仁王が、あたしを探してあたしを追ってきてくれたのはうれしいけど、さっきの子のことがどうしても気になってしまう。
「さぁ。」
きっとなんの悪気もなく、…いや、あるかもしれないけど、仁王は笑って答えた。あたしにはなんの関係もなく、あたしが気にすることでもない、というように。
「俺行きたいとこあるんじゃき、あっち行かんか?」
そう言って仁王はあたしの手を引っ張った。
触れられてる手とか、行きたいとこに連れてってくれるのとか、あたしには胸いっぱいになるぐらいうれしいことのはず。
なのに、あんまり足が進まない。
へこんでる、イライラしてる。さっきのことも、仁王の躱す態度も。
そんなあたしの心情に気付きもせず、…いや、気付いてるかもしれないけど、仁王はぐいぐいあたしを引っ張る。といっても丸井みたいに力強くはなく、優しさ半分ちょびっと強引に。
人ごみを掻き分けて、しばらく歩いたところにある橋に着いた。お祭り会場からは若干離れてる。とはいえ、人もちらほら。
「ここじゃここ。」
コンクリート造りの橋に、仁王は寄っかかる。そしてその下を流れる川を覗き込んだ。
あたしもすぐ横に立ち、同じように下を覗き込む。
下の土手には、ビニールシートを敷いて宴会やら何やらやってる人たちもいた。
「ここ、春になったら桜がきれいなんじゃ。」
「…へぇ。」
「今年は花見やらんかったけど、去年はやってのう。」
なんで今年はやらなかったの?
聞く前にピンときたし、仁王も答えてくれた。
「幸村がいなくなって、みんなそれどころじゃなかったからのう。」
仁王はコンクリート造りの橋の上にぴょんと飛び乗った。
そうか、よくよく考えてみれば、あたしがテニス部に顔を出し始めた頃、部長はいなかった。それはみんなにとって、一番つらかった時期のはず。
の割りには、丸井も赤也も、この仁王だってずいぶんあたしにかまってくれたよな。まぁ弦一郎は置いといて。
「でも迷子がいい風吹き込んでくれたんじゃな。」
仁王の言葉は抽象的すぎてよくわかんなかったけど。
あたしを見つめるその目で、なんのことを言ってるのかちょっとわかった。
そしてあたしも仁王の隣に座りたくて橋の上に上がろうとする、
けど、浴衣を着ているせいかうまく飛び乗れなくて、勢いつけてジャンプした。
「わゎっ!」
勢いよすぎて、前につんのめりそうになった。危うく橋乗り越えて、川に墜落するところだった。
食い止めてくれたのは、仁王。
がっしりと、あたしの体を受けとめてくれた。
「ほらほら、危ないじゃろ……―と、」
笑った仁王が一瞬、驚きを見せたのもわかった。きっと、あたしがあまりに反応してたから。
だってだって、仁王に体しっかり抱えられちゃってるんだから。ドキドキが身体中から出てる。
しばらく沈黙が流れて、
でも仁王は手を離さない。あたしがこのまま落ちちゃうんじゃないかと思ってなのか。
「も、もう大丈夫…!」
あたしはゆっくり座りなおして浴衣の乱れも直し、やんわり仁王の腕を押した。
「ご、ごめんね!」
「いや、」
あたしは仁王の方を見れなかったけど、
仁王もあたしの方を見なかった。
やっぱり続く、沈黙。どうしよう。気まずい。
なんでだっけ、なんでこんな空気になったんだっけ。あたしが変にドキドキしちゃったから?
でもでも、それはしょうがないよ。だってあたしは仁王が好きだから。
好きだから………、
「来年、」
ようやく、仁王が口を開いた。
「来年は花見やろうな。みんなで。」
今度は仁王はあたしの方を見て言ってくれた。あたしも仁王を見た。
そのみんなにはあたしも入ってる。うれしくて、また、ドキドキもした。
あたしテニス部嫌いだったのに。仁王のことも苦手だったのに。丸井だって柳だって、みんなみんな嫌だったのに。
さっきまでも、あの女の子のことが気になって嫌だったのに、へこんでたのに。
もう、仁王の笑った顔見るだけで、優しい言葉を聞くだけで、
全部全部、飛んでっちゃうよ。
―ドォー…ン
「お、始まった。」
大きな音とともに、花火が始まった。
仁王の行きたいとこって、こーゆうことだったのか。確かに、この橋からは花火がよく見える。ベストスポットだ。
「わー…、きれい!」
「やっぱ夏は花火じゃな。」
仁王の言葉が終わったと同時に、携帯が鳴った。横を見たら仁王も鳴ったみたいだった。
二人同時にくるとは…、
誰かはだいたいわかる。
「お、ついに見つけたんか。」
いち早くメールを開いた仁王がうれしそうに呟いた。あたしもメールを開く。
題名は、『野獣ヒロシ』
…なんじゃそら。
添付されてる写メに、柳生とその彼女と思われる女の子が写ってた。
彼女の顔ははっきり見えないけど、柳生のうれしそうな顔はわかった。
あの柳生が……、
意外さと、なぜかあたしにもうれしさが込み上げてきて笑ってしまった。
「ははっ、失礼じゃな。」
「だってー!柳生が彼女なんてすっごい意外!」
「そうか?意外とモテるぜよ。」
「そーなんだ?……いいなー、」
いいなーっていうのは、何に対してか。自分でもあんま意識せずに漏らした言葉だった。
ただ、一瞬のうちに、これがあたしと仁王だったらって、ちょっと夢見た。
「…彼氏欲しいんか?」
彼氏…。欲しくないと言えば嘘になる。でも、ただの彼氏は欲しくない。
「好きな人となら、付き合いたい。」
あたしにしてはずいぶんと言い切った。たぶんこんなこと言うのは初めて。きっと鈴にだってこんな素直に話したことはない。
「仁王くんは?」
思わず聞いてしまった。
今日のあたしはどうかしてるかもしれない。こんな素直なんて。
浴衣とメイクと、そして仁王がそうさせてるんだ。
さっき丸井からきたメール、一番最後に付け足してあった言葉。
『お前もがんばれよ!』
それも背中を押してくれた。
でも、
「俺は…、」
仁王が躱さず躊躇ったときに、止めればよかった。
あたしの耳を、仁王の口を、塞げばよかった。
「しばらくいいって思っとる。」
―ドォー…ン
花火は次々と打ち上げられる。
けれど、あたしたちの間にはさっきみたいな静けさが。
ただあたしの心臓だけが、鷲掴みされたかのように、
痛かった。
「情けない話じゃき、聞き流していいぜよ。」
聞き流す?仁王の言葉を?あたしがそんなことできる?
じゃあやっぱり、仁王の口を塞げばよかったんだ。
「前のやつが忘れられん。」
タイミング失敗。てか、遅すぎ。
仁王の言葉聞き終わったあとに、あたしは仁王の口を手で塞いだ。バカみたいだ。自分でも笑いそうになった。こんなときに。
きっと仁王はビックリしてるかなって、何やってんだって軽く冗談で済むかなって思って、
でも仁王の顔見て、後悔した。
仁王が悲しそうな顔してる。今まで見たことないほどに。
なんで?
あたしだよ、悲しんでるのは。
ゆっくり、優しく、仁王はあたしの手を取って、両手で包み込んだ。
「なんでじゃろうな…、」
あたしは今まで仁王の話を、言葉を、流したことはない。
仁王のくれる言葉は一つ一つがあたしにとって、たからものだから。
ただ、これから先聞く言葉は、
痛みを伴う、たからものだ。
「茜には、なんでも話しちまう。カッコ悪いことも、全部、」
たとえ傷つけることになってもって、今にも続きそうだった。
あたしにはって、そんな特別そうな言い方は、
さっきまでならきっとうれしい言葉だったはず。
「…ごめん。」
ぎゅっと、仁王の手に力がこもった。同時に、心臓もぎゅっと、掴まれたみたいだった。
なんの、ごめん?
あたしが好きだと気付いちゃってごめん?あたしの気持ちには答えられなくてごめん?
あたしに本当の気持ちを言ってしまって、ごめん?
「仁王くん…、」
あたしも仁王の手を両手で握り返した。片手には赤のヨーヨーがぶら下がってる。仁王の手にも、白のヨーヨーが下がってる。
二つは静かに、揺れてる。
「ありがとう、本当のこと言ってくれて。」
彼は詐欺師だから。いつも本心は隠して、人を騙しながら笑ってる。
なのに、本当のこと言ってくれた。それだけで、あたしはなんでかうれしかった。
悲しんでるはずなのに。
「仁王くん、最大の秘密だね!」
めいっぱい笑ったつもり、だと思う。仁王も微かに、笑ってくれた。
いつかの約束を果たしてくれた仁王。それだけで、仁王にとってあたしも特別なんだって、思えた。
ただそれが、恋じゃなかっただけの話。
弦一郎に言われたことがある。
お前は昔から泣かなくて強いって。
女の子に強いなんて、全然誉め言葉じゃない。でも、
今はそんな自分でよかったと、思うよ。
つらくても、悲しくても、あたしはすぐ泣いたりしない。強いやつなんだ。
だから最後まであたしは泣かなかった。
あたしは泣かなかったよ、パパ。
よくやったって、誉めてほしい。頭をなでてほしい。
きっともう彼は、あたしの頭をなでない。腕も掴まない。探してくれない。
花火も終わって、丸井たちと合流する直前、たった一瞬、人ごみに押されて触れてしまった、指先。
冷たいのか、温かいのか、それもわからず、離れゆくのを惜しんだ。
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