「……。」
「いい加減機嫌を直せ。」
そっぽを向いてるあたしの肩を、弦一郎は掴んだ。
「エッチ!痴漢!変態!オヤジ!」
「な、何もしていないだろう…!」
あたしの叫び声に、バタバタと駆け付ける音がする。
「なんの騒ぎ!?」
弦一郎のお母さんだ。
あたしはさっき弦一郎の家にて夜ご飯をごちそうになった。
その後居間でダラダラとテレビを見てて、
夕方から一言も口をきかないあたしに弦一郎は業を煮やし突撃してきたわけだ。
「弦一郎、茜ちゃんに何したの!」
「お、俺は何も…!」
おばさんに白い目で見られる弦一郎の慌てふためく姿を見て、ざまみろと呟いた。全部、弦一郎のせいだ。
今日、丸井に捕獲されたあたしは、拒否権すら与えられずに部室掃除をやらされた。途中二回のご飯休憩を含め。
『なぁ、それ食ってええ?』
半分以上あたしの飯が奪われ、
『俺窓拭くからお前床の雑巾がけな。』
一番面倒なやつを押し付けられ、
『もう部活始まっちまうからあとシクヨロ。』
ゴミ捨てまで行かされ、
『帰り真田んち行くんだろ?だったら練習見てけよ。俺の天才的妙技たーっぷり披露するぜ。あ、差し入れはケーキとコーラと……、』
「きぃぃぃぃぃ!」
突然発狂し出したあたしに、弦一郎とおばさんはものすごく驚いていた。ビクッて音が聞こえるぐらい。
「お、落ち着け!」
「落ち着いてられるか!なにあのガム!すごい自己中じゃない!?やばくない!?」
あの後、丸井の言う通りケーキやらガムやら買って持っていくと、
『あんた、ブン太くんの何?』
派手ーなお姉様方(同い年だけど)に詰め寄られちゃったんだから!面倒なことは出来る限り避けたいのに!
ジャッカルの言う通り!なんて面倒なやつなんだ!
「ふむ。丸井には俺からもきつく言っておこう。」
「きつーくね!シクヨロ!」
…なんか口癖うつった気するけど。まぁいい。
あたしはそのまま座布団を抱えて横になった。弦一郎の家はあたしの家も同然。あたしの要望によりまだこたつがあるし。
「おい、こたつで寝たら風邪を引くぞ。」
「うっさい。」
今日朝早かったし掃除したしで疲れたんだ。昼寝もしたけど。
「まったく、制服も着替えずに。たるんどるぞ!」
だんだん弦一郎の声が遠退いてく。というか、徐々に弦一郎は声を絞っていく。あたしがうとうとしてるから。そーゆうとこは昔から気使えるんだけどね。できれば黙ってください。
「それよりお前、朝から首にかけているそれは…、」
シャボン玉か?ってとこまで聞こえたのを最後に、あたしは記憶がない。
朝早かったっていうのもあるし、ここ最近親がいないせいか安心した生活ができてない。一人はやっぱり心細いし。
だからといって毎日弦一郎んちにお世話になるわけにはいかない。弦一郎は毎日部活で忙しいから。あたしは一人家でぼーっと過ごすのが多かった。部活でも入ればよかったかなって、少し思った。
部活の仲間とか夢中になれるものがないあたしは……。
だから今日、ほんとはちょっと、ほんのちょっとだけうれしかったんだ。弦一郎が朝迎えにきてくれたことも、柳や丸井と初めてしゃべったことも、久しぶりに笑ったり怒ったりキレたり不貞腐れたりして、忙しかった。
あのテニス一筋の弦一郎が、あたしを忘れずにいてくれたこと。
ちょっと感謝してるよ。
「寝てしまった。まったく。」
「起こしちゃだめよ。ここずっと慣れない一人暮らしで疲れてたんでしょう。」
「うむ。こいつは暇を持て余している割に意地っ張りだからな。明日からも部活に連れていかねば。」
「あんたほんとにお父さんみたいね。いつか嫌われるわよ。」
そんなお節介な弦一郎パパの決意も知ることなく、あたしは深ーい眠りにつく。久々の安心感に包まれて。
そしてあたしは次の日もそのまた次の日も、テニス部に顔を出すはめになった。
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