろ。

着替えなくちゃいけないけど、
体が動かない。なんでこんなに脱力してんだ、あたし。

帰りは丸井たちも一緒に、全員で帰った。もちろん話題は柳生で持ちきり、……だったかな。



「…どんな話してたっけ、」



ただぼーっと、適度に話に反応して帰ったから。

身体中、だるい。脱力してるけど、なんだか締め付けられるように苦しい。もしかして風邪かな。…んなわけないか。てことは、

よっぽどショックだったんだ。自分が感じる以上に。体は正直。



―ピンポーン



下からチャイムの音が聞こえた。

まさか……?

ほんの少し期待したけど、それも儚く消えた。

ガチャンと鍵を開ける音、ドタドタと歩くこの足音、誰かすぐわかった。



「茜。」



相変わらずノックもせずに入ってきた。まったく、年頃の娘に失礼よね。

とりあえずめんどくさい、起き上がれない、ということで寝たふりすることに決めた。が、



「茜。寝たふりをしてもわかっているぞ。」

「ギクリ。」

「お前はうつ伏せでは寝ないからな。」



なんでそんなことまで知ってんだよ。怖いっス。



「…なんか用ー?」

「用の前に、まずは着替えろ。」



でたよ。あれでしょ、そんなふうにだらしなく横になってたら浴衣がしわくちゃになっちゃうって。

ベッドの横で腕を組みながら仁王立ちする弦一郎。あーあ、めんどくさい。

とゆうか、やっぱり体がだるくて起き上がりたくない。苦しい、胸が。



「…あとで。」

「あとでではない。」

「だってなんか具合悪い。」



嘘じゃないよ。確かに弦一郎はめんどくさいけど。起き上がれないんだもん。

あたしがそのまま動かないでいると、



弦一郎があたしの帯を解き始めた。

そのあり得ない行動にあたしは飛び起きる。



「ちょ…!」

「この馬鹿者が。」



止めようとするも時すでに遅し、帯の下の紐まで解かれてしまった。

弦一郎手際よすぎ。もしかして普段あーれーとかしてたりして。…一瞬想像して後悔した。

と、余計なことを考えてる間にあたしの腰周り、帯やら何やらすべて引っ剥がされた。

弦一郎も思春期少年なのか…!



「これで楽になっただろう。」



…は?

一瞬、弦一郎の言ってる意味が理解できなかったけど、すぐにわかった。

胸の辺りが、軽くなった。



「帯はきつく締めるからな。そろそろ限界だろうと思ったのだ。」



そうか、浴衣着て帯締めてたから苦しかったんだ。だるかったんだ。頭もぼーっとしてたけど、なんだか治ったみたいだ。

体も胸も、ずいぶん楽になった。

あたしはベッドにゆっくり座り直す。弦一郎は、解いた帯や紐を丁寧にたたみ始めた。



「今日は楽しかったか?」



たたみながら、あたしのほうを見ずに聞いてきた。誰と行ったかは言ってない。丸井に口止めされてるから。

なんかでも、聞いてきた弦一郎の声がやけに優しく感じた。誰と行ったのか、なんとなく知ってるような気がした。

さっきまで胸の辺りが苦しかった。つまってるような感じだった。だるくて、動けなくて。

でも、弦一郎が帯を解いてくれたおかげで、
すごく、楽になったよ。



「…………なかった、」



振り向いた弦一郎は、ひじょーに、驚いてた。目は真ん丸く、飛び出し寸前。口も開けちゃって、だらしない。弦一郎のくせに。

でもすぐに、いつもの頑固オヤジのような表情に戻った。真面目な顔ってことね。

あたしは、…ああ、たぶん、
この浴衣よりしわくちゃな、顔。



「…楽しくな……っ…、」



言葉に出来なかった。

楽になったはずの胸がまた、つまりだした。苦しみだした。
痛くて、痛くて。

さっきまでは平気だったのに。余裕で笑ってたのに。
なんでよりによって、こいつの前なんかで。

あたしは、強いのに。
何があっても泣かない、強いやつ。
弦一郎に勝てる唯一の女だって柳も誉めてたぐらい、強いやつ。

なのに、なのになのに……、



「わぁぁぁん…!」



近所迷惑かもしれない。

あたしは、泣いた。声を出して泣いた。

なんでかわかんない。さっきまで普通だったのに。我慢してたのかな。それもわかんない。

ただただ、感情のまま。
子どものように、泣き叫んだ。



弦一郎は黙ったままだった。あたしの目には涙が溢れすぎて、弦一郎がどんな表情をしてるかはわかんなかったけど。

きっと驚いてるに違いない。だって初めてだもん、弦一郎の前で泣くのは。

ようやく立ち上がり、あたしの真横に座る。
次に驚いたのはあたしだった。

弦一郎が、無駄にでかい手で、
あたしの頭をなでてきたから。



「な、なによ…!」



嗚咽混じりに素っ気なく跳ね返す。けど、弦一郎はめげずにまたあたしの頭をなでた。

弦一郎にこんなことされるのも初めてだ。



「頑張ったんだな。」



いつものように渋い声が、頭上から響いた。

あたしの涙から、すべてを理解したかのような声。



「なにも…、知らないくせに…!」



完全に八つ当たりだ。最悪だ。弦一郎は励まそうとしてくれてるのに。

ただ、弦一郎のバカみたいにでかい手が、居心地よくて、
またいつものように、甘えてしまう。



「す、すまん。」

「そう思うならどっか行って…!」



あたしは弦一郎を力強く押した。そしてボカボカ殴った。またしても八つ当たり。弦一郎は関係ないのに。むしろ感謝すべきなのに。

でもあたしは、妙に優しい弦一郎に当たることしかできなかった。そんなことでしか、このどこへもやれない気持ちを鎮められない。



「俺は気が利かない。」

「知ってる。」

「嘘もつけない。」

「だから。」

「お前を放ってはおけない。」



あーそう、そーなの。だから何よ。あたしは一人になりたいのよ。泣き顔なんて誰にも見られたくない。
甘えちゃいけない、それもわかってる。

なのに、なのになのに……、



あたしが待ってた、頑張ったねという言葉。なでてくれた頭。
涙は止まるはずもなく。
小さい頃から溜まってたのかな。それほど涙は出てきた。

気の済むまで泣けばいいと、弦一郎は言ってくれて、

ありがとうと、やっと可愛らしい返事ができた。



浴衣。メイク。今日限りのオシャレ。ただ一人のことだけを想って。
泣いたあとはグシャグシャの顔。解いた浴衣。
くさいことを言えば、シンデレラの魔法みたいに。
とけて、なくなった。

あたしはあたしに戻った。

明日からどう過ごそう。テニス部に行けるかなぁ。仁王と、普通にできるかなぁ。

まだまだあたしの頭は、仁王でいっぱい。
いっぱいなんだよ。





◇ ◇ ◇ ◇ ◇





『…頼んだ。』



30分ほど前、仁王からそう電話があった。

頼むだと?ふざけるな。
そう言ってやりたいのは山々だった。

しかし、そうも言ってられない。

茜が、傷ついてる。

ならば俺のすることは決まっていた。

それはあの日の償いかもしれない。



『なぁ、真田。』

「なんだ?」



普段から声のトーンはそれほど明るくはないが、今日はいつもにも増して暗い声。

少なからずこの男も落ち込んでいるのだと、わかった。



『もう茜と仲良くするのは無理じゃろうか?』



何故俺に聞く。
とは、言えなかった。

苦しそうな声から、後悔の欠片が見えたからだ。



「それはお前次第だろう。」

『そーか…。』

「茜はそんなことで態度を変えたりはしないはずだ。それに、」



おそらく、としか言えないが。もしかしたら、と言う言葉も過るのだが。

やはり俺は他人を慰めるのが得意ではない。



「茜はこれからも立海にいる。」



ははっと、電話の向こうで仁王は笑った。

そして小さな声で、ありがとうさんと、呟いた。

慰めるなど、性に合わんが。
仁王に対しても、償いたいのかもしれんな。

電話を切ってまもなく、茜の部屋の灯りがついた。

|
[戻る]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -