21 以心伝心

「……ん。」



ようやく、部長は目を開けた。
寝顔も美しすぎて、もしかしたらこのまま一生眠り姫のように目を覚まさないんじゃないかって、心配した。



「茜…ちゃん?」

「部長。お疲れさま。」

「あ……、俺は…、」

「手術、成功したよ。おめでとう。」



あたしの言葉に部長は、右手をゆっくりと上げ、天にかざした。

まだ思うようには動かないかもしれないけど、リハビリ次第でテニスも今までみたくできるようになるって。

そこまで告げると、やっと笑った。



「みんなは…?」



部長は目だけでキョロキョロと見渡した。病室には、部長とあたししかいない。



「えっと、みんなは…、」



―ガラッ…



静かにドアを開ける音、振り向くと、柳と弦一郎がいた。



「精市。目を覚ましたか。」

「ああ。心配かけたな。」



二人が部長のベッドに寄ってくると、あたしは席を立った。

なんとなく、ここは三人にしたほうがいいかなって。



「じゃ、あたしは学校戻ってるね。」

「茜…、あ、上野。」

「ん?」

「皆に伝言だ。俺たちが戻るまでにいつものメニューを5セットずつ終わらせておくようにと。」



部長は今日の試合の結果をまだ聞いてない。何を聞いたって動じなそうな、そのきれいな目は、弦一郎の言葉を聞くと、一瞬丸くなった。

きっと部長と副部長の間に何か通じることでもあったんだろう。



「了解。」



短く返すと、あたしは病院を後にした。

いつものあんなハードなメニューを5セットなんて、無理でしょうに。みんなかわいそー。

沈みかける夕日に照らされる影を見つめながら、さっきの三人のことを思った。
これから何話すのかなーとか、果たしてどっちが言うのかなーとか。でも部長はすでに空気読んでわかってそーとか。

ズキンズキン。胸が痛い。

弦一郎も、柳も、どうか、
謝らないでね。自分を責めないでね。

部長は、何て思うかな。部長も、どうか、
自分を悔やまないでね。



学校へ着いても誰もいなかった。
なーにやってんだあいつら。たるんどる。

部室の電気もついてなかったから、きっとまだみんなどっかでご飯食べたりしてるんだろうなって思った。

コートでボーッと待ってるのもアレなんで、あたしは屋上に行くことにした。

いつかの、仁王にもらった鍵を使って。

あの後、あたしは何度か屋上に行ってみた。…ストーカーじゃないよ。

でも仁王はなかなか現れなかった。
あたしが来ると思って来なくなったのかな。

変に、ネガティブになってる自分がいた。

でも今日の仁王の試合を見て、
うわーこいつ性格わるって思いつつ、

テニス、楽しんでやってるんだなって、伝わってきた。
あんなに生き生きした仁王、教室なんかじゃ見られない。

そんで、そんな生き生きした仁王を見て、

あたしの心も、なんか弾んできた。
ドキドキしてきた。



屋上のドアのノブに手をかける。

鍵は、なんとなく開いてそうな気がしたら、
本当に、開いてた。



―ガチャッ



ドアを開けて、名前を呼ぶよりも先に、やっぱりって、声が漏れそうだった。

きれいに、オレンジに染まる銀髪の人は、
ふわふわと、シャボン玉を吹いてたから。



「お疲れさん。」



あたしに気付き、いつものようにフッと笑った。



「お疲れ。やっぱり、仁王くんだったんだね。」

「何が?」

「シャボン玉。」



あたしが怒ったようにそう言うと、今度は声を出して笑った。

弦一郎や柳とは違って、仁王はいつにも増して機嫌がいいように見える。



「じゃあこれは仁王くんの?」



鞄の中からあの、青いビンのシャボン玉を取って見せた。



「当たり。」



仁王のものだと知ると、余計にこのシャボン玉が大事に思えてきた。



「…か、返したほうがいい?」

「いや、お前さんにあげる。」

「…いいの?」

「うん。気に入ってるみたいじゃし。始業式の日ずーっと首からかけとったじゃろ?」



これで一つ、謎が解けた。あの日、初めて仁王と目が合った日。
仁王の目線は何を捕らえてるのか気になってたけど、

あたしが自分のシャボン玉を首からかけてたからかぁ。

ちょっと恥ずかしいな。



「…あ、ありがとう。」

「いーえ。そうじゃ、今吹いたらよか。」

「え?」

「憧れのシャボン玉の人が目の前におるよ?」



憧れって……、
今それギャグになってませんけど。

幸い、沈む寸前の夕日のおかげであたしの詳しい表情は読めまい。
バカ正直に、きっと真っ赤だ。

素直に、あたしはシャボン玉を吹き始めた。仁王のものだとわかった今、余計にこのシャボン玉はきれいに見えてきた。



「うまいうまい。でももう少し…、」



横から仁王によるシャボン玉の吹き方講座が始まった。なんか変な感じ。
仁王がこんな真剣にシャボン玉を吹いてるとは知らなかった。



「お前さんなかなか素質あるな。」

「そ、そぉ?」



たぶん、あんまうれしくないことなんだろうけど、仁王に誉められたなら何でもうれしくて。



「あ、あのさ、」

「ん?」

「このシャボン玉、色も、仁王くんによく似合う。」

「…青が?」

「そうそう。このきれいな青、仁王くんにぴったり。晴れた空とかの青も。」



あたしはあまり人を誉めることはないんだけど、むしろ男の子を誉めるなんてほとんどない。

けど、本当に青は仁王にぴったりだったから。

思わず言ってしまったんだ。



「それはうれしいのう。青は俺の好きな色なんじゃ。」

「ほんと?よかっ…、」

「ありがとな。」



イリュージョンって言葉がある意味ぴったりなぐらい、仁王はいい笑顔を見せてくれた。

やっぱりバカ正直に見惚れていると、仁王はあたしの頭を優しく撫でた。そしてドキッとした心臓に休む暇も与えず、今度はその手に被さるように顎を乗せた。



「……!?」




頭には心地よい重み。視界にはいつもの見慣れたジャージが広がる。
そしてあたしのものではない匂いが、あたしの鼻に届いた。

頭に手が乗せられてるだけで身体に直接は触れてないけど、すぐそこに仁王の身体はあって、
体温が伝わってくるようで。熱くなった。



「…負けちまったな。」



頭上から、仁王の声が響いた。

さっきまで飄々としてたのが嘘のように、ひどく落ち込んだ声。



「結局、手術にも間に合わんかったし…。」

「に、仁王く…、」



あたしが仁王の顔を見ようと動くと、すごい力で押さえつけられた。



「ダメじゃ。」

「ちょ、ちょっと…!」

「今反省会中じゃき。カッコ悪ーい顔しちょる。」



反省会って、今やってるの?
相変わらず変…、とか、ドキドキしてる身体をなんとか誤魔化したくて、そんなどうでもいいことを考えた。



「…に、仁王くんは今日勝ったじゃん。」

「あれは勝ったうちに入らん。」

「うーん、そーかな。」

「そうそう。柳生に頼っちまったしの。」

「ダブルスだからそれでいいじゃん。」

「ダーメ。」

「ふーん。…てか、反省会ならあたしも手伝うから、離して。」



というより、もう心臓が限界で。

今にも飛び出しそうだった。
心臓、飛び出したら元に戻せるかな。



「それもダメじゃ。」

「え、な、なんで…?」

「しばらく、このままでいさせて。」



その言葉を聞いて、あたしは、やっぱりみんなは通じ合ってるんだって、感じた。

なんだか機嫌のよさそうだった仁王も、蓋を開けてみればそれはただの強がりで。

きっとそれぞれが、今日のこの一敗を、重く受けとめてて、

負け知らずだった王者に、刻まれた敗北。

積み重なってきた重圧に、はち切れそうなんだ。



「…次勝とうよ。」

「もちろん。」

「王者は立海だって、思い知らせてやろう。」

「ククッ、頼もしいの、マネージャー。」

「あたしはマネージャーじゃ…、」



ありません?
ありませんって今、言い切れる?

確かに入部届けは出してないけど、



「紙切れ一枚じゃろ?」



あたしの心の声に、付け足すように仁王は言った。



「一緒にいるならそれはもう仲間じゃ、と思う俺は。」



仲間。

あたしの憧れの、眩しくて仕方ない。

仁王は、あたしをその仲間に入れてくれるというのだろうか。

何もできない、ただの女を。



「お、」



仁王は軽く声を漏らすと、ようやくあたしの頭から手を外した。

その仁王の顔を見ると、視線は校庭に向かってる。
遅れて、あたしも校庭を見る。



赤い髪の丸井や、つるんとハゲのジャッカル、モジャモジャ赤也、試合後なのにちっとも髪の乱れてない柳生たちが、練習を開始してる。

みんな仁王と同じようにそれぞれどこかで反省してきたんだろうか、

すっきりした顔してる。

隣にいる仁王も。



「やれやれ、俺も行くか。」



声はさも面倒臭そうに、

でも体はウズウズといったふうに、仁王はシャボン玉を鞄にしまった。



「マネージャー(仮)、」

「は、はい!」

「麦茶、よろしく。」



結局、仁王の反省中のカッコ悪い顔は見れず、相変わらずカッコいい笑顔を見た。

その顔にドキドキ、しながら。

あたしは仁王の少し後ろを歩き、校庭に降りていった。
高まる胸を、抑えきれなくて。
少し前を行く仁王の背中を見る度に、ドキドキして。

あたしの苦手からきたこの感情。

興味、そして憧れ。

きっと今、それは恋につながった。



「あ、そうそう。真田から伝言。“いつものメニューを5セットずつ”だって。」

「…あいつ鬼じゃ。」



みんなからのブーイングも怖いなぁ。

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