丸井とコンビニから帰ってきたら、リビングにみんな集まってた。
赤也とジャッカルと部長がゲームやってて、柳と柳生は横で見てる。
「あ!お帰りっス!」
「なんだぁ?お前ら勉強はどーしたんだよ。」
「へっへ〜!一時休息ってことで!ほらほら、丸井先輩もやりましょーよ!」
「ったく、しょーがねぇなぁ。」
とか言いつつ、ノリノリで丸井も加わった。赤也がわざわざ家から持ってきたゲーム。端から勉強する気なかったもんね。
そういえば、仁王がいない。弦一郎と鈴も。
「ねぇ、鈴は?」
あたしの言葉に、赤也たちは一瞬シーンとなった。なになに、どした。
「あー、まだ勉強中じゃないっスかね?ね、ジャッカル先輩。」
「お、おう。たぶん…。」
ジャッカルはちょっと吃って、言葉を濁した。…気になる。
「じゃあ呼んでこよっかな。」
「ああ!それはまずいっス!ね、ジャッカル先輩!」
「お、おう。」
なんなんだ、この二人は。柳や柳生も、うーんって顔してる。
「それより茜ちゃん。」
何となく気まずい空気を、部長は壊してくれた。
「仁王が君の部屋にいるみたいだよ?」
「えぇ!?」
まずい。それは非常にまずい。
とりあえず今日はみんな来るということで、部屋は片付けてはおいたけど、
タンスの中とか机の中とかクローゼットの中とか、中のものがやばい…!
考えるより先に、体は自分の部屋に向かってた。さっきの、鈴のことでの赤也たちの反応、すっかり忘れて。
―ガチャ
廊下からは部屋の物音は一切聞こえなくて、ますますまずい気がしてきてこっそり、扉を開けた。
「仁王く…ん?」
ぱっと見は部屋の中にいなくて、ああ、もうあたしの部屋からは出ていったのかなって、思いかけたら、
入って右のベッドが、ふっくらと。誰かが寝てる。
誰かってもう、一人しか思いつかなかった。
そーっとそーっと、ベッドに近寄って、顔を覗き込むと、
「……ゎ…、」
静かに眠る仁王だった。初めて見る寝顔。ベッドの脇に座ってじっと見つめる。
やっぱり元がいい人はどんなときもカッコいいんだろうか。動いてなくて、ただ目を閉じてるだけなのに素敵に見えてしまう。
ドキドキしてしまう。
「……ん…?」
軽く寝返りをうったかと思うと、仁王はうっすら目を開けた。うーん、残念。ちょっと二人で話したかったけど、まだ寝顔も見ていたかった。
目をゴシゴシ擦りながらむくっと上半身だけを起こした。髪がかなり乱れてる。それもまた、かっこよく見えた。…あたしはバカだ。
「…んー、」
「お、おはよ。」
「…はよ。寝てた。」
「うん。寝てたね。」
頭がまだ働かないらしく、寝呆けてるような仁王。でっかい欠伸もして。貴重だ。
「あ、まだ眠いならここで寝てていいから…、」
そう言ってあたしが立ち上がると、
ガシッと、腕を捕まれた。
「…待っ、」
「え、あ…、」
「もう、起きる。」
今にも閉じかけそうな目で言うもんだから信用性はゼロだけど、仁王が手を離さないから、
ボスッと、そのままベッドに座った。
「寝てていいのに。」
「んー…、せっかくじゃし…、まだ寝とない…。」
なんだか小さい子供のようだ。サンタさんがくるからまだ寝たくないーとか。
でもようやく仁王の言葉ははっきりとしてきた。
「あ、あれあれ、」
仁王はベッドの真正面にあるものを指差した。
「ピアノ。リビングにないからどこかと思ってな、探しとったらここに辿り着いた。」
なるほど。…ますます小さい子供。仁王雅治の探検隊〜みたいな。
仁王は立ち上がり、すたすたとピアノまで歩いていった。
物珍しそうに、じろじろ見てる。ピアノなんてそんな珍しくはないのに。
あたしも仁王の後に続き、ピアノのところまで行った。
「さすがにこんな時間じゃ弾けんよな。」
「だね。弦一郎に怒られちゃう。」
一瞬、仁王はあれって顔したけれど、すぐにフッと笑った。
「これじゃろ?うちのクラスの合唱曲。」
仁王は譜面台に立ててあった楽譜をとった。
「ここにあるってことは、もう練習しちょる?」
「多少ね。仁王くんは?」
「…これからな。」
だと思った。
せっかくだから、ずっと気になってたことを聞いてみよう。
「そういえばさ、仁王くんなんで指揮者引き受けたの?」
あのとき、丸井に推薦されて初めは明らかに怒ってたのに。絶対引き受けないと思った。
「あー、司法取引?」
「はい?」
「二学期、一人ずつその合唱曲歌うテストがあるじゃろ?」
そういえば、毎年そんなテストもあった気がする。
「ただし、指揮者と伴奏者はその歌のテスト、やらんでもいいらしくての、」
「ほんと!?」
「ああ。おまけに音楽の成績は5もらえるってよ。成績はおいといて、歌のテストはどーーしてもしとうなくてな。」
指揮者と伴奏者はいつも成績5もらえるってのは聞いたことあったけど。
なるほどねー、だからOKしたんだ。
「…何笑っとる。」
「え?な、何かおかしくて、」
だって、絶対面倒臭い、というより目立ってしょうがない指揮者を引き受けた理由が、歌のテストが嫌だからなんて。
どっちが恥ずかしいかってゆったら五分五分なのに。
可愛いとこあるんだな、仁王。
知れば知るほど、どんどん素敵なところが見つかってく。
どんどん、好きになってく。
「笑いすぎじゃ。」
ガッと、頭を押しこまれた。優しく。
さっきの丸井みたいに、乱暴にぐしゃぐしゃじゃなくて、
さも怒ってるかのように、でもすごく優しい手で、あたしの頭に触れるんだ。
触れられて、あたしの体は正直にドキドキしてる。優しい仁王の手が、目の前で笑う仁王が、うれしくて。
でも思い出されるのはこないだのこと。
“前好きだったやつ”
忘れられてない人。仁王の心にはまだその人がいる。
今あたしにしてるように、仁王はその人の頭を撫でたり、笑いかけたりしてたのかな。
今はあたしの目の前で仁王は笑ってるけど、きっとその目にあたしは映ってない。
「ん、どした?」
次第に元気のなくなってきたあたしを心配するように、頭を押さえこんでいた手はいつの間にか、あたしの頭を撫でていた。
その動作もやっぱり優しくて、胸が締め付けられる。
あたしはいつの間に、こんなに仁王を好きになってたんだろう。
胸がドキドキして、仁王が笑う度にうれしくて、
これが恋っていうんだ。
「…何でもないよ。」
「そうか?ならいいんじゃが。」
仁王は頭の回転が早いし、きっと恋愛経験も豊富だから、あたしの気持ちに気付くのも時間の問題かもしれない。
でも、あたしはまだ言えない。
まだまだ、先の見えない、恋。
「そ、そういえば、弦一郎たちどうしたのかな?まだ勉強中かな?」
「どうじゃろな。」
「まさかあの二人になるなんてねぇ。」
「参謀が気利かせたんじゃなか?」
あり得る。柳ならすでに知っててもおかしくない。てか、鈴は柳からいろいろ情報を仕入れてるみたいだから、案外あの二人仲良しなのかも。
…と、何でか仁王があたしを見て軽く笑ってる。何かおかしいこと言ったかな。
「な、なに?」
「いや、やっぱお前さんはそっちのが似合っとるよ。」
「…そっち?」
「“弦一郎”ってやつ。」
…あ。あたしうっかり弦一郎って呼んじゃってた。もう、真田で慣れてきたと思ってたけど。
「呼び名なんてそんな気にするもんじゃなか。」
「…うん。」
「自分が呼びたいように呼ぶのが一番、相手も喜ぶってもんやろ。」
呼びたいように、か。
真田って呼びたいわけじゃない。ただ弦一郎って呼び名が特別すぎたから。
「どんな呼び方でも、特別な人からの呼び方は特別に感じられる。」
仁王も、誰かの呼び名に特別を感じてたのかな。
そうでなければ言えない台詞。
「さてさて、そろそろあのお二人さんを邪魔してくるかの。」
「お二人?」
「真田と葛西。さすがにもう勉強は終わっとるじゃろ。」
邪魔。鈴が後で怖いけど、でも二人で何話してるのかちょっと気になるかも。
…でも相手が弦一郎なだけに、まだ勉強してるかも。
でもでもやっぱ気になる…!
「行くっ。」
「おう。…あ、茜、」
あまりにも自然に呼ばれた名前。
15年間、あたしが一番馴れ親しんだ名前。なのに、
“特別な人からの呼び方は特別に感じられる”
初めて聞いた、その声で呼ばれたあたしの名前は、
本当に、特別に感じた。
「携帯持ってくぜよ。」
シャッターチャンスがありそうじゃ。
イタズラを思いついた子供のように笑う仁王に。
少しだけ寄り添って、部屋を出ていった。
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